goo blog サービス終了のお知らせ 

Tsuruday

日記のようで
落書きから宇宙開発まで
なんでもありのblog。

24才、網膜剥離。 5 ~入院当日

2007-04-27 21:31:32 | 網膜剥離と眼のこと
今日は早起きして出かけた.
入院できるのは昼からということだったが,早く目覚めてしまって落ち着かなかったので,いい機会だと思って,入院前の病院の外での自由な時間を満喫することにした.散歩したり,吉野家に行ったり,スタバに行ってまったりと過ごしたりした.
その後,100均に行って,タオルや箸,コップなど,入院生活に必要なものを購入して,大学病院へ向かう.

大学病院の入院病棟は,外来病棟に比べると,新築で小ぎれいな感じがした.入院の事務手続きを終えて,眼科の病棟へ.まず,眼科の病棟につくなり,腕に氏名と入院患者の識別するための番号,バーコードの入ったリストバントを装着された.このリストバンドは退院するまでは外せない仕様になっている.これは,投薬や点滴,処置,手術の際に患者さんの取り違いを防ぐ目的があるのだが,入院してみて確かに効果的なシステムだということが実感できた.
その後,担当の看護師さんに連れられて,入院する病室へ.担当の看護師さんは,1年目の新人さんだった.病室に入って,担当の看護師さんから入院生活の説明を受けて,病棟のオリエンテーションに行った後,今度は,眼科医の先生が来て,眼の検査やら,診察やら,手術の説明やらがあった.

主治医の先生は女医さんだった.
症状と手術の説明は,主治医の先生とベテランぽい男の先生から行われた.
私が受けた説明をまとめると,

・左眼の網膜剥離は,1年くらい前から始まっていたらしい.
・網膜剥離になったことと眼の疲労(使いすぎ)は関係ない.
・眼の変性部(クラックのあるところ)から裂孔(クラック)が伸展して,剥離に至った.
・左眼の剥離は,強膜内陥術という手術を行う. 
・手術は全身麻酔で行われ,手術時間は,2~3時間.
・右眼の変性部にも今後の網膜剥離の予防のため,レーザー治療を行う.
・術後2~3ヶ月は運動は控えたほうがよい.
・術後は手術の影響で一時的に近視が強くなる.
・人によっては再発の可能性があるので(非常に少なくはあるが),今後定期的に検診を受けたほうがよい.

というような事が主だったと思う.
私が受けることになった「強膜内陥術」という術式は,剥離した部位を復位(元にもどすこと)するために,眼の外側にシリコン製のインプラント(バックル)を埋め込んで,眼を外側から押して治すというものらしく,基本的に,一生シリコンを埋め込んでおくことになるそうだ.網膜剥離の術式としては,古典的でよく用いられるというだったが,具体的な手術のやり方が分かると,これまでは考えもしなかった手術への不安や恐怖が大きくなってくる.

眼にシリコン….

そんなもの入れても大丈夫なのだろうか?
痛みはどれくらいあるのだろうか?
湧き上がってくる不安なことを先生に尋ねたら,その1つ1つに非常に丁寧に分かりやすく説明を加えてくれた.インフォームドコンセントというやつだろうか.

説明の一番最後に,

「今,衛星プロジェクトでばりばり働いているのですが,退院後はこれまでのように働いても大丈夫でしょうか?」

と尋ねたら,

ベテランっぽい男の先生から,

「働きすぎと網膜剥離は関係ありませんから,治ったら心おきなく働いてください.衛星を完成させないといけないでしょう.」

と太鼓判を押されたので,退院後は問題なく復帰できるのだろう.

よかった.

完治することが分かって,それまで漠然と湧き上がっていた手術を行うことへの恐怖が少しは解消されたように思う.

次から次に慌ただしくて,自分が入院患者だということにあまり実感が持てない程だったが,終わってみるとあっという間に流れていた1日だった.

手術は5/1(木)の朝の1番はじめに行われることになった.
明日からの3日間は,手術のための検査と事前処置が行われるとのことだった.

長い一日だった.

24才、網膜剥離。 4 ~入院を明日に控えて

2007-04-26 21:58:51 | 網膜剥離と眼のこと
月曜に診断を下されてから,今日で3日が経過して,この症状に対する心構えというか向き合い方もだいぶ変わってきている.研究者のはしくれとしての性分からだろうか,自分のこの症状がどういうものなのか調べたくてしょうがない.これは,症状への恐怖からではなく,単純な知的好奇心からきているとでも言ったらいいのだろうか.こうやって,客観的に見始めると,自分の視野が欠けている事実が,対して気にならなくなる.決して症状がなくなった訳ではなく,生活に不便なことには変わりないのだが,漠然とした恐怖という感じは薄らいできている.視野が欠けていることで,不自由な感じはあるのだけれども,何というか,研究対象としての見方だろうか?自分でもあきれてしまうが,疑問を感じたものに対して,まず最初に探究心がわきあがってきてしまうという性格(バイアス)が,今回は幸いしているというところだろうか?

早速,インターネットで網膜剥離について調べてみる.医学系のサイトで,症状と治療方法を図解してあったり,網膜剥離の手術の体験談を綴ったブログや個人サイトなどをいくつか回ってみたのだが,イメージがつかめると,だいぶ気持的にも冷静に見れるようになっていた.

1つのことで冷静になると,他のことにも冷静になれるもので,気になるのは,新しく入った4年生のこと.ちょうど1週間前,研究室には新4年生が配属になったばかりだった.4年生はもう研究室には慣れたのだろうか?今年は,4年生への対応がかなり丁寧なので,戸惑ってはいないと思うが,早く自分で動けるようになってもらいたいものである.自分が4年で入った時も,昨年の4年生の時も,研究室に入ったその日から,ゼミと会議の連続で,辟易したものだ.しかも,よく分らないままに,衛星の担当を決めなくてはならなかった.ちなみに,私の場合,そこで決まったものに,今では1つも関わっていないから,やるせない.そこで,今年は,4年生にやりたいことの希望をとって,時間を掛けて配属を決めることを提案した.本来なら,今週中に決定されるはずだったのだが,私が入院することになって,決定は先送りになってしまったようだ.
もう少し時間をうまく使えれば入院する前に,4年生の配属やケアもうまくいったかもしれないと,反省している.

明日から入院だというのに,そのことはすっかり頭になかった1日だった.


24才、網膜剥離。 3 ~大学病院での診察

2007-04-25 21:10:16 | 網膜剥離と眼のこと
今日は,大学近所の眼科医からの紹介を受けて,大学病院の眼科の外来を受診しに行った.近所の眼科医の先生の話では,即入院になるだろうとのことだったので,入院道具一式を携えて,外来を受診する.

大学病院を受診するのは,生まれて初めてのことで,人が多くて,待ち時間もちょっと長くなりそうだなくらいのことしか想像できていなかった.
朝9時に総合窓口みたいなところで受付を行って,眼科の外来に行くまでに約1時間待ち,眼科を受診するまでに約1時間待ち.とにかく,待合室にいる人の数が,半端じゃなく多い.これだけ大きな設備をもつ大学病院であることを考えると,仕方のないことかもしれないが,1つ1つの検査の間に30分以上は待たされたのは,想像していなかった.視力検査,眼圧測定,視野検査などを受けて,最後に眼科医の先生の診察を受ける.この一連の流れは,ものすごくシステマティック,悪く言えば,事務的だった.流れ作業のように進んでいて,何のための検査なのかきちんと把握できないうちに次に行かされて.効率が重視されているのは実感できた.入院のための検査に至っては,カルテみたいな書類を渡されて,自分でそれを持って各検査(採血,胸部X線,心電図)に行って来させられた.このスタイルどっかで見たことあるなーと思ったら,学生定期健康診断の流れに似ている.学生定期健康診断も,自分で各チェックポイント(身長体重,内科検診、胸部X線,心電図など)を回るのだ.確かに,患者さんの多い状況では,回転率を上げるとでも言うのか,1人1人の診察を効率よく行わなければならないのだろう.部分的に見ると,悪いところもあるのかもしれないが,全体的にとらえると,このようにして効率を上げることは,望ましいことなのかもしれない.
などと,(まだまだ,はしくれではあるが)研究の道に生きる者としてのくせで考えていたら,自分の症状のことなど,すっかり気にならなくなっていた.昨日まではかなり主観的だったが,今日,いざ診察を受けてみると,自分の症状を客観的に見れていることに,自分でも驚きを隠せない.

終わってみれば,今日は,入院のための検査だけで,特に症状に関する説明,手術に関する説明はなかった.そのへんの詳細に関しては,入院してから説明があるのだろう.
てっきり,そのまま入院かと思っていたら,金曜から入院してくださいと言われた.せっかく準備してきたのに,という思いもあったが,入院してしまうと,研究室にも行けなくなるし,まだ,仕事の引き継ぎでもやり残したように感じることがあったので,使える時間が増えてよかったような気もした.

私の網膜剥離との闘い(入院生活)は改めて金曜からスタートすることになった.

24才、網膜剥離。 2 ~入院の前に

2007-04-24 21:17:48 | 網膜剥離と眼のこと
今日も大学に出てきて,私が抱えていた仕事の入院する間の割り振りをやった.

とはいえ,よくよく考えると世間は今週末からゴールデンウイークに入るので,実質的には,そこまで問題ないかなとも思ったが,でもやはり,このタイミングで2週間も抜けなければならないのはつらい.5月は大きなイベントが2つもあったのに.

私が心配しているのは研究室で取り組んでいる衛星開発プロジェクトへの影響だ.
2年前に研究室に配属されてから,これまで,生活の中心だったプロジェクトだから,それに対して,迷惑をかけてしまうことは,ものすごく心苦しかった.決して楽しいことばかりではなく,悩んだことも苦労したことも投げ出したくなったこともこれまで何度もあったが,それでも諦めたことはないのに.やりたくて参加しているプロジェクトだから,やれなくなってしまうとつらい.これならまだ悩んでがむしゃらにやっている時の方が,動けている分だけましだと思う.

「自分たちの手で作ったものを宇宙に」

それだけの思いでこれまで苦しさにも耐えて必死でやってこれたのに.

何故,今,このタイミングなんだろう.

考えれば考えるほど,泥沼にはまっていく.

研究室のみんなの前では,冷静に引き継ぎの仕事をこなして,自然と明るくふるまっていたが,一人になるとどうしようもないやるせなさがこみあげてきて,何も考えられなくなる.
帰り道,バス停から自宅までの夜道を一人歩きながら,

なんで俺が…,なんで今このタイミングで…

と,どこにもぶつけようのない感情を吐き出していたら,涙がとめどなくあふれてきて,冗談みたいだけど,泣きながら歩いて帰った.

でも,やっぱりみんなの励ましは心強い.
研究室のみんなも先生方も,私のがんばりすぎる性格とプロジェクトへの不器用な情熱をちゃんと理解してくれていて,

こういう状況だからこそ今はしっかり休め

と言ってくれたことが,嬉しくて,その言葉にいくらか救われた.

とにかく今自分が専念しなければならないことは,網膜剥離を治すこと.
明日,大学病院に行って,診察を受けてからがスタートだ.


24才、網膜剥離。 1 ~はじまり

2007-04-23 21:53:16 | 網膜剥離と眼のこと
唐突ですが,網膜剥離を患いました.
まさか24才の自分の眼にこんな症状が現れるなんて思いもしませんでした.

この一連の記事では4/23に眼の違和感に気付いて,近所の眼科医を受診し
網膜剥離の診断を受けるところから,入院・手術を受け,視野が回復するまでの間に私が経験したことをご紹介したいと思います.

この記事を書いている5月下旬現在,私の眼の状態は網膜剥離を患う前と同じくらいまで回復しており,日常生活に支障はありません.この1か月の経験を通じて,今では,正常に眼が見えるということのありがたさを心から実感しています.

ここからは,入院中にとっていたメモを元に,網膜剥離がどういう症状なのか,どのような治療を受けたのか,入院生活はどんなものだったのか,ということを日記形式で記事にしていきます.

---------------------------------------------------------

今朝,昨日より違和感のあった左眼を診察してもらうため,大学からも程近い眼科医を受診した.

そもそものきっかけは,昨日,久しぶりにコンタクトレンズを着用したことから始まる.昨日は,切らしていたコンタクトレンズを買いに行った.私は,普段はメガネをかけているのだが,たまに1日使い切りタイプのコンタクトレンズを使用している.コンタクトレンズを購入するために,コンタクトレンズ店に併設されている眼科を受診して,試しにコンタクトレンズを着用させてもらった.すると,左眼の視界に何か「違和感」が.左眼の左上方270~360°の領域が白っぽく見える.

なんだコレ?

メガネをしているときは気付かなかったのに.なんかおかしい.
その時は,コンタクトの表面にごみでものってるのかなくらいにしか思わなかったのだが,帰宅して,コンタクトをはずしてみても,何か左上方が見えにくい.

次の日朝起きると,左眼の見えにくい領域が大きくなっているような感じがした.

そういう訳で,眼科に行くことを思い立った訳だが.
実は,思い当たる節はあって,2年前コンタクトを作りかえる時に,検査してもらった眼科医から“網膜格子状変性”という診断を受けていたのだ.
これは,網膜に変性と呼ばれる悪いところ(工学的に例えると,クラック(亀裂)のできはじめみたいなもの?)があって,年を重ねていくと,網膜剥離に発展する可能性がありますよ,と言うことだった.その時の診断では,網膜剥離になるとしても,この状態からなら,20年,30年先のことなので,安心してくださいと言われていたので,今回のこの症状は,格子状変性が少し悪化したのだろうという程度の考えで,ちょっと噂に聞いていたレーザー治療かなんかを受けなければならなくなるのかなぁくらいにしか想像できていなかった.

近所の眼科医で,まず普通に診察を受ける.そこで,眼底検査を受けることになって,瞳孔を開く点眼薬を入れられる.眼底検査とは,瞳孔を開いて,眼の奥(底)の網膜などの状態を検査するもので,眼科を受診したことのある人ならわかると思うが,先生と眼を見るための顕微鏡のようなもののついた台をはさんで向かい合わせで座って,眼を診察される(覗かれる).

診察してもらった先生は女の人だったが,診察を終えての最初の言葉が,

「網膜剥離です.それもかなり進行していて,今すぐ入院・手術が必要です.」

だった.

全く予期していなかった答え.

正式な診断結果は,

「左眼・裂孔原性網膜剥離」

診断を受けた直後は,頭が一瞬で真っ白になって,何が何だかよくわからなかった.心のどこかで,そんな訳ないと強く否定したい気持ちと,やっぱりそうだったのかという気持ちが複雑に入り混じっていたせいかもしれないが,先生に対してものすごくすっとんきょうな返事を返していたような気がする.やるせない気持ちを先生にぶつけてもどうしようもないのだが,俺からの一通りのリアクションを受けて,

「もう少し早く気付いて来院されていたらよかったんですよ」

と言っていた先生の悲しそうな表情が印象深い.
その後,何とか心を持ち直して,先生からの説明を聴く.
・左眼の網膜が半分くらい剥離していること.
・すぐに手術が必要な状態であること.
・手術を受けるには,大学病院のような大きな病院に入院しなければならないこと.
・入院期間は,2~3週間程度だろうということ.
・手術自体は,全身麻酔で行われるだろうということ.
などが主な内容だったと思う.入院することに決めた大学病院の診察日が水曜らしいので,入院するための準備を整えて行ってくださいと言われる.それまでは,自宅待機らしい.その後,入院する病院への紹介状と診断書を出してもらって,眼科医を後にする.

今の時点での正直な感想は,怖い.
そして,何が何だかよくわからない.

診察を受けた後,まず研究室の先生に電話で連絡を入れる.
眼科医の先生からは,今日・明日で残務処理をして,入院する前に心残りがないようにしなさいと言われたので,研究室に出ていくことにした.普段は原付で,通学しているのだが,さすがに怖かったし,瞳孔を開く点眼薬をさされたばかりで,視界がぼやけていたせいもあって,バスで大学へ.

そこで,先生と何人かの学生に網膜剥離という診断を受けたことと明後日から入院することを告げる.先生は,何も考えずに眼を直すことだけを考えなさいと言ってくださった.正直なところ,今,自分が抱えている仕事(タスク)は重すぎる.ここで2週間以上も抜けることになってしまうと,研究室のみんなに迷惑がかかることは確実なのに,そうせざるを得ないことが,悔しくて,やるせなくて,なぜ,今このタイミングで網膜剥離になったのか,それを考えると,網膜剥離であること自体より,この入院によって,周りのみんなに迷惑をかけてしまうことがつらかった.

残務処理とはいっても,実質,やりかけの案件が多すぎて,どれだけ片付けられるか分らないが,入院するまでは,網膜剥離のことは深く考えないようにしようと思った.


いかにしてモチベーションを保ち続けるか?

2007-04-14 02:14:56 | Weblog
永遠の命題です…

最近なんとなく考えていること.

プロジェクトにおいて,いかに構成員のモチベーションを維持し続けるか?

プロジェクトの目標,モチベーションを,プロジェクトの構成員が自分の言葉に置き換えて,自分の目標,モチベーションとして,認識できるかということが1つの要素として考えられる.すなわち,メンバーにとってプロジェクトの目標がどの程度理解できているかということに他ならない.

そのためには,

プロジェクトマネジメントの教科書に載っているような月並みなことかもしれないが,

1.目標の詳細な明文化
・目標設定の契機は漠然としたところからでもよいが,そこで結論としない
・定性的な表現を,定量的に数値目標化する
・5W1H(Who, When, Where, Why, What, How)を明確にする
・目標は評価するために設定するということを忘れない
 すなわち,プロジェクトの成果を評価するための評価基準が目標と等価になるほど,目標は詳細に明文化されていると言えるのではないか.

2.目標の期限設定と細分化
・最終目標(達成難易度:高) ---- プロジェクトの目標
・長期目標(達成難易度:中) ---- ある区切りまでの目標
・短期目標(達成難易度:低) ---- 短期間で実現可能な,長期目標を達成するためのマイルストーン
・必ず,締切・デッドラインを設け,それを遵守する
デッドラインの決まっていないタスクは,タスクが明らかになっていないのと同じで,なんら状況は変わらない.
いきなり高い壁にぶつかって,躓かないように,目標のレベルを段階的に上げていく.

の2つが有効な手段となりうるのではないか.

自分への問いかけと戒めをこめて記す.

博士後期課程

2007-04-11 20:33:47 | Weblog
なんやかんやあって
4月から博士後期課程1年になりました.

なんなかんやというとあまりにも他人事のような感じがするので
もう少し詳しく説明しますと,いわゆる飛び級というシステムによる進学です.

修士に入学したときから博士課程には進みたいと思っていたので,
募集があったときには迷わず,自分の意思で応募して,
進級のための試験を受けて,
幸運にも進学させていただく運びとなりました.

博士課程に進んだとは言っても経験年数で言えば,
まだ修士2年と同じで,特別何も変わったところはなく,
自分の心情としては,あくまでも大学院生活2年目といったところですが,
肩書き的には,博士課程ということで,今まで以上に研究や衛星開発に対して
意識を高く持つということが求められます.

経験は少なくても,世間的には博士課程1年目.

ということで少なくともあと3年は大学にいることになったので,
衛星が上がるまで,研究で1つ成果を挙げれるまで,
石の上にも3年という気持ちでがんばろうと思います.


アマチュア無線局

2007-04-10 13:16:01 | アマチュア無線
2006年9月にアマチュア無線局を開局して早いもので,半年がたってました.

コールサインが公開されてる!
JA6XMK
ちょっと嬉しくなりますね.

このPCや携帯でのメールが全盛の時代に,なんで無線?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが,これがやってみると思いのほか面白く,はやくもはまりそうです.

コールサインとは,日本語で呼び出し符号といって,
1無線局に1つ与えられるIDみたいなものです.
コールサインの構成は,
前半3文字がプリフィックスといって,地域を表しており,
後半3文字がサフィックスといって,個別の無線局を表しています.

プリフィックスは,原則として,
はじめの1文字が日本を意味するJからスタートします.
2文字目のアルファベットは,開局時期の古い順に
A→H→R→E→F→G→・・・→S
という順序で割り振られていきます.
3文字目の数字は,地域を表しており,
1が関東
2が東海
3が近畿
4が中国
5が四国
6が九州
7が東北
8が北海道
9が北陸
0が信越
となっています.

私の無線局に割り当てられているコールサインはJA6XMK.
コールサインがJA~というのは,アマチュア無線のコミュニティーの中では,
開局時期が古いことを意味しており,かなり貴重なコールサインなんですが,
なんで,私のような最近始めたばかりの初心者がいただけるのでしょうか?

それは,アマチュア無線局の数が増えたことで,コールサインが足りなくなり,
1, 2, 3, 4エリア(関東・東海・近畿・九州地方)では、コールサインの再割当て
が実施されているからです.

詳しくはこちらを参照してください.
識別符号 - Wikipedia
JARL (Japan Amateur Radio League) 日本アマチュア無線連盟

アマチュア無線だと交信の際,相手方の情報は基本的にコールサインしか分かりませんから,JAやJF,JRで始まるコールサインの人は,かなりのベテランとして,認識されているわけです.
このようなコールサインを再割り当てで,偶然とはいえ,手にすることができたことは,非常に恐縮でもありますが,栄誉あることだとも思います.

この栄誉あるコールサインに恥じぬよう,精進していきたいと思います.