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甲子園きっぷ  yama’s stadium☆彡

~球児たちの あしあと~

震災と共に・・・

2010-02-10 | 春夏秋冬 こつ こつ と...日記

今日は私立高校の受験日です
・・・人生、初めての挑戦。大きくなりました
ここまでアッという間に大きくなった感じがします。 

写真を整理していると、15年前の『阪神淡路大震災』の画像が・・・
・・・あのとき、生まれたて2ヶ月でした それがもう15歳・・・
月日が過ぎるのは早いですね。
あの日、神戸で暮らしていた私たち。忘れることのない体験です。

みなさんは、兵庫県淡路市に、震災記念館があるのをご存知ですか?
活断層の真横あったお宅がそのまま保存されていて、地震が起きる仕組みや
実際の断層を見ることができ、震度7を体験することも出来ます。

2005年・・・夏休みの自由研究をするために色々考えて、2ヶ月で体験した震災は
もちろん記憶にある訳もないですが、どんなことが起こったのか・・・
自分はどういう風に助けられたのか・・・を目で見て感じれればと思い震災記念館に連れて行きました。

そのときの写真が残っていたので、紹介したいと思います。



写真の断層の「ずれ」がよく分かるように・・・
ずれる前の状態(直線)を黄色→ ずれた幅・方向を赤色→で示してみました。
こんな少しの「ずれ」があんな大きな地震になって、多くの犠牲者を出してしまう・・・本当に信じられないくらいの、これが・・・という「ずれ」です。

    
 

 
 
分かるでしょうか・・・ この1メートルほど動いた自然の力が、震度7という大きな地震となってしまったのです。
 
 
                              
                       盛り上がっているのが断層です。
   
  
   同じ色のが、同じ位置から右にずれた・・・よく分かる一枚です。
        
 
外方向に力が働く断層を「正断層」、内方向の力が働く断層を「逆断層」といいます。
  


 野島断層の断面です。  

       
実際の断層と絵で見ると、断層の動きがよく分かります。


 当時のまま保存されているお宅の台所
 
真っ直ぐな塀がうねっています。

 震度7 体験機です。
私は、あの日が蘇って、怖くて乗ることができませんでした 

当時の神戸を、写真で展示している中で・・・
あの日の朝、逃げ込んだ長田の西市民病院の写真が。


この病院は5階が崩れてしまい、多くの入院患者さんが取り残されました。
夕方まで、この病院で非難をしていて、レスキュー隊が来てくれたのは何時間も後のことで。
ライフラインが閉ざされてしまった病院。電源を必要とする患者さんにとって最悪の事態でした。
私たちの横にいらしたご夫人の横に、その方のお母様が・・・
電気が通らなくなり、機械が止まり・・・お亡くなりになられました。
・・・まだ2ヶ月。長い時間、飲むことも出来なかったあの日。
ミルクもあげることもできず・・・
ご自分が辛いのにも関わらず、このご夫人が「水分を取ってミルクをあげないとね」・・・と
1本の野菜ジュースを下さったことが本当に嬉しかったのを覚えています。

 
どんどん追ってくる火と煙の中連れて・・・
信号機も機能せず、迫る火の中、あの日街は逃げ惑う車で身動きできず、大混乱でした。               

 

この阪神高速倒壊には本当に驚きました。
町中の大きな立派な建物が映画のCGのような世界で倒れていて・・・
昨日までの穏やかな神戸の姿が・・・言葉も出ない状況でした。

  

交通機関も麻痺状態。徒歩でたくさんのボランティアの方が。

15年・・・
よく神戸に行きますが、跡形もないくらい街は復興を遂げています。
遠い記憶のようですが、体験した人にとっては忘れることのできない、忘れてはいけない出来事です。
思い起こすと正直今でも怖くなる体験ですが、怪我もなく、ここまで元気に過ごせていることに感謝して。
またいつか・・・
震災と共に年齢を重ねていくと、淡路を訪れたいなぁと思います


  「被災せし 淡路の島のヘリポート 
                                 かのあたりにも よもぎ萌えゐむ」
 


この御歌碑は、平成7年1月31日、天皇・皇后両陛下がご来島の際に、この場所にヘリコプターでお降りになり、皇后陛下が被災の状況に心を傷められ、被災者への励ましの意味を込められて お詠みになられたものです。



 ~ 北淡震災記念公園  ~
http://www.nojima-danso.co.jp/earthquakedisaster.php