突破力~完全復活までの記録~

この局面をどう乗り切るか
さあ、復活はすでに始まっている

◆6回目の18日がやってきた。彼は折れることなく前進し続けた。

2012-09-18 22:36:23 | 折れない心

ダウンジャケットを着込んで観戦していた3月18日のトレーニングマッチ。前半終了間際にピッチに倒れ込み、右ヒザを抱えたまま立ち上がれなかった彼。

早いものでそれから6カ月が経過した。つまり半年が過ぎたことになる。
順調に成長していた中学1年生のコウスケは、確実に次のステップへ足を踏み込みかけていた。
そしてその準備は出来ていた。
あとは、十数日で中学2年生になり、新しいステージでピッチを駆け回るはずだった。3月18日に負ったケガはコウスケの歩み方を変えた。

彼はその後、ケガとの戦いを強いられた。

4月後半に手術。
家族を含めた全員の心が折れかけた。
しかし、一番強く前を向いたのは、コウスケ本人だった。

我慢と苦悩と制限とリハビリの日々。
それでもコウスケは折れなかった。折れそうな私も折れることが許されなかった。

復活を夢見た夏休みの初め、再度起こった悲劇。
それでもコウスケは前を向き、2回目の手術に挑んだ。
トレセン行事にも参加できず、目指していたプログレスリーグはどんどん消化され、同学年の県チャンピオンズリーグも終了した。

その間も我慢と苦悩と制限とリハビリの日々は続いた。
そうやって、6カ月、つまり半年が経過した。

一言で半年といっても、伸び盛りの彼にとっては、とてつもなく長くて躍動感の無い半年だった。
半年前はベンチコートやダウンジャケットを着込んでいた。
その後すぐ、コウスケは中学2年になった。
そして春が来た。桜が満開になり、温かい風が吹き始めた。
多くのゲームが組まれたゴールデンウィーク。
鬱陶しい梅雨が終わり、本格的な夏の到来。
夏休み。猛暑の夏。
その間、コウスケはスクイズボトルを作り続け、サポーターを巻いた足でラインズマンでゲームに参加した。
そして、朝晩が過ごし易くなり、秋の気配が感じられるようになった。

この間、彼は黙々とリハバリを行い、折れそうになる心と戦い、復活を渇望した。
母親はかなり遠い病院までの通院とリハビリと練習への送り迎えの半年を費やした。
姉はそんな弟に、時には涙し、優しく包んだ。

今、コウスケはピッチに戻り、少しずつプレーすることが許された。
折れることなく前進し続けた彼は、何を失い、何を得たのだろうか?
ケガをしなかっらた出会わなかった人たちや、見えなかったものが彼の中に刻まれただろう。
そして、感謝する心と、プレーできる喜びを誰よりも深く気付いているだろう。


さあ、少しずつ取り戻して行こう。
いや、取り戻す必要はないかもしれない。
今から起こることを、一つずつ積み上げていけばそれでいい。

 

 


◆いろいろな配慮と制限があったが、半年ぶりに実践の空気に触れた。また、次の一歩を踏み出した。

2012-09-15 22:40:46 | 復活への階段

全体練習への参加OKが出て、5日目。
今日(9月15日)は、息子にとって”微妙なシュチュエーションにあるトレーニングマッチ”が』行われた。

具体的な”微妙”への考察はこんな感じだ。

先ず、こんな中途半端なケガ回復者がゲームに参加することが許されるのか?
コーチの配慮(前半15分および後半終了までの15分限定出場)をいただいていいのか?
チームのメンバーのモチベーションに悪影響を与えないか?
コウスケに自制心(あるかどうかも怪しいのだが。・・・・)が働くのかどうか?
コウスケのヒザはどこまで回復しているのか?
彼がもう一度怪我をしてピッチに崩れ落ちた時に平然と対応できるだろうか?
そして何より、半年ぶりのコウスケのプレーが通用するのだろうか?
いろいろな????????が、私を襲った。





        ---------◆私の”微妙”への考察◆---------

色々な局面で思ったよりフィットしていた。
正しく、やさしいセンタリングでアシストすることもできた。


色々なものが、姿を変えながらコウスケの目の前に訪れる。
ただ確実に言えることは。『いろいろな配慮と制限があったが、半年ぶりに実践の空気に触れた。また、次の一歩を踏み出した。』と言うことだ。


◆本格的な復帰のための緩やかなスタートをきった。そして息子はフリーマンとなった。

2012-09-14 00:01:31 | 復活への階段

先日(9/11)の診察で、ようやく全体練習参加のGOサインが出た。
前回の復帰(7/24)の時は、ある事を目指して、いきなり全開モードでプレーしてしまい、再度ヒザを傷め、再手術することになってしまった。
同じ轍を踏まないように。

復帰2日目。ゲーム形式の練習。
コーチはコウスケにあるミッションを与えた。
「コウスケ、暫くフリーマンとしてプレーして。」
コーチの心遣いがとても有難かった。
ハードな接触プレーを避けながら、パスの精度アップと、ピッチ全体を見るなど、多くのメリットが享受できるからだ。
がむしゃらにハードワークするプレースタイルからも変化が必要かもしれない。
ひょっとすると、違ったサッカー感に出会うことができるかもしれない。

確実に言えることは、次が始まったということだ。

ゆっくり、じっくり、少しずつ。


◆9.11 ”復活の第一歩”になった。サッカーができることは、めちゃくちゃ感慨深かった。

2012-09-11 23:36:29 | 47番の想い

9.11。
今から11年前(すなわち2001年)、ありえないことが起こっていた。
俗に言う、同時多発テロの日だ。



2012.9.11

慌てることなく、次のことが始まった。



UBE・C病院。
全体練習復帰完了。


息子とって、次のための記念碑的な1日だった。
ステップアップ完了。



◆久々のスパイクは息子に新たな息吹を与えてくれたようだ。やはり彼はフットボーラーだ。

2012-09-06 23:53:04 | 復活への階段

17時26分。
勤務中の私のスマホにコールが入った。
息子からのコールだった。
「もしもし、父さん、今いいですか?」
「どうした?」
「今日の練習にスパイクを履いてもいいですか?」
「いいよ、でもくれぐれも気を付けて。ヒザに負担がかかったら、無理しないように!」


久々にスパイクを履いた。8月1日に手術し、退院した後、”退院祝い”として、買ったシューズだ。
購入後、人工芝用の丸スタッドのシューズはコウスケの勉強机のすぐ脇で、ひっそりと出番を待ちわびていた。とうとう彼(?)の出番が訪れたようだ。

コウスケは人工芝用のシューズで人工芝のグランドを何週も走った。
そうすると、ある種の感情が躍起された。
「サッカーしたい。ボールが蹴りたい。ゲームに参加したい。」
彼のフットボーラーの本能が芽生えた瞬間でもあった。


スパイクは息子に新たな息吹を与えてくれたようだ。やはり彼はフットボーラーだ。


◆躍動を許されない夏が終わっていく。夏休み最後の試合で夏雲は彼をゆっくり見守った。

2012-09-02 22:21:27 | 経過

9月1日。
山口県チャンピオンズリーグ。2部B後期最終戦。
僅かながら1部昇格への望みをつないだ闘いになった。
相手チームは、徹底的に個人技に拘るクラブチームとの対戦となった。
そのチームには、昨年まで県トレセンで一緒に活動した4名の選手が所属していた。

試合はある程度の白熱はしていたものの、決定的な緊張感は感じられず、チャンスを決めきれない我がチームと、チャンスを逃してまでも個人技に拘る相手チームとの微妙な闘いとなった。
コウスケはそんなゲームのラインズマンをしていた。
タッチラインを走りながら、いろんなことを感じていたようだ。
そんな彼の心のつぶやきは、大きな独り言となって、表面化していた。
彼は心の中で”地団太ふみながら”懸命にラインズマンの枠割をこなしていた。

こうして、躍動を許されない夏が終わっていく。
夏休み最後の試合で夏雲は彼をゆっくり見守った。
空には綺麗な夏雲が悠然と立ちすくんでいた。
次の夏は夏雲の下、躍動をしているコウスケに会えるだろう。