今日は
私立高校の受験日です
・・・人生、初めての挑戦。大きくなりました
ここまでアッという間に大きくなった感じがします。
写真を整理していると、15年前の『阪神淡路大震災』の画像が・・・・・・あのとき、生まれたて2ヶ月でした
それがもう15歳・・・
月日が過ぎるのは早いですね。
あの日、神戸で暮らしていた私たち。忘れることのない体験です。
みなさんは、兵庫県淡路市に、震災記念館があるのをご存知ですか?
活断層の真横あったお宅がそのまま保存されていて、地震が起きる仕組みや
実際の断層を見ることができ、震度7を体験することも出来ます。
2005年・・・夏休みの自由研究をするために色々考えて、2ヶ月で体験した震災は
もちろん記憶にある訳もないですが、どんなことが起こったのか・・・
自分はどういう風に助けられたのか・・・を目で見て感じれればと思い震災記念館に連れて行きました。
そのときの写真が残っていたので、紹介したいと思います。
写真の断層の「ずれ」がよく分かるように・・・
ずれる前の状態(直線)を黄色→ ずれた幅・方向を赤色→で示してみました。
こんな少しの「ずれ」があんな大きな地震になって、多くの犠牲者を出してしまう・・・本当に信じられないくらいの、これが・・・という「ずれ」です。
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分かるでしょうか・・・ この1メートルほど動いた自然の力が、震度7という大きな地震となってしまったのです。
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盛り上がっているのが断層です。
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同じ色の○と○が、同じ位置から右にずれた・・・よく分かる一枚です。
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外方向に力が働く断層を「正断層」、内方向の力が働く断層を「逆断層」といいます。
野島断層の断面です。![]()
実際の断層と絵で見ると、断層の動きがよく分かります。当時のまま保存されているお宅の台所
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真っ直ぐな塀がうねっています。震度7 体験機です。
私は、あの日が蘇って、怖くて乗ることができませんでした![]()
当時の神戸を、写真で展示している中で・・・
あの日の朝、逃げ込んだ長田の西市民病院の写真が。
この病院は5階が崩れてしまい、多くの入院患者さんが取り残されました。
夕方まで、この病院で非難をしていて、レスキュー隊が来てくれたのは何時間も後のことで。
ライフラインが閉ざされてしまった病院。電源を必要とする患者さんにとって最悪の事態でした。
私たちの横にいらしたご夫人の横に、その方のお母様が・・・
電気が通らなくなり、機械が止まり・・・お亡くなりになられました。・・・まだ2ヶ月。長い時間、飲むことも出来なかったあの日。
ミルクもあげることもできず・・・
ご自分が辛いのにも関わらず、このご夫人が「水分を取ってミルクをあげないとね」・・・と
1本の野菜ジュースを下さったことが本当に嬉しかったのを覚えています。![]()
どんどん追ってくる火と煙の中連れて・・・
信号機も機能せず、迫る火の中、あの日街は逃げ惑う車で身動きできず、大混乱でした。![]()
この阪神高速倒壊には本当に驚きました。
町中の大きな立派な建物が映画のCGのような世界で倒れていて・・・
昨日までの穏やかな神戸の姿が・・・言葉も出ない状況でした。![]()
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交通機関も麻痺状態。徒歩でたくさんのボランティアの方が。
15年・・・
よく神戸に行きますが、跡形もないくらい街は復興を遂げています。
遠い記憶のようですが、体験した人にとっては忘れることのできない、忘れてはいけない出来事です。
思い起こすと正直今でも怖くなる体験ですが、怪我もなく、ここまで元気に過ごせていることに感謝して。
またいつか・・・
震災と共に年齢を重ねていくと、淡路を訪れたいなぁと思います
「被災せし 淡路の島のヘリポート
かのあたりにも よもぎ萌えゐむ」
この御歌碑は、平成7年1月31日、天皇・皇后両陛下がご来島の際に、この場所にヘリコプターでお降りになり、皇后陛下が被災の状況に心を傷められ、被災者への励ましの意味を込められて お詠みになられたものです。
~ 北淡震災記念公園 ~
http://www.nojima-danso.co.jp/earthquakedisaster.php