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~球児たちの あしあと~

兵庫球児100年のあしあと 53

2018-07-06 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 53


第99回大会、昨夏は春夏を連覇した神戸国際大附属が輝く一年だった。

昨年チームの森田選手は、2年前主将を務めた森田選手の弟。

森田選手のお父さんともご縁があり、兄弟とも国際での活躍を見させていただいた。

兄の森田主将の夏は惜しくも明石商業に阻まれ甲子園へは辿り着けなかった。

弟、森田選手はその想いも胸に、夏甲子園で輝いた。

それは森田選手だけではなく、この年の現役選手やOB、親御さん方も

あの夏の悔しさを持った夏だったかもしれないが、仇討と言うより

選手たちは夢掴むために一瞬々を一所懸命。

甲子園でものびのびプレイする姿の方が印象に残る夏だった。

甲子園でも大活躍した谷口選手は今夏2連覇を狙うチームの柱にまたなることだろうと楽しみである。


神戸新聞に連載された球児たちが創ってきた第1回大会から99回の長い年月。

私が全く知らない90回分の兵庫の高校野球で名を残した選手たちや時代の背景など、

高校野球に興味が沸き応援してきた99回大会までを短期間のうちに一気に知り、振り返ることができた。

記事には決勝を中心に書かれてあるが、その年代の大会々には、

それだけでは知り得ることができないくらいの本当に多くの球児たちの頑張りや苦楽があったと思う。

改めて99回の兵庫高校野球の歴史を創って来られた選手たちに、ありがとう。

貴重な兵庫球児のあしあとを99回大会にわたり連載いただいた神戸新聞、記者の皆様に感謝致します。

この年は、このチームが優勝・・・ということは容易に知ることができるが、

その中にある選手や指導者の気持ちやエピソードなどは、なかなか全部知ることなんて難しい。

たぶん捨てられる運命にある新聞紙。

99回分の兵庫球児の歴史が詰まったこの連載を捨てられるなんて、

あまりに残念だなと思い勝手に転写させていただきました。

神戸新聞社様 もし不都合かあればお連絡下さいmーーm。

知らない90回大会分を興味深く、見てきた9大会分を懐かしく思いながら、

記者様が書かれた一字一句を間違わないよう手書きせていただきましたが、

不注意で間違いなどあればご容赦下さい。

記事を見れて、この年の〇〇の時は、応援バスに乗って行ったんや~とか、

懐かしく見ましたなど、その年代に居た選手や応援者の方々から声を届けていただきました。

兵庫の99回の夏には99回分の・・・色々な思い出や想いがあることが素敵だなと思うと同時に、

99回分の兵庫球児たち、そして幻となった甲子園、地方大会に居た選手たちの想いを繋いで

いよいよ100回目の夏、これから先の100回への兵庫球児たちの挑戦の夏が始まります。

兵庫球児100年のあしあとに名を残すのはどのチームなのか・・・

今夏も多く球場で応援できたら、見届けれたらいいなと思います。


第99回大会(2017年)

~神戸国際大付 春夏連覇~


第99回大会決勝で明石商業を下し、春夏連続の甲子園出場を決めた神戸国際大付ナイン


強豪校が階段をまた一歩上がった。

2017(平成29)年の第99回大会は、神戸国際大付が3年ぶり2度目の優勝。

激戦区・兵庫で10年ぶりの春夏連続甲子園出場を果たした。

エース岡野佑大ー猪田和希の強力バッテリーを軸に7試合で3失点と盤石だった。


選抜大会4強後に永田裕治前監督からタクトを繋いだ大角健二監督率いる報徳との準決勝では、

1-1の六回に猪田が決勝ソロ。

下級生主体ながら3年続けて勝ち上がった明石商との決勝も、一回に猪田が先制弾を放ち、岡野が3安打で完封した。


明石商業の3年連続準優勝は1951~53年の育英以来。

神戸国際大付は、同校生徒が考案した第99回全国選手権のキャッチフレーズ

「じぶん史上、最高の夏」の通り、夏の甲子園初勝利も挙げた。


神戸新聞 山本哲志氏 =おわり=


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41~50
第78回~第94回大会(1996~2012年)


兵庫球児100年のあしあと 51
第95回大会(2013年)
第96回大会(2014年)


兵庫球児100年のあしあと 52
第97回大会(2015年)
第98回大会(2016年)



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