10月にサーフィンに行って以来体調を崩し、およそ2ヶ月ぶりのサーフィンだった。
10月はまだラッシュガードとサーフパンツで大丈夫だったが、12月ともなるとさすがにそうはいかない。
買い替えたばかりの真新しいウエットスーツに路上で着替えて、サーフボードを片手で持った瞬間に自分の筋肉の衰えを感じた。
軽々と持っていたサーフボードが重く感じたのだ。
仕方なく、僕はボードを頭の上に乗せてビーチへと向かった。
ビーチへの道は木々に覆われていて、ゴツゴツとした岩だらけの道だ。
そのゴツゴツとした岩を避けながら、ビーチへと下って行く。
海を眺めるとサーファーは数名しかいない。
それもそのはずで、その日はとてもいい波は期待出来ない状態だったのだ。
小潮で浅く、波の立つポイントも大潮の時と比べると岸に近い。
もちろん大きな波はほとんどなく、北風がようやく小さな波をブレイクさせているといった状態だ。
元々、そんないい波は期待していなかったので、僕はがっかりとすることもなく、海に足を入れた。
足先に触れた海水が冷たい。やっぱり10月とはまるで違う。
それでも歩を進めると、次第に水の冷たさに慣れてくる。
というよりも温かく感じてくる。ひざくらいまで浸かると海の中の方が温かくなってきた。
僕は足元の岩だか珊瑚の死骸だかに注意を払いながら、さらに沖へと歩いていった。
ようやく腰が浸かる程度まで歩いてようやくボードに乗り目指すポイントへパドリングを始めた。
僕がいつもやっていたポイントにはほとんど波が立っている様子がなかったので、波が大きくいつもなら混み合っているポイントを目指した。
そこには2~3人しかいなかった。
特に波を取り合っている様子もなく、ゆったりサーフィンを楽しんでいる様子だった。
ようやくポイントへとたどり着いた僕は、ポイント少し沖側でとりあえずボードの上に座った。
そして、沖からブレイクする場所を観察し波待ちに最適なポイントを見極めようとした。
何本かの波に乗り遅れ、パドリングの力が衰えているの再び実感しながら、それでも何本かの波に乗り、そしてまた沖へと戻って行った。
ポイントよりさらに沖へ出て、ボーッと海と空を見ていた。
糸満で旋回して那覇空港へと向かう飛行機が数機飛んで行く。
水平線は時折差し込む陽の光にキラキラと輝いていた。
僕はボードの上に座るのやめて、腹這いに寝た。肘を立てて、ただただボーッとしていた。
小さなうねりがボードを持ち上げてはスーッと降りて行く。
僕はそのままうねりに身を任せていた。
時折、自分がどこに流させているかを確認しながら……。
それは波の乗るのとはまた違った心地よい時間だった。
海と空を見ていると次第に頭がボーッとしてきて、まるで空っぽになったように感じた。
もちろん、自分のいる場所だけは確認し、流されていると感じたら再びパドリングをして元の場所へ戻るのだが、一瞬の「頭が空っぽ」の状態は何とも言えない瞬間だった。
別に何かを悟ったとか、すごいことに気づいたとかそんなことない。
僕はただただ海の上でぷかぷかと浮いていただけだった。
でも、一瞬でも「頭が空っぽ」になる瞬間は実に贅沢な時間だった。
人は常に何かを考えている。
ボーッとしていても、何かを頭に浮かべている。
僕もあの瞬間に何かを思い浮かべていたのかもしれない。
でも、何も覚えていない。
ただ波の動きに身を任せて、遠くの水平線とその上に広がる空を眺めていただけだった。
今、あの瞬間を思い出してもどこか不思議な時間だったような気がする。
そして、ふと思い出す。
10数年も前のことだろうか。
コーネリアス(小山田圭吾)が『Point』というアルバムを出した時に、彼にインタビューをする機会があった。
そのアルバムのコンセプトは確か「音の隙間」だった。
常に音に囲まれた現代に一瞬訪れる無音の状態。
ちょうど、同じ頃に僕は何度か草間彌生に会う機会があった。
言うまでもなく、世界的アーティスト。説明するまでもない。
彼女の作品はよく“強迫観念”というキーワードで語られる。
でも、僕は実際に本人をお会いし、話をさせていただき、ちょうどコーネリアスの“隙間”の話を聞いた。
その時、僕の中で“隙間=余白”という言葉がひとつのキーワードとなっていた。
草間彌生の作品で有名な「増殖」などは正に“強迫観念”そのものだと言われている。
別に僕はそのことに何ら反論もないが、ふと芽生えた考えが、なぜ水玉なのだろうかということだった。
水玉はいくら増殖しようとそこにはどうしても“隙間”が生まれる。
つまり余白の空間が出来るのだ。
そして、丸が増えれば増えれるほど余白も増えていく。
空間を埋めたいのであれば、モンドリアンのように直線で表現するしかない。
近代の考えの基本にあったものは合理的であることだったと思う。
合理的であるためには、“隙間”という存在をなくすことが必要なのだと思う。
でも、ある時期から“余白”や“隙間”という存在をアーティストたちが探っていたのだ。
もしかしたら、僕も余白を求めていたのかもしれない。
意識をしていたわけではないが、沖縄に来た理由のひとつがそこにあるのかもしれない。
でも、沖縄といえど、そうそう“余白”や“隙間”があるわけではない。
僕は今自分でそんな“余白=隙間”を作って生活している。
さまざまなアーティストや思想家(実際に何を読んだわけではない)といった人たちがその重要性を表現しようとしても、
現代社会はますます“余白=隙間”の存在を消して行く方向に進んでいるように思えてならない。
その昔モダニズムが世界を覆い尽くし、そこから生まれた様々な問題に対して機能だけではないものを求めたポストモダンが生まれた。
でも、僕から見るとポストモダンは単純な話ではないため、それを体現することが出来たものは少なく、中々人々に伝わらなかったではないかと思う。
ただし、流行としてのポストモダンというものあった。その言葉を使えば「どこかかっこいい」というような。
結局のところ、大きな意味でのポストモダンは役割を果たすことが出来きないまま、
時代と世界の状況の変化により、再びモダニズム的な合理主義へと進んでいるよう思えてならない。
モダニズムの代表的建築家コルビュジエの建築は直線的で合理的でシンプルな建築が知られているが、そんなコルビュジエでさえ、
「ロンシャンの教会」は宗教的な、決して合理主義に寄っていないものを作っている。
実際に「ロンシャンの教会」をこの目にした時は、とても感動したものだった。
モダニズムの初期はまだ“余白=隙間”があったのだと思う。
でも、今はとても窮屈な世界としか感じられない。
世界はどこに向かって行くのだろうか?
海の上でぷかぷかと浮かんでいた時のことを思い出すと、そんな考えが湧き出て来た。
10月はまだラッシュガードとサーフパンツで大丈夫だったが、12月ともなるとさすがにそうはいかない。
買い替えたばかりの真新しいウエットスーツに路上で着替えて、サーフボードを片手で持った瞬間に自分の筋肉の衰えを感じた。
軽々と持っていたサーフボードが重く感じたのだ。
仕方なく、僕はボードを頭の上に乗せてビーチへと向かった。
ビーチへの道は木々に覆われていて、ゴツゴツとした岩だらけの道だ。
そのゴツゴツとした岩を避けながら、ビーチへと下って行く。
海を眺めるとサーファーは数名しかいない。
それもそのはずで、その日はとてもいい波は期待出来ない状態だったのだ。
小潮で浅く、波の立つポイントも大潮の時と比べると岸に近い。
もちろん大きな波はほとんどなく、北風がようやく小さな波をブレイクさせているといった状態だ。
元々、そんないい波は期待していなかったので、僕はがっかりとすることもなく、海に足を入れた。
足先に触れた海水が冷たい。やっぱり10月とはまるで違う。
それでも歩を進めると、次第に水の冷たさに慣れてくる。
というよりも温かく感じてくる。ひざくらいまで浸かると海の中の方が温かくなってきた。
僕は足元の岩だか珊瑚の死骸だかに注意を払いながら、さらに沖へと歩いていった。
ようやく腰が浸かる程度まで歩いてようやくボードに乗り目指すポイントへパドリングを始めた。
僕がいつもやっていたポイントにはほとんど波が立っている様子がなかったので、波が大きくいつもなら混み合っているポイントを目指した。
そこには2~3人しかいなかった。
特に波を取り合っている様子もなく、ゆったりサーフィンを楽しんでいる様子だった。
ようやくポイントへとたどり着いた僕は、ポイント少し沖側でとりあえずボードの上に座った。
そして、沖からブレイクする場所を観察し波待ちに最適なポイントを見極めようとした。
何本かの波に乗り遅れ、パドリングの力が衰えているの再び実感しながら、それでも何本かの波に乗り、そしてまた沖へと戻って行った。
ポイントよりさらに沖へ出て、ボーッと海と空を見ていた。
糸満で旋回して那覇空港へと向かう飛行機が数機飛んで行く。
水平線は時折差し込む陽の光にキラキラと輝いていた。
僕はボードの上に座るのやめて、腹這いに寝た。肘を立てて、ただただボーッとしていた。
小さなうねりがボードを持ち上げてはスーッと降りて行く。
僕はそのままうねりに身を任せていた。
時折、自分がどこに流させているかを確認しながら……。
それは波の乗るのとはまた違った心地よい時間だった。
海と空を見ていると次第に頭がボーッとしてきて、まるで空っぽになったように感じた。
もちろん、自分のいる場所だけは確認し、流されていると感じたら再びパドリングをして元の場所へ戻るのだが、一瞬の「頭が空っぽ」の状態は何とも言えない瞬間だった。
別に何かを悟ったとか、すごいことに気づいたとかそんなことない。
僕はただただ海の上でぷかぷかと浮いていただけだった。
でも、一瞬でも「頭が空っぽ」になる瞬間は実に贅沢な時間だった。
人は常に何かを考えている。
ボーッとしていても、何かを頭に浮かべている。
僕もあの瞬間に何かを思い浮かべていたのかもしれない。
でも、何も覚えていない。
ただ波の動きに身を任せて、遠くの水平線とその上に広がる空を眺めていただけだった。
今、あの瞬間を思い出してもどこか不思議な時間だったような気がする。
そして、ふと思い出す。
10数年も前のことだろうか。
コーネリアス(小山田圭吾)が『Point』というアルバムを出した時に、彼にインタビューをする機会があった。
そのアルバムのコンセプトは確か「音の隙間」だった。
常に音に囲まれた現代に一瞬訪れる無音の状態。
ちょうど、同じ頃に僕は何度か草間彌生に会う機会があった。
言うまでもなく、世界的アーティスト。説明するまでもない。
彼女の作品はよく“強迫観念”というキーワードで語られる。
でも、僕は実際に本人をお会いし、話をさせていただき、ちょうどコーネリアスの“隙間”の話を聞いた。
その時、僕の中で“隙間=余白”という言葉がひとつのキーワードとなっていた。
草間彌生の作品で有名な「増殖」などは正に“強迫観念”そのものだと言われている。
別に僕はそのことに何ら反論もないが、ふと芽生えた考えが、なぜ水玉なのだろうかということだった。
水玉はいくら増殖しようとそこにはどうしても“隙間”が生まれる。
つまり余白の空間が出来るのだ。
そして、丸が増えれば増えれるほど余白も増えていく。
空間を埋めたいのであれば、モンドリアンのように直線で表現するしかない。
近代の考えの基本にあったものは合理的であることだったと思う。
合理的であるためには、“隙間”という存在をなくすことが必要なのだと思う。
でも、ある時期から“余白”や“隙間”という存在をアーティストたちが探っていたのだ。
もしかしたら、僕も余白を求めていたのかもしれない。
意識をしていたわけではないが、沖縄に来た理由のひとつがそこにあるのかもしれない。
でも、沖縄といえど、そうそう“余白”や“隙間”があるわけではない。
僕は今自分でそんな“余白=隙間”を作って生活している。
さまざまなアーティストや思想家(実際に何を読んだわけではない)といった人たちがその重要性を表現しようとしても、
現代社会はますます“余白=隙間”の存在を消して行く方向に進んでいるように思えてならない。
その昔モダニズムが世界を覆い尽くし、そこから生まれた様々な問題に対して機能だけではないものを求めたポストモダンが生まれた。
でも、僕から見るとポストモダンは単純な話ではないため、それを体現することが出来たものは少なく、中々人々に伝わらなかったではないかと思う。
ただし、流行としてのポストモダンというものあった。その言葉を使えば「どこかかっこいい」というような。
結局のところ、大きな意味でのポストモダンは役割を果たすことが出来きないまま、
時代と世界の状況の変化により、再びモダニズム的な合理主義へと進んでいるよう思えてならない。
モダニズムの代表的建築家コルビュジエの建築は直線的で合理的でシンプルな建築が知られているが、そんなコルビュジエでさえ、
「ロンシャンの教会」は宗教的な、決して合理主義に寄っていないものを作っている。
実際に「ロンシャンの教会」をこの目にした時は、とても感動したものだった。
モダニズムの初期はまだ“余白=隙間”があったのだと思う。
でも、今はとても窮屈な世界としか感じられない。
世界はどこに向かって行くのだろうか?
海の上でぷかぷかと浮かんでいた時のことを思い出すと、そんな考えが湧き出て来た。