突破力~完全復活までの記録~

この局面をどう乗り切るか
さあ、復活はすでに始まっている

◆泣いて泣いて強くなれ

2014-11-10 22:50:17 | 経過

本田圭佑選手の言葉。
賛否両論、好き好き、穿った見方、いろいろな受け止めかたはあるだろう。
しかしながら、必死で異次元への突入を志す稀有の日本人のして彼は評価と尊敬に値する。

本田圭佑の言魂(ことだま)
『自分の信じた事を貫け、泣いて泣いて強くなれ!』

コウスケは同じ年代の同じサッカーアスリートとして、泣いて泣いて苦しんだかなりの上位に位置していると思う。
泣いて泣いて泣いたから、強く、もっと強くなれる資格があると信じよう。

さあ、明日、松葉杖から開放されて自分の両足で歩くことが許されるだろう。

泣いて泣いて強くなれ!


◆神はまだ試練が足りないとおっしゃるのか?

2014-11-08 17:57:18 | 経過

2年半前の3月18日。順調にサッカーに邁進していた息子に大きな試練が待っていた。これがこのブログの始まりだった。怪我を克服し、サッカーに完全復帰したらこのブロクはひっそりと終わるはずだった。実際、どのような終焉を用意すればいいか考えていた。しかし9月18日。彼は再度試練を受けることとなった。

今度は左ヒザだった。前回とは反対の彼の利き足である左ヒザだ。彼は利き足である左足で数々のパスを出し、たくさんのアシストをし、そして多くのゴールをあげてきた。レフティとしてかなりの評価も受けていた。その左足だ。

9月18日放課後の練習。左ヒザを捻り、大きな痛みを感じた。
翌日に整形外科に行ったが、MRI検査が出来なかった。3日後MRI検査。
『また、写っていない。前十字靱帯が・・・・・』。

整形外科からすぐに総合病院へ連絡してもらい、9月30日に以前手術を執刀してくださった先生に診断していただいた。先生は整形外科で撮ったMRIの画像とヒザの触診で、直ちに診断を下された。
「前十字靱帯が断裂しています。前十字靱帯を断裂し、復帰後反対の前十字靱帯を断裂する人が、10人に1人の割合でいます。」
息子はポツリとつぶやいた。
      「俺はその10人のうちの1人なのか。」

我々両親と息子は、多分深いため息を吐き、心の中で涙した。
主治医の先生は「どうしましょうか?」我々に問いかけた。しばらくして「ボクの中では決まっていますけど・・・」とおっしゃった。

息子はまた瞬時に前を向いた。我々両親よりも早く、そして強く前を向いた。
「手術した方がいいということですね。いつ手術できますか?」
苦しみを知り抜いた息子は、またあの苦しみと立ち向かうことを決めた。それを思うと私も心から辛く、悔しく、悲しく、不憫な気持ちにたった。負の感情の一番行きついた先のような気持ちだった。

10月8日。彼はまた自分の両足で歩き、確かな足取りで手術室の自動ドアの向こうへ消えていった。私は心の中で泣いた。


◆本当はどうやってこのブログを終了しようか考えていた。しかし・・・・・

2014-11-08 17:55:25 | 経過

どうやってこのブログを終了しようか考えていた。息子は懸命にリハビリし、サッカーに復帰。
そしてボルトを摘出し、すべてから解放た・・・・・はずだった。しかし神は再度試練をお与えになった。まだ試練が足りないというのか?

9月18日。母親の携帯電話に練習を終えた息子から、1本の電話が入った。「左ヒザを捻った。自転車で帰れそうにないので迎えに来て欲しい。」試練の始まりだった。