突破力~完全復活までの記録~

この局面をどう乗り切るか
さあ、復活はすでに始まっている

◆悪態をつきながら泥だらけのストッキングを洗う母親の充実感と思慕についての考察

2015-10-30 00:59:14 | 経過

1年ぶりに泥だらけのストッキングを今日洗いました。1年前2度目の左膝前十字靭帯損傷の怪我をしてから、泥だらけのストッキングにたどり着くまで、更なる試練が待っていました。術後8ヶ月でサッカー復帰を許されサッカー復帰したものの、左足に違和感を感じたままの復帰でした。GW後の診察の時「左膝を曲げるとコリコリ言う。」と息子が言い出してから、4ヶ月たった9月の診察まで、左膝は腫れ水が溜まり、思うようにサッカーをすることができませんでした。

無意識に膝を庇っていたようで、何度も監督から、「痛いのか?」と聞かれたと言います。診察の時その話をすると、「内視鏡検査をして確認しよう。筋膜が引っかかってるのかもしれない。」って言われ息子は即決で内視手術を決めてしまいました。

結果、半月板がかけて膝の関節に挟まってました。「膝がブロックされて動かなかったはず。かなりの痛みがあったはず。」と主治医の先生は言われました。

1週間か十日で、復帰できる予定が、1ヶ月近くサッカーが出来ない状況に。

やっと復帰し、試合に出ました。

「楽しかった😊」と帰って来た息子を見て嬉しくもう怪我せずやっていって欲しいと思いました。息子の怪我で、周りの方にたくさん励ましてもらいました。息子が大好きな指導者の方に「お前の子は、どんな状況でも楽しく自分のする事をやっている。サッカーできなくても、何も無駄にしてない。」と言って頂きどんなにうれしかったか。「お前はよくいなぁ。サッカーできる様になっただけで、サッカーしよるんだから、それでいいやろ。」

息子の焦る気持ちは私がそうさしたのかも知れません。

そんなこんなの泥だらけのストッキングを見て

悪態つきながらも、嬉しくストッキング洗わせてもらいました。こんな日が続きますように。


◆泣いて泣いて強くなれ

2014-11-10 22:50:17 | 経過

本田圭佑選手の言葉。
賛否両論、好き好き、穿った見方、いろいろな受け止めかたはあるだろう。
しかしながら、必死で異次元への突入を志す稀有の日本人のして彼は評価と尊敬に値する。

本田圭佑の言魂(ことだま)
『自分の信じた事を貫け、泣いて泣いて強くなれ!』

コウスケは同じ年代の同じサッカーアスリートとして、泣いて泣いて苦しんだかなりの上位に位置していると思う。
泣いて泣いて泣いたから、強く、もっと強くなれる資格があると信じよう。

さあ、明日、松葉杖から開放されて自分の両足で歩くことが許されるだろう。

泣いて泣いて強くなれ!


◆神はまだ試練が足りないとおっしゃるのか?

2014-11-08 17:57:18 | 経過

2年半前の3月18日。順調にサッカーに邁進していた息子に大きな試練が待っていた。これがこのブログの始まりだった。怪我を克服し、サッカーに完全復帰したらこのブロクはひっそりと終わるはずだった。実際、どのような終焉を用意すればいいか考えていた。しかし9月18日。彼は再度試練を受けることとなった。

今度は左ヒザだった。前回とは反対の彼の利き足である左ヒザだ。彼は利き足である左足で数々のパスを出し、たくさんのアシストをし、そして多くのゴールをあげてきた。レフティとしてかなりの評価も受けていた。その左足だ。

9月18日放課後の練習。左ヒザを捻り、大きな痛みを感じた。
翌日に整形外科に行ったが、MRI検査が出来なかった。3日後MRI検査。
『また、写っていない。前十字靱帯が・・・・・』。

整形外科からすぐに総合病院へ連絡してもらい、9月30日に以前手術を執刀してくださった先生に診断していただいた。先生は整形外科で撮ったMRIの画像とヒザの触診で、直ちに診断を下された。
「前十字靱帯が断裂しています。前十字靱帯を断裂し、復帰後反対の前十字靱帯を断裂する人が、10人に1人の割合でいます。」
息子はポツリとつぶやいた。
      「俺はその10人のうちの1人なのか。」

我々両親と息子は、多分深いため息を吐き、心の中で涙した。
主治医の先生は「どうしましょうか?」我々に問いかけた。しばらくして「ボクの中では決まっていますけど・・・」とおっしゃった。

息子はまた瞬時に前を向いた。我々両親よりも早く、そして強く前を向いた。
「手術した方がいいということですね。いつ手術できますか?」
苦しみを知り抜いた息子は、またあの苦しみと立ち向かうことを決めた。それを思うと私も心から辛く、悔しく、悲しく、不憫な気持ちにたった。負の感情の一番行きついた先のような気持ちだった。

10月8日。彼はまた自分の両足で歩き、確かな足取りで手術室の自動ドアの向こうへ消えていった。私は心の中で泣いた。


◆本当はどうやってこのブログを終了しようか考えていた。しかし・・・・・

2014-11-08 17:55:25 | 経過

どうやってこのブログを終了しようか考えていた。息子は懸命にリハビリし、サッカーに復帰。
そしてボルトを摘出し、すべてから解放た・・・・・はずだった。しかし神は再度試練をお与えになった。まだ試練が足りないというのか?

9月18日。母親の携帯電話に練習を終えた息子から、1本の電話が入った。「左ヒザを捻った。自転車で帰れそうにないので迎えに来て欲しい。」試練の始まりだった。


◆最後の束縛からの解放

2014-07-23 19:47:03 | 経過

7月23日(水)。いよいよ最後の束縛から解放される日がやってきた。

2012年3月18日。伸び盛りのサッカー小僧は大きな試練を背負った。右膝前十字靭帯断裂。
それから約2年4カ月。前十字靭帯再建手術で埋め込まれたボルトを摘出することになった。
これでコウスケの右膝から”異物”が摘出され、普通の膝に戻ることになる。
思えば大変な試練の連続で、彼がサッカーを諦めてもしょうがない状況だったと思う。でも諦めず忍耐と我慢でここまでたどり着いた。

 
             ↑ これが摘出されたボルト


主治医の先生からビニールに入ったボルトを手渡された時、父親である私はとても複雑な感情を覚えた。この僅か2cm程度のボルトが彼の靭帯を再建し、定着させ、守ってくれていた。絶望や希望や忍耐や羨望や確信はど、およそ考えられる、あらゆる感情がここに凝縮されていたように感じられたからだ。

そして、今、確実に言える事”最後の束縛からの解放”である。

さあ、焦らず、ゆっくり、サッカー小僧へ戻ろう。


◆テニスボールリフティング

2014-06-29 18:43:01 | 経過

テニスボールを地面に置いて、手を使わずリフティングする。
コウスケはテニスボールリフティングを黙々とする。
サッカーボールより数倍(数十倍?)難しいらしい。

コウスケは今”現在”のために練習していない。数か月後、あるいは1年後のために練習している。
彼のヒザが本来的な意味で”元通り”になり、修復され、発展した時のために練習している。

それは厳しい道のりになるだろうが、それを成し遂げた時、別の世界でサッカーができる。
そのために今を生きて欲しい。


◆心に残るフレーズ ~負けるもんか~

2014-05-27 21:20:57 | 経過

Hondaのコマーシャルで、心に残るフレーズがあった。


頑張っていればいつか報われる。
持ち続ければ夢は叶う。
そんなの幻想だ。

たいてい努力は報われない。
たいてい正義は勝てやしない。
たいてい夢は叶わない。

そんなこと、この現実の世の中ではよくあることだ。

けれどそれがどうした。
スタートはそこからだ。

新しい事をやれば必ずしくじる。腹が立つ。
だから寝る時間、食う時間を惜しんで何度もやる。

さあ、昨日までの自分を超えろ。

負けるもんか!



今のコウスケの気持ちそのままだ。

頑張れ、君は、負けるもんか!


◆2年前に見た桜は今日の桜とちがっていた

2014-04-02 00:14:29 | 経過

2014年4月1日
いろんな意味で”区切り”の一日である。
今日も昼休みに”桜”を感じにいった。
職場の近くの”桜のスポット”は、限界値的満開だった。
桜は明日から散りゆく運命を微塵も感じさせることもなく、私に満面の笑みを与えてくれた。


       
 


2012年のこの頃にも桜は咲いていた.......はずだ。
2012年桜が咲く少し前、息子は右膝に大きなケガを負った。
それがこのブログのきっかけであり、復活への記録であり、心の支えの拠りどころだった。

2012年に見た桜は、色褪せていた。
もちろん桜自体は色褪せているはずはなく、私の重苦しい心が、色彩の多くを奪い、桜を色褪せた。

2014年4月1日
桜は色彩を完全に取戻し、本来あるべき桜となった。




◆進路決定~サッカー小僧の夢は続く~

2014-02-09 22:46:07 | 経過

11月初めに、高円宮杯中国大会で敗退。
次に訪れるのは、進路=すなわち受験。
コウスケはやっとサッカーができるようになった。サッカーへの情熱は衰えることはなかった。
中学を卒業し、どこでサッカーをするか?県外の強豪校も考えたが、やはり『ケガ』のことがついて回る。
結局、我々両親が手許から手放すことが出来なかった。
で、あれば、せめて山口県から全国を目指すことのできる高校へ。そう願った。

第一志望は市内のサッカー強豪校へ。しかし目指す高校は全国経験無し。ただ、手が届きそうなところまでは来ている。
コウスケは『自分の手で(足で?)全国を掴み取る』ことを目標とした。

わずか3ヶ月半の受験勉強。眠い目を擦りながら頑張った。
そして、第一志望の高校に合格。
進路決定。サッカー小僧の夢は続きます。


◆ここまで辿り着いた。そしてサプライズ。

2014-01-28 00:09:50 | 経過

1月26日(日)コウスケのホームグランドで、山口県トレセンが開催された。
前回、回復具合を確かめるために召集され、今回も参加を許された。
受験勉強で暫く本格的な練習から遠ざかっていたので、幾分緊張しながらの参加となったようだ。

県立おのだサッカー交流公園に9時集合。
プログラムはレクチャー(講義)から始まった。
そこにはサプライズが用意されていた。
何と、現役U-17日本代表監督である、吉武博文氏が教壇(?)に立たれたようだ。(これはトレセン終了後、コウスケから聞いた)
レクチャーの内容は大きく分けて2つ。

臨場感溢れる、バーチャルな選手昂揚の手法。
後でコウスケが詳細な内容を教えてくれた。
そんなことをするんだ。選手をスピリチャルに鼓舞する瞬間をそのまま見せていただいたようだ。

次には理論。詳しい内容は不明だが、こちらは想定内。おおよその”察し”がつく。


レクチャーが終了したら、今度はピッチでの指導。
選手個別に改善ポイントを授けられたようだ。
コウスケはディフェンス時の体の向きを指導されたようだ。極めて当然だが、相手の有利さを削ぎ、自分に優位性を確保する。そんな感じだ。


目を輝かせながら、教えてくれた。

改めてピッチ上でプレーできる有難さを感じた。
ここまで辿り着いた。