突破力~完全復活までの記録~

この局面をどう乗り切るか
さあ、復活はすでに始まっている

前を向くしかない

2012-04-21 23:56:38 | 想い

私の中ではまだ、すべてを吹っ切ることができない。
多くのサッカー仲間たちは、普通に、ごく当たり前にサッカーをしている。
走り、ボールを蹴り、飛び跳ね、息を切らす。
息子は3月18日のあの一瞬の前まで、当たり前のように、何の疑いや、ためらいもなくサッカーをしていた。
私は、彼が停滞することなく、永遠にサッカーをするものと思っていた。

突然、停滞を余儀なくされた。


心が折れそうになりながら、現実を直視して頑張っている息子を見ると、前を向くしかない。
そしてこう誓った。
「オレはお前のために絶対に頑張るから。」
前を向くしかない。


折れそうな心。オレってこんなに弱かったのか?

2012-04-21 23:37:22 | 想い

受け入れたくない現実が目の前に提示された。
あの息子が、こんな苦境に立たされている。
次ぎの日、出勤したがどうしても”そのこと”が頭から離れない。
昨日で解放される予定だったので、そのギャップの大きさに心が折れそうになる。
昼休みになった。気分転換に散歩をした。
今まで躍動しながらプレーする息子の姿が目に浮かぶ。彼はいつも仲間を鼓舞し、自分のできるすべての、あるいは、それ以上のパフォーマンスを繰り広げた。そんな彼に突き付けられた現実。
歩きながら泣いていた。悔し涙が次々と流れた。涙だけでなく、嗚咽していた。
「あいつ、何にも悪いことしてないのに。いつだって一生懸命サッカーしてたじゃなか。今回もいっぱい我慢してたのに、なぜ?どうして、あいつがこんな辛い目にあわなけりゃいけない?なんで?」
涙が流れた。
「3月18日さえなかったら。あの時、風邪で熱でも出していたら。大雨が降ってトレーニングマッチが中止になっていたら。あの一瞬さえなかったら。」
次々に現実から回避することだけを考えた。

オレってこんなに弱かったのか?    自己嫌悪に陥る。


4月17日 彼はとても失望したが、すぐに前を向いた。

2012-04-21 22:54:13 | 経過

息子がケガを負って、ほぼ1カ月が経過した。
ランニングGOサインがでた後、47番は順調に回復した。
47番がケガを負った後、彼の体調の早期回復のため、母親は徹底的な食事療法を行った。
毎日「もずく」あるいは「めかぶ」が食卓にのった。肉料理から、魚料理や野菜料理へと一気に変わった。47番は文句も言わず、黙々と食した。1日も早い復帰のために・・・・。

いよいよ4月17日、Mドクターによる”見極め”の日となった。
47番は、診察に時間がかかってクラブの練習に間に合うように、練習着に着替え、ピステやシンガードやスパイクやボールやドリンクを準備して、診察に臨んだ。
全体練習に参加するために・・・
儀式のようなMRI検査を行い、『経過は良好、今日から全体練習に参加していいよ』とMDドクターのOKが出る、はずたった・・・



「〇〇く~~ん。診察室へどうぞ。」看護婦さんの明るい声で47番は呼ばれた。
MRIの画像を見ながら少し険しい表情のMドクターが待機していた。

診察結果は極めて思わしくないものだった。
いくつかの重要な指摘がされ、我々は想定外の選択を強いられた。
受け入れたくない現実が、目の前に提示された。
彼はとても失望した。が、すぐに前を向き、ある決意に満ちた言葉を口にした。
「手術した方がいいということですね。そしたら、一番早くできるのはいつですか?」

私は心の中で涙した。
あれほど熱意を持って真摯に謙虚にサッカーをして、ケガの後も回復のみを目指していろいろなことを我慢し続けた彼が、どうしてこのような”仕打ち”を受けなければならないのか。
でも、今目の前に示されている現実がすべてなのだ。
47番は、敢然と前を向いた。
その日のうちに、手術のための検査が行われ、日程も決まった。

夢であって欲しいと思うことは、いつも現実だ。
病院から出て車に乗ると、母親の目から涙が流れた。
私も心の中で泣いた。確実に目は潤んでいたと思う。
でも、一瞬ですぐに前を向いた息子の気持ちを思うと、違う感情が生まれた。
そして、彼と彼の母親の前で、こう言った。
「オレ、絶対頑張るから。おまえのために絶対頑張るから。」


彼のために頑張る以外は考えられなかった。




その間のチーム。プログレスリーグ開幕

2012-04-21 22:27:30 | 47番の想い

47番が走ることを始めた4月7日、いよいよCFAプログレスリーグが開幕した。
47番が目標にしていた大会のオープニングゲームは、天然芝グランドのホームタウンで行われた。今までとは全く違う雰囲気の中でBGMが流れるな天然芝グランドでウォーミングアップが行われた。47番はグランドに出ているものの、ボールを蹴ることなく、仲間を見守っていた。

選手は整列し、試合開始を待った。右ヒザのケガがなかったら、たぶんこのピッチに並んでいたであろう47番は”ビデオ撮影班”として開幕戦を迎えることとなった。

開幕戦は4-1で勝利。順調な滑り出しだ。
47番は何を見て何を感じただろうか?
そう思うと、不憫でならなかった。チームの選手が揚々と引き揚げるその中に静かに紛れ込んだ。
こうして、出場できなかったCFAプログレスリーグ第1節が終了した。


翌週(4/14)CFAプログレスリーグ第2節が、やはり47番のホームグラウンドで行われた。
復帰を目の前に控えたはずの47番は、ある再会をする。
対戦相手のチームには2年生ながら正ゴールキーパーになっていた選手がいた。彼とは、昨年11月のナショナルトレセンで知り合った。一段とパワーアップしていた。
47番のチームのシュートをことごくファインセーブした。
結果的には、2-0で勝ったが、ゴールキーパーが彼でなければ、5-0あるいは6-0で勝利していても不思議でない内容だった。
47番は『俺だって、成長し、ひょっとしたら彼からゴールを奪うことができたかもしれない』と思っていたに違いない。
まあ、次の火曜日、すなわち4月17日に全体練習への合流OKが出ればすぐに復帰できる。
私も47番も、監督も仲間もチームのサポーターもそう思っていた。


あと、少し。ほんの少しの我慢だ。