日本統治時代のスタンプです。リュックサックをイメージした独特なデザインです。今でこそ郊外都市になっている汐止ですが、日本統治時代は炭坑密集地帯でした。また、このスタンプでも記されているように、ハイキングスポットでもありました。ちなみにここはあまり知られていませんが、台北に最も近い蝶の名所でもあります。
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台湾総督府通信部の依頼、1932年(昭和7年)1月より押印開始。
古名「ツイトゥンカア(水反脚)」は殆ど通じず。みんな「シプチイ(汐止)」と呼んでいた。
ところで、飛行場の「松山」、我々は「まつやま」と呼んでいたが、最近は「しょうざん」とルビが振ってあるのが散見され、かなり驚いている。
かつて地球の歩き方やNHKは基隆に「きりゅう」とルビを付けていたことがあります。これはもはや勉強不足としか言いようがありませんね。現在も港としての呼称は「キールン」ですし。