手術を受けることを決めてから、父親である私は、身を切られる思いで日々を過ごした。
大袈裟ではなく「人生で一番つらい」時間だった。とにかく、淋しくて、不憫で、悲しかった。
彼を病院に送っていく4月22日の夜は、すべての種類の悲しさに満ちた時間で、彼を置いて病室をでる時は、絶対涙が流れるだろう。漠然だが、そう思っていた。
午後8時前、入院先の病院へ戻った。
最終的な入院のセッティングが終わり、手術への不安が増すと思っていた。
息子は、白い歯を見せて、我々に話しかけた。
「大丈夫、テレビも、ウォークマンも、PSPも、携帯電話だってあるから。」
彼の振る舞いには、不安を感じさせるものは、ほとんど見受けられなかった。
結局、一番強いのは息子だった。
もう、眠っただろうか?
明日の今頃には、多くのことが終結に向かっている。
結局、また、私は息子に助けられた。