日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

中津視察と宇佐神宮

2012年02月14日 21時35分10秒 | 日記
スマホの「さ」がよく「そ」になり佐藤そん、田中そんとなりがちな、いかわたいきです。

2月13日に中津市に「中津からあげ」ブランド化の視察に行ってきました。





何故、ブランド化できてここまで、知名度が上がったか?と… 

僕が1月に行われた大丸日田展で疑問に感じた行政・観光協会・民間(企業)との連携がうまくできておらず、チグハグな部分があったためです。
僕の予想としては、ここまで知名度があるのであれば、必ず縦横の連携が出来ていると思ったからです。

なので今回は、その連携と今後のビジョン等を含めて色々と意見交換をさせて頂きました。

まず、観光協会の説明してくれた方は元々民間出身だったので考えが柔軟でスピード感がかなりありました。その人のビジョンや戦略を簡単に説明すると…

〇 敢えて「からあげ」だけに特化してこの2年をやった。
〇 これは短期ビジョンで、まずは「中津市」を全国の人達に認識して貰うのが最初、からあげ店だけが儲かったり、依怙贔屓している訳ではない。
〇 中長期ビジョンはからあげで来ていただいた観光客に波状効果(他の業種(宿泊等)や場所(観光地)に連れて行くか?)を考え民間業者と協議している。
〇 ビジョンの例の1つにからあげ店に観光マップを置き、店に来た観光客に店員が観光ガイドなりアドバイスをする。
〇 僕が気になっていた連携は行政がまったくできていなかった、しかし、観光協会と民間が凄く距離が近く、少人数だが行政の中にも理解者が居た。

ほんの一例です、たくさん説明したいですけどね、物凄く長くなりますので省略させて下さい(笑)




意見交換をさせて頂いた観光課の方と観光協会の方




手提げ袋や封筒までこのこだわり。




ギネス認定書




僕がからあげを食べに行くと話したら、マップにオススメを教えてくれました!(3店舗教えてもらい全部行きました。)


その後、宇佐市で市議会議員をされている辛島市議と意見交換をしに宇佐市へ。委員会が開かれていて多忙な中お時間を取って頂きありがとうございます!!


そして、宇佐まで来たら宇佐神宮に行かなアカン!という事で初めての宇佐神宮に行ってきました。





何と言いますか、ここで初めての感覚を味わいました。普通に宮内を歩いている時にフッと体が軽くなり、急に精神?が落ち着いてきたんですよ。自分でもうまく説明できないんですが、とにかく不思議な体験でした。


(※ 後で調べたんですが、宇佐神宮ってパワースポットなんですよね、それかな?)


そして帰ろうとしたら宮内の一角でこんな事が。





初めて来たので勿論ですが、何が始まっているかサッパリわかりません。




地元?の人に聞いたところ、今日(2月13日)は「鎮疫祭(ちんえきさい)」という無病息災を願う祭りだそうです。そこで祭りや宇佐神宮の説明を聞いていたんですが・・・その時、





何かをいきなりバンバン投げ出し始めました。それに群がる人達、僕に説明してた人も消えて…僕一人…。

とりあえず、何を投げているか取ってみたら、これ。





紅白餅。これを食べると1年を無病息災で過ごせると説明していた人が戻ってきて説明してくれました。

しかし、説明してくれた人は両手一杯に餅を抱えてたので「どんだけ願う気!?」と心の中でツッコんでおきました。


バレンタインチョコではなく、バレンタイン餅でした。ありがとう神様、ありがとう宇佐神宮♪


では、また。

馬原小学校閉校式

2012年02月13日 19時25分55秒 | 日記
最近ダイエットコークをよく飲みます、いかわたいきです。

2月12日に天瀬の馬原小学校で、閉校式が行われました。今年度12校が閉校になり新しく4校に統廃合されます。この馬原小学校も「東渓小学校」となり、4月から新しい小学生を招き入れます。







閉校式は滞りなく終わりました。馬原小学校は合併後55年の歴史がありますが、元々は明治9年(1876年)から馬原小学校とあるため126年の歴史があります。

※ ちなみに1876年の出来事として廃刀令が公布、上野公園の開園等。


長く重い歴史に一旦区切りを付け、4月からまた新たな歴史が始まります。





毎度の毎度、おなじみの市長と井上議長



その日の午後に、パトリア日田で「チェルノブイリと九州の原発」というタイトルで最初は映画の上映でその後は講師を招いての講演会でした。
映画はチェルノブイリで被爆した方や子供達の今や事故後、変形した心臓を持つ子供が目立って生まれ、放射線による影響とみられました、変形した心臓が「チェルノブイリ・ハート」と呼ばれている子供の手術等もありました。僕は直視する事が出来なかったため内容に関しては控えさせて頂きます。


その後に講演会





この講演では、新しい発見もありました。そして既に知っていた事もありましたが、ここで敢えて記載させて頂きます。





この表にあるように赤い部分が原子力発電です。そして折れ線が最大電力消費量、残りの発電が水力と火力。これを見て分かるようにずっとずっと前から原発なんかいらなかったんです。そして17基ある原発が全部稼働したのは今まででたった1週間しかありません。そんな不安定なものが原子力です。

何故作るか?

それは、結局お金です。電気料金についてかなり簡単に言うと請求額=設備費用+使用料となり、設備をすればするほどたくさん請求できるという流れです。だから設備費がたくさんかかる原子力を建てた。

原子力発電の元々の意味は火力や水力がダメな時のあくまで補助的な存在だった。それがいつしか変わった。そして大震災後、放射能被ばくという「人災」を招いた。

天災なら納得がいく、しかし、人災なんか誰が納得できるのか?

参加者の1人が言ってました。「どこまで我が事と思うか?」と。九州に居るから安全なき知らんやないんです。

僕は、今すぐに!脱原発とは思っていません、エネルギー政策は10年スパンで考え、そして順次廃炉移行+自然エネルギーにしていくべきです。アイスランドの地熱発電機は全部日本製です、偏西風が吹き荒れる日本は風力発電もできます、物作り日本にはその力がまだあるんです。

馬原小学校の様に126年という歴史の長さや重さを感じる様に、神武天皇から続いているこの「日本」という国と未来の子供達を守るために。

そして事実を知ったなら僕達は伝える義務があるのだと僕は感じています、未来の子供達に僕達が勝手に作った負の遺産を残さないために。


では、また。


東日本大震災活動報告会

2012年02月12日 17時57分02秒 | 日記
最近、パトリア内にあるカフェがマイブームのいかわたいきです。
そろそろ3月議会での一般質問内容に本気で取り組もうと思っています。

さて、2月10日にパトリア日田で「東日本大震災活動報告会~自信・津波・・・そして現在~」が行われました。
日田市から東北へボランティアに行かれた方達と現地石巻市の仮設住宅に住んでいるご夫婦をお呼びし、最初はボランティアの方達が行った活動とその後、ご夫婦を交えてのパネルディスカッションをありました。







ご夫婦からは当時の状況を悲痛に感じつつも話してくれました。津波は巨大な垂直の壁となって押し寄せてきた事、避難所での悪臭や、自分達の手元に食糧が届いたのは地震発生後1週間後(食糧も毎日変わらず同じメニュー)、3日目には毛布等は届いたが、それまでは着の身着のままで逃げたので濡れた服で過ごしていたと。

阪神淡路大震災ではカセットコンロが大活躍した。しかし、カセットコンロメーカーによってガスボンベの規格が違うため、あるのに使えないという状況が起こりそれ以降全て同じ規格に改正された。
なのに、東日本大震災では、まったくその教訓(カセットコンロが活躍する)が生かされず、炊き出しや自衛隊が来るまで冷たい食事を食べていた。

以前このブログで紹介した中井正義氏が仰っていた自分のブログに阪神淡路大震災を経験した人からのメールを紹介しました。
「阪神淡路大震災と今回の災害はまったく一緒です。しかし、政府は臭いモノに蓋をしている。(阪神淡路大震災の)教訓がまったく生かされていない、これからが本当の闘いです。私達(阪神淡路大震災)はまだ終わっていないんです。」

この時の言葉と目の前にいるご夫婦の話している事が結びついて、時折会場内には笑いも起こっていましたが、僕は凄く恐怖感を感じていました。



最後に、「今は仮設住宅で大変でしょう?」と言われるがそうは思わないし、私達は地震、津波、避難所暮らしという最低な生活や経験をしていたので今(仮設住宅)の普通の暮らしが出来ていることが幸せと話していました。
僕は、「復興」ではなく、「復旧」もままならない状態と感じています、しかし…、全員とは言いません、それでも立ち上がりかけている人がいる事、痛みを乗り越えて生活している人がいる事も忘れてはいけない。


では、また。

グループ・ラム

2012年02月11日 16時50分18秒 | 日記
さっきと続けて更新、いかわたいきです。

2月9日の続きの障害福祉施設訪問4つ目の主に精神障がい者を対象としている「社会福祉法人 グループ・ラム」に視察と意見交換に行きました。





就労継続支援B型のラムでは、昼過ぎに訪ねた時、ちょうど利用者が作業中でした。





タオル折り畳みと梱包中。





違う場所では、ウエスのカット。





こういったストラップもラムでは作っています。


また、違う場所ではネギの仕分けも行っていました。ここは、10名の定員枠であり、施設長の考えとして利用者にのびのびと使ってほしいとの事です。
僕は3障がい(身体・知的・精神)の中で1番精神にが知識が乏しいので色々と勉強させて貰いました。僕は精神が1番周りから見たら分かりづらしい、対処も難しいのではないかなと感じました。
国の考えは3障がいは一緒にしましょうという考えですが、僕の今の考えでは、3障がいを一緒にするのはまだ早いのではないか?と感じます。

とにかくまだまだ現場を見て、そして勉強するのみです。

最後にお忙しい時に時間を取って頂いた廣田さんありがとうございました。




学校授業と林塾

2012年02月11日 16時28分14秒 | 日記
ダイエットまっしぐら!いかわたいきです。

2月9日に竹田市立久住小学校で大分県若手市議会集団「Start!おおいた」で政治授業を行いました。以前行った津久見や佐伯でのように堅苦しく政治とは?とかではなく、自分達の身の回りにある出来事でご紹介をさせていただきました。





学校入口にはこんなお出迎え。

今回は、6年生を対象にどうせれば自分達の街(久住町)が良くなるか?そして自分達でできる事は?を政治家としてアドバイスをするという立ち位置です。





生徒が3班に別れそこに市議が1人付き、予め自分達で2つ提案した事に対して一緒に実現に向けて話し合いました。





最終的に決まった事は「まちかどおしゃべりサロン」という6年生が製作したテーブルとイスを街角に置き、独居老人達の交流の場として提供したいとの事です。確かにこれなら自分達ですぐに実現できると思います。

他にもご老人のための温泉施設を作る、服の移動販売車(アドバイザー付き)、心配ご無用テレビ等たくさん良い意見も出されていました。
以前も書きましたが、こうやって1つのお題に皆で話し合って、良いと思う案を出して、皆で議論してそれぞれのメリットやデメリットや質問をして話し合って、それでも決着がつかなければ多数決を取る。それが僕達「政治家のお仕事」でここまでの過程で民主主義です。

これだけで全部を分かってもらおうという意味では無くて、この子達が大人になった時に「あぁ、あのおっさん達が言よった事はこーいうこつなんや」と思い返して貰える事が本当の狙いです。

そして、自分の意見が採用されなかったからダメな意見ではないです。今回は、「自分達」で「卒業」までにできる事となったため、まちかどおしゃべりサロンが選ばれたのですが、皆から出された意見は全部実現可能です。俺が大人になって温泉施設を作る!と想い、行動を起こせば必ずできますし、移動販売も自分が車の免許を取って、服の知識をつけて販売すれば出来るんです。


子供達の可能性は無限大です、「僕の…」「私の…」意見が否定されたとかで自分達の可能性や希望を狭める必要はないという事です!







その後昼過ぎに日田市で、障がい福祉施設「グループ・ラム」に視察と意見交換に行きました。

↑これはブログに後で書きます。


その後、林英臣政経塾に参加のため福岡に向かいました。

今回の政経塾では、「原大本徹」というざっくり言うと自分(政治家)の種(信念・核)となるものと、その後の幹(行動、思想、国家観等)を文章化して先生含め、先輩塾士達に発表するという事でしたので、以下に記述します。


○ 原点
3歳の頃、私の目の前で兄が車に跳ねられ命は助かったが、脳に障がいを持ち、いわゆる「知的障がい者」と言われる様になりました。そこから環境が一変し、家族と共に周りの陰口や批判、学校でのイジメ等辛い時期を過ごしました。それ以上に辛かったのが両親であり、最初は漠然と自分の家族を救いたいと考えていました。そして22歳の時、ある本を読み「政治家(市議会議員)」という職業を知り、「いつか政治家に…」と考えを持つようになりました。23歳の時、兄の事で市役所や県議に相談するも余りの対応の悪さに憤慨し、自分が政治家になる事を決意しました。


○ 大局
障がい者本人とその家族の状況を調べていく内に同じ境遇やもっと大変な状況の人達がたくさんいる事を知りました。そのため障がい者本人の待遇や制度は見直されつつあるも、その周りにいる家族への対応やケア等は進んでいません。そしてどの地域も大同小異で同じ様な状況なため、私の地元日田市に次世代福祉モデルを作り上げ、それを大分県のモデルにし、九州全土から、さらには日本全土に広げます。


○ 本氣
福祉には「生産性がない」と考えられるが、そこを補うために「生産する福祉」の自治体モデル作成を2015年までに骨格を作り、2017年に県に成功モデルとして売り込み、各市町村へ導入。九州を始め、日本全土へセールスマンとして売り込みを掛ける。


○ 徹底
まだ具体的な福祉モデルが出来てないため、何と結びつけるか?「飲食+福祉」「林業+福祉」「スポーツ+福祉」「農業+福祉」等模索中なため根底には「福祉」を置きつつも、色んな分野を学びつつ、どの組み合わせがベストか2014年までに3つほどの具体例を作る。


先輩や先生からのご意見としては、ハッキリ言うとボコボコのフルボッコ(笑)少しだけ上げると…

「これは市議会議員という枠組みではまとまっているけど、そんなので我々の同士となろうと思っているの?お前の目指している国家観ってこんなの?」
「原点が見えない、もっと掘り下げて自分と語り合い、もっと内から迸って出てくるものはないの?伝わらない!」



… 効きました。そして気づかされました。いつしか自分がこせこせ小さくまとなっている事に、ちっぽけな国家観を見ていた事に。そして自分が気づかず、抑え込めていたトラウマに。


その後は、先輩塾士と塾生を交えての懇親会。




ここでのお話や凄い有意義でした、先輩達から頂いた意見をわかりやすく解説してくれたり、お互いの取り組みや考え、これからの連携等、貴重な意見交換の時間でした。

とにかく、原大本徹は明日までに書き直し、もっと自分の深い所までえぐっていきます。


では、また。