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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

理想論的文化論

2013-12-07 11:32:42 | 日記
先日、雑誌についてFACE BOOK上で思いついたことを書いた。
で、一回整理しようと思う。
雑誌が面白かった時代はかなり昔のことだと思う。
僕が雑誌に関わるようになった頃は、すでに現在のように情報重視の方向へと進んでいた。
幸か不幸か、僕はそのような雑誌に関わることはなかったが、
その時代は読者が雑誌に情報を求めていた。

僕が中学生、高校生くらいの頃の『ポバイ』とかはめちゃくちゃ面白かった。
アメリカ西海岸のブームを日本に合うように紹介して、少年をワクワクさせる力を持っていた。
『オリーブ』なんかも同じように女性に憧れを抱かせるようなページ作りをしていた。
いずれも情報ではあるのだけれど、情報以上にの付加価値を持たせていたのだ。
それは文化的刺激だ。
そして、そこには物語があったのだ。

それがなぜ変容してしまったのか?
僕は『HANAKO』の大ヒットにその理由が隠されていると思っている。
最初は出したマガジンハウスでさえ、こんなの売れないと思ったしたらしい。
でも、とても優秀で、時代を捉えることの上手い編集者か上部を説得して創刊にこぎ着けたという。
その頃のマガジンハウスは売れないだろうと思いつつも、そこまで言うならやってみろと言えるだけの余裕と冒険心を持っていた。

そして、大ヒットした。
その時代が求めていたものがそれだったから。
そして、他の出版社も右に習えとばかりの似たような雑誌を出していった。

ちょうどバブルの時代のことだ。
人々は消費することにしか興味抱かなかった。
読者が消費することに目が向いているのだから、
情報だらけの雑誌は当然売れた。
そして、そんな中で育った編集者は当然情報至上主義となってしまう。
だから、ネットの普及に対応する策を持たなかったのだと思う。
ネットという無料の情報に何百円も出す価値のある情報などない。
なのに、情報で対抗しようとしたのだ。

情報に物語という付加価値の付け方を知らないのか、情報にも物語があることを知らないのか、ただただ限られた誌面に写真を小さくしてでも入れ込もうとした。
その結果は言うまでもない。

僕がまだ東京にいた頃、ある出版社の社長に紙媒体ならではの表現が必要だと話したことがある。
その時は、僕の中でもまだ明確なイメージがあったわけではなかったのだが、ひとつ考えていたのが、オブジェとしての本、雑誌。
もちろん、それをやるには流通関連など様々な障害があるのだけれど。

まぁ、それに対して何か行動を起こしたこともなければ、そもそも僕は物語至上主義だったので‥‥‥。

今、前に書いて本にした祖母の本の書き直しとデジタル化をしながら電子書籍の表現の可能性を試している。様々な種類の本や雑誌を購入して、どんなものが読みやすくて、どんな制約があって、どんな仕掛けが可能なのか。

でも、やっばり一番大切なのは物語だと思っている。

僕は雑誌はひとつの文化を作ってきたものだと思っている。
でも、今、雑誌がひとつの文化を終焉させようとしていると思う。