突破力~完全復活までの記録~

この局面をどう乗り切るか
さあ、復活はすでに始まっている

◆実際のピッチには立てないけど、息子の心と気持ちはピッチの中にある

2013-03-30 00:22:20 | 経過

2013年3月30日。
息子が憧れ続けた”CFAプログレスリーグ2013”が開幕する。
その戦いは、自他ともに認める県内最大のライバルチームである。
そのチームにはコウスケにとって多くのサッカー仲間がいる。
トレセン仲間であり、メール仲間であり、山口県代表として共に戦った仲間でもある、そんなライバルチームだ。

残念ながらコウスケはピッチに立てない。
でもコウスケ”ピッチに立って実際に戦うこと”以外は、最大の努力をする。
ラインのすぐ外から闘魂を注入し、仲間を鼓舞する。


実際のピッチには立てないけど、コウスケの心と気持ちはピッチの中にある。


◆3月18日。彼が負った運命の1年が経過した。そして次の1年が確実に始まる。

2013-03-17 11:05:03 | つぶやき

2012年3月18日。午後4時過ぎ。息子は右ヒザを抱え、苦痛に顔を歪めた。
あれから1年。
コウスケは自分では払いきれない運命から避けることはできなかった。
その時は、まさか1年間、これほどの苦悩を強いられるとは思わなかった。
我が家にとっては、いろいろなものが根底から覆った。

中学に入学して順調だった。いや、順調すぎたのかもしれない。
試合には先発で出場できた。そのうち、重要な役割を期待された。結果を残しはじめた。
トレセン活動も順調だった。地区トレセン、県トレセンで結果を残し、県トレセン選手になった。県トレセンの練習会で何かが認められ、中国トレセンへ選出された。
中国トレセンで躍動し、何とナショナルトレセンに選出された。
チームに帰ると、一つ上のカテゴリーに抜擢された。
そこでも一定の結果を残した。
13才のサッカー小僧は順調に成長していた。
そして地域最高峰リーグの開幕を待つばかりの2012年3月18日、午後4時過ぎ。何の前触れもなく、”それ”は突然に訪れた。


結局、3度の手術を受けた。最後の靭帯再建手術から4カ月が経過した。
2013年3月18日がやってきた。

私の心の中で、3月18日のあの場面を思い出さない日は、1日たりともなかった。
本当に1日もなかった。365日、3月18日のあの場面を思い出した。
1年365日はコウスケにとって、苦痛と苦悩と我慢と屈辱と忍耐の毎日だった。


でも、最も辛い1年間が過ぎ去った。
新しいシューズを履き、少しずつ、ゆっくり走り始められそうだ。
久々にいつもの5号球でトス練習をした。
インサイドトス。インステップトス。ももトラワンタッチトス。胸トラワンタッチトス。
そして久々にコウスケのボールリフティングを見た。
数えていたら、楽に500回は超えた。もう数えるのはやめた。
彼のサッカーへの息吹が膨らんだ。

もうすぐ桜が咲く。
2012年に桜は儚く散り去った。
2013年の桜は美しくゆっくり咲くだろう。
そして、綺麗に正しく散っていくだろう。

多くのものを失い、いくつかの大切なものを得た1年が過ぎ去った。
失った数以上に、ひとつ、ひとつ大切なものを拾い続けながら、この1年を過ごせばいい。

これだれ苦しんだのだから、次はきっといいことがいっぱいあるよ。
ね。キャプテン!




◆定期診断 ~主治医の短い診断は『便りが無いのは良い便り』と同等か?~

2013-03-05 23:48:06 | 経過

2013年3月5日(火) 息子の経過を確認する主治医(Dr.M)の定期診断があった。
付き添った母親からの報告はこんな感じだ。

Dr.M 「無理してない?」
コウスケ 「はい、無理していません」
Dr.M 「そう、それは良かった」
~左右の膝を触診~
Dr.M 「次は4月に診察。5月になったらMRIを撮りましょう。では来月。」

このように、実に淡々とシンプルに診断は終わったらしい。

そうすると、ある言葉が浮かんできた。
『便りの無いのは良い便り』つまり、便りのないのは無事な証拠である。

主治医であるDr.Mによっては、想定内の予想通りも経過なのだろう。

父親としては、ホッとした。と同時に「しっかりとブレーキをかける」ことが私のミッションになりそうだ。



◆彼にとっての聖地 ~サンフレッチェ広島vs浦和レッズ~ Jリーグ開幕戦

2013-03-03 18:22:53 | 47番の想い

いよいよ、”Jリーグ2013”が開幕した。
息子のチームが広島ビッグアーチ(エディオンスタジアム広島)に観戦にいったので、私も便乗した。
久々のビッグアーチは、私に懐かしさやピッチで躍動する息子や興奮や祭りの後の寂しさなど、いろいろな感情を与えてくれた。

私と息子にとっと、ビッグアーチは”特別な場所”なのだ。

   

初めて観戦した時は、ずぶ濡れになりながら駒野選手の得点に歓喜した。

             

三浦知良の最年長ゴール(当時)にも遭遇した。
(当時、サンフレッチェでプレーしていた柏木陽介選手は、途中交代する三浦選手にピッチ上で握手していた)

ウェズレイ選手のJリーグ通算100ゴールも見届けた。

ジュビロの前田選手のゴールも目撃した。

               

彼自身プレーヤーとして、このピッチで躍動したこともある。→その時の記事

彼にとっては”聖地”とも言えた。

ビッグアーチはコウスケの成長と大いにリンクしている。


少しずつサッカー選手として再生中の彼にとって、両軍の選手達の躍動する姿は、どのように映っただろうか?
かれの中のサッカー選手としての本能が疼いたに違いない。