僕は祖父のことを全く知らない。
父方はもちろん、母方の祖父も。
父は正木家に婿養子として入った。その時すでに祖父はいなく、祖母だけが生きていた。
父方の祖母は、正木家に遠慮していたのか、あまり顔を合わせる機会もなく、
僕が幼少の頃のほんの少しの記憶しかない。
母方の祖母はまだ健在で、3ヶ月ほど前に祖母の半生を綴った本を作ったばかりだ。
今、そのKindle本を出そうと思っているのだが、その夫である僕の母方の祖父について加筆している。
僕は本当に祖父に関する知識が全くと言っていいほどない。
祖母から話を聞いた記憶もないし、今でもほとんど本に書いたという。
子供の頃に母から話を聞いたことはあったが、なにしろ母が小学校低学年の頃に亡くなったので、それほど知っているわけではない。
僕が知っていたのは、祖父は学校の先生で詩人でもあったということだけだった。
母は長生きした曾祖父のことはよく話した。
とはいえ、曾祖父も僕が生まれる3ヶ月前に亡くなったので当然僕は彼のことを知らないも同然だった。
祖父は、僕にとって高校の歴史の教科書に20文字程度で出てくる、絶対に試験には出ないような人物というイメージだった。
つまり、20文字で語れるような人物で、かつ重要性を持たない人物だったということ。
今すぐに見つからないのでどのくらい前だったか分からないが、10数年前に祖父の全詩集が編纂され発売された。
僕も贈呈本としてもらったのだが、それを開くことはなかった。
どうしても読みたくない理由があったのだ。
詳しくは書かないけれど。
祖母の本をまとめる時に初めて彼の詩を読み、彼の人生を調べた。
でも、どこか実態のつかめない人という印象だった。
その本に事実が書かれている。
でも、事実だけではどんな人だったのか分からない。
ただ、子供たちの教育と詩作に人生を注いだ人だということだけは分かった。
そのあふれる情熱は僕には決してまねの出来ないものだった。
彼はとても心の弱い人だった。
その心の弱さを克服しようとせず、その弱さを詩というカタチにすることでバランスを取っていたように思える。
彼の詩はどこか厭世的で、でも何かを鼓舞しようとしていた。
それは、ある種宗教的でもあった。
母が生まれてから、彼の詩は変わる。
僕の母は生まれてすぐに病気をして、そのせいで障害を持った。
当時それはいかんともしがたい障害で、そんな娘を案じながらも優しい眼差しで見つめる、そんな詩が増えていった。
僕はそれを読みたくなかったのだ。
祖父はとても裕福な家庭に生まれた。
でも、それが彼を苦しめた。彼は子供の頃から心に病を持っていた。
というより、裕福であることと父(僕の曾祖父)の生き方を否定していたきらいがある。
曾祖父は想像するに、いわゆる昔の金持ちの放蕩息子という感じだった。
実際、曾祖父の代で正木家の土地は半分に減ったという。
それでも今残っているものを見ると、相当な金持ちだったことが伺える。
そんな父親への反発もあったのだろう。彼は父(曾祖父)とは真逆の道を選んだ。
学校の先生になり、学校に通うことの出来ない子供たちには
道ばたで自作の童話を聞かせながら、いわゆるスラム街に足を運びそこに住む人たちの
支援をしていた。
結果、彼は病気になってしまうのだが、それも承知の上で彼はスラム街に通い続けたのだった。
僕は今Kindle本のために大幅な書き直しと祖父に関する情報を出来限り集め、詩人という生き物とはどんなものなのかを探っている。
僕には韻文というものがずっと分からなかった。
もちろん今は理解しているし、優れた韻文には素直に感動することが出来るが、
昔は一切の興味もわかなかった。
改めて、祖父の詩を読み、祖父と付き合いの深かった詩人の詩を読み、
そこから時代を感じ取ろうとしている。
そう、単なる事実ではなく、その頃の詩人たちが感じ取っていた時代の空気を。
ただ、そうしてもまだ祖父という存在が身近に感じられない。
写真でしか見たことのない人。
伝聞と全詩集に書いてある評伝と郷土史などに数行で紹介されている文章。
彼のことをもっとよく知るためには、もっと深く彼の詩を読み込むしかないのだろう。
僕には韻文を書く能力は皆無だ。でも、韻文を書くこと、韻文でいかにして伝えるのか、
そもそも定型詩ではない自由詩の存在を今僕は考えている。
父方はもちろん、母方の祖父も。
父は正木家に婿養子として入った。その時すでに祖父はいなく、祖母だけが生きていた。
父方の祖母は、正木家に遠慮していたのか、あまり顔を合わせる機会もなく、
僕が幼少の頃のほんの少しの記憶しかない。
母方の祖母はまだ健在で、3ヶ月ほど前に祖母の半生を綴った本を作ったばかりだ。
今、そのKindle本を出そうと思っているのだが、その夫である僕の母方の祖父について加筆している。
僕は本当に祖父に関する知識が全くと言っていいほどない。
祖母から話を聞いた記憶もないし、今でもほとんど本に書いたという。
子供の頃に母から話を聞いたことはあったが、なにしろ母が小学校低学年の頃に亡くなったので、それほど知っているわけではない。
僕が知っていたのは、祖父は学校の先生で詩人でもあったということだけだった。
母は長生きした曾祖父のことはよく話した。
とはいえ、曾祖父も僕が生まれる3ヶ月前に亡くなったので当然僕は彼のことを知らないも同然だった。
祖父は、僕にとって高校の歴史の教科書に20文字程度で出てくる、絶対に試験には出ないような人物というイメージだった。
つまり、20文字で語れるような人物で、かつ重要性を持たない人物だったということ。
今すぐに見つからないのでどのくらい前だったか分からないが、10数年前に祖父の全詩集が編纂され発売された。
僕も贈呈本としてもらったのだが、それを開くことはなかった。
どうしても読みたくない理由があったのだ。
詳しくは書かないけれど。
祖母の本をまとめる時に初めて彼の詩を読み、彼の人生を調べた。
でも、どこか実態のつかめない人という印象だった。
その本に事実が書かれている。
でも、事実だけではどんな人だったのか分からない。
ただ、子供たちの教育と詩作に人生を注いだ人だということだけは分かった。
そのあふれる情熱は僕には決してまねの出来ないものだった。
彼はとても心の弱い人だった。
その心の弱さを克服しようとせず、その弱さを詩というカタチにすることでバランスを取っていたように思える。
彼の詩はどこか厭世的で、でも何かを鼓舞しようとしていた。
それは、ある種宗教的でもあった。
母が生まれてから、彼の詩は変わる。
僕の母は生まれてすぐに病気をして、そのせいで障害を持った。
当時それはいかんともしがたい障害で、そんな娘を案じながらも優しい眼差しで見つめる、そんな詩が増えていった。
僕はそれを読みたくなかったのだ。
祖父はとても裕福な家庭に生まれた。
でも、それが彼を苦しめた。彼は子供の頃から心に病を持っていた。
というより、裕福であることと父(僕の曾祖父)の生き方を否定していたきらいがある。
曾祖父は想像するに、いわゆる昔の金持ちの放蕩息子という感じだった。
実際、曾祖父の代で正木家の土地は半分に減ったという。
それでも今残っているものを見ると、相当な金持ちだったことが伺える。
そんな父親への反発もあったのだろう。彼は父(曾祖父)とは真逆の道を選んだ。
学校の先生になり、学校に通うことの出来ない子供たちには
道ばたで自作の童話を聞かせながら、いわゆるスラム街に足を運びそこに住む人たちの
支援をしていた。
結果、彼は病気になってしまうのだが、それも承知の上で彼はスラム街に通い続けたのだった。
僕は今Kindle本のために大幅な書き直しと祖父に関する情報を出来限り集め、詩人という生き物とはどんなものなのかを探っている。
僕には韻文というものがずっと分からなかった。
もちろん今は理解しているし、優れた韻文には素直に感動することが出来るが、
昔は一切の興味もわかなかった。
改めて、祖父の詩を読み、祖父と付き合いの深かった詩人の詩を読み、
そこから時代を感じ取ろうとしている。
そう、単なる事実ではなく、その頃の詩人たちが感じ取っていた時代の空気を。
ただ、そうしてもまだ祖父という存在が身近に感じられない。
写真でしか見たことのない人。
伝聞と全詩集に書いてある評伝と郷土史などに数行で紹介されている文章。
彼のことをもっとよく知るためには、もっと深く彼の詩を読み込むしかないのだろう。
僕には韻文を書く能力は皆無だ。でも、韻文を書くこと、韻文でいかにして伝えるのか、
そもそも定型詩ではない自由詩の存在を今僕は考えている。