「空気」に異議あり!

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権力者の「言論の自由」

2007-07-14 | 権利と空気
「言論の自由」は、憲法でも絶対不可侵なものとされています。

私も一般国民の言論の自由は、絶対に保障すべきだと思っています。
当ブログもそうですが、ネットには無数のブログや掲示板があり、そこではメディアでは報じられない様々な視点からの意見が語られており、それは絶対に貴重なものです。

一方、「言論の自由」の変形バージョンである「報道の自由」を、各社マスコミが声高に主張することに、私は違和感を覚えます。
また同様に、左翼系の大物(大物弁護士や各種団体・企業)が「言論の自由」を大声で叫ぶことにも抵抗を感じます。

なぜなら、果たして総理大臣などの「言論の自由」は保障されているのでしょうか?

森総理が「神の国」と言えば袋叩きになり、
石原都知事が「三国人、シナ人」と言えば袋叩きになり、
小泉総理が「人生いろいろ」と言えば袋叩きになり。
とても言論の自由が保障されているとは思えません。

それは彼等が「権力者」だから保障されないのだ、という意見が一般的でしょう。

しかし私は、政治家よりも、マスコミや左翼系の大物こそが一番の権力者だと思っていますので、政治家の言論の自由が制限されるのなら、マスコミなどの言論の自由も制限されるべきだと思っています。

「政治家には政策の実行力があるが、マスコミや左翼系の大物にはないから権力者ではない」

と言う人もいるでしょう。

しかし実際は、政府の一存で政策は決められません。
いつもマスコミや左翼系の大物の目をうかがっています。

例えば、国民の8割以上がその廃止に賛成している少年法。
なぜ廃止にならないのでしょうか?
あるテレビ番組で、カンニング竹山氏が「少年法は廃止すべき」という政策を発言したところ、約9割の視聴者が賛成したそうです。これは今まで真面目な報道機関で調査しても、近い結果が得られました。

廃止にならない理由は、政府が大物左翼(法曹界など)に配慮しているためです。
国民の8割以上が賛成する政策は本来必ず実行すべきですが、
ここでは大物左翼が政策を実行をしていることになります。
つまり大物左翼には、「実行力を伴った権力」がある訳です。


もう一つ言えることは、マスコミの「報道の自由」が拡大すると、
必ず一般国民の「言論の自由」が侵害されるということです。

放送権力を一方的に握っているマスコミが声高に主張すると、
一般国民はそれに反論しにくい空気が作られます。
周りの空気を重んじる日本人の場合は、特にその傾向は顕著です。

また日本の新聞は自らの意見と異なる反論文を掲載しませんし、
日本人は一部の団体を除き、デモ行進なども行いません。

つまり、国民の言論の自由を守るためにも、
マスコミの報道の自由は控えなければならない面がある、と私は思っています。


一般化すれば、権力・影響力の大小によって、「言論の自由」は変化する。
つまり権力・影響力の大きい者ほどその言論の自由は制限されるべきで、
権力なき一般国民の言論の自由は制限すべきではない、ということです。

4 コメント

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Unknown (ハーグ竹島)
2007-07-15 11:12:09
結局、「大なる権力を有しているものが、自らの力を制限する事」が
民主主義の根幹なのでしょう(その延長線上にあるのが文民統制)。
であれば、民主主義を信奉しているメディアは自らの力を
制御し続けるのが筋というものです。しかし、そうした
形跡は全く見られない。まさに「二枚舌」そのものです。
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メディアの権力 (太一)
2007-07-15 22:29:16
ハーグ竹島さん、コメントありがとうございます。

>「大なる権力を有しているものが、自らの力を制限する事」
>が民主主義の根幹

ズバリ核心を突く表現だと思います。
そしてそのメディアの二枚舌のもう一つの側面として、

「自分たちは権力者ではない」

とうそぶいている面が大きいような気がしますね。
あれだけ圧倒的な力を持っていながら・・

そのために「権力」という呼称を国家のみに押し付ける必要があると。
自分たちが権力者であっては都合が悪いということでしょうね。

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こんにちは (通行人A)
2007-07-16 14:42:26
初めまして、面白いブログですね。
今後のご発展を期待します。

マスコミや大物左翼の横暴については同意します。
ですが、マスコミの言論の自由も制限されるべきという意見には少々異論があるので書き込ませていただきます。

既存のマスコミが好き勝手やれるのは、入れ替わりが発生しない構造になっているからだと私は思います。
「馬鹿なことをやったら自分が破滅する」と思わなければ、どんな馬鹿なこともやりかねないのが人の性ではないかと…。
一昔前の政治家が利権と組織票をがっちり握って腐敗していたように、マスコミも新規勢力に追い落とされないと思っているから腐敗してるのではないでしょうか?

私としては「言論の自由をもっと広げろ」と主張したい。
新しいTV局や新聞がどんどん出てきて、さまざまな「言論の自由」を行使して欲しい。
つまり「言論の自由は既存のマスコミの所有物では無い」と言いたいのです。

地上波デジタルがそのきっかけになることを密かに期待してたりします。
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もっと言論の自由を (太一)
2007-07-16 18:51:14
通行人Aさん、コメントありがとうございます。

>既存のマスコミが好き勝手やれるのは、
>入れ替わりが発生しない構造になっているから

>新しいTV局や新聞がどんどん出てきて、
>さまざまな「言論の自由」を行使して欲しい。
>つまり「言論の自由は既存のマスコミの所有物では無い」と言いたいのです。

仰る通りだと思います。
私もそういうことも考えていました。

「マスコミの言論の自由も制限されるべき」という表現は、
別の場所でマスコミによる人権侵害の話題があり、その点で
マスコミを批判したものですが、
確かにその表現に対してはマスコミや左翼側はここぞとばかり声高に反論するでしょう。

そういう意味で通行人Aさんの表現は、反論の余地が少ないと思います。
言論の自由をより広げよと言っている訳ですから、それを否定するのは
マスコミにとってあまりに分かりやすい矛盾ですからね。

>地上波デジタルがそのきっかけになることを密かに期待してたりします。

私も期待しています。
既存のマスコミによる妨害に遭わなければいいのですが。
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