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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

Happyな世界

2014-11-10 11:27:15 | 日記

最近ものすごく感じるのは、なぜこの世の中にHappyな世界がないのだろうかということ。

多分、多くの人には戯言を言っているようにしか思えないだろう。確かにそうだと思う。今の人のほとんどは現実主義なのだと思う。諦めて、すべてを受容してしまう。もしかしたら、それが今の大人の対応というヤツなのかもしれない。

でも、それは決して諦観の境地に達しているのではなく、くすぶった気持ちを心の中に抱えながらも「仕方ない」と思っているように見える。

日本だけでなく世界中がそんな気持ちに包まれているような気がしてならない。

一部のどうにかしようと思う人たちは暴力という手段を使う。暴力にはさまざまな種類があって、肉体への攻撃はもちろん、精神面への攻撃もある。新聞やニュースで報道されるテロや戦争、ネット上のあちこちで飛び交う罵詈雑言を見ていると悲しくなる。

多くの批評家たちが語っている言葉を借りて言えば、冷戦構造崩壊以降の「大きな物語」の崩壊が及ぼしたものが悪い方向へ、しかも鋭利なものとなって表れているような気がする。

そして日本に限って言えば、ゼロ年代について語っている批評家たちの言う、1995年という分岐点は納得せざるを得ない。あまり詳しく解説しないけれど、外に出た「ひきこもり」たちの無理やりな諦めの気持ちと標的を定めない攻撃は実にやっかいなものだ。(あまりこんなことを書くと僕自身が攻撃されそうだけれど、きっと彼らはこんなブログなど読んでないはず)

もちろん、外に出た「ひきこもり」たちのすべてがそうなっているわけではない。彼らの中の多くは彼らなりの幸福を探して見つけている。「ひきこもっていない」方の人たちは未だにある種の差別やいじめなどという攻撃でウサを晴らしているように思える。もちろんみんながみんなそうだとは思っていない。ひきこもっていない」方の人たちは彼らならではの幸福を見つけているかもしれないし、探している途中なのかもしれない。ただ、いずれにしても、そのどちらもウサを晴らすという方法を何らかの形で取っている。しかも、それが攻撃的であるということに無自覚なままに。

少しばかり論点がずれたけれど、とにかく世界は決してHappyな方向へ進もうとしてない。

なぜそうなってしまうのか? ずっと考えていた。

ここからは僕の私論なのでいくらでも批判は受けますが。僕が思うに、コミュニティの細分化もひとつの要因であるような気がしてならない。コミュニケーションに関する問題がさまざまな人たちが論じてきたけれど、今という時代はコミュニケーションはより密になっていると思う。SNSの進化がそれを後押ししているのは言うまでもない。

人という生き物は本来社会性を持つ、いや本能として社会性を必要とする動物だ。集団でいなければ生きていない。もちろん山に篭って一人きりで生きている人もいるかもしれないが、それはあくまでも例外だ。そこまでの強さを得るために彼は相当な苦行修行を積んでいるはず。

人は本能的に帰属意識を必要としている。

何かに帰属しているということが安心に繋がっているのだ。昔はそれが学校だったり、会社だったりしたわけだ。でも、今終身雇用という日本ならではシステムは崩壊し、それに代わる何かに帰属したいと思っている。こうして小さなコミュティがいくつも生まれてきたわけだ。もちろん小さなコミュニティは昔からあった。が、そこへの依存度が非常に高くなっていると思うのだ。

僕は小さなコミュニティに関して否定的ではない。いいなと憧れたりもする。共通の何かを持っていて、そこに向かって活動していく人たちに。僕の知っているコミュニティはそんな人たちばかりだ。

でも、時にそうではないコミュニティも存在する。排他的なもの。意に沿わないものは排除する。それはコミュニティの結束が強ければ強いほどそういった傾向になっていく。すべては自分たちが正しく、それ以外のものは認めない。でも、そういうコミュニティほど大きくなっていく。そしてより攻撃性を増していく。世界中にそんなコミュニティが溢れかえっている。

僕は今祖父の詩集の編纂に取り掛かっている。

彼の詩を読んでいると、今という時代がくっきりと見えてくる。

別に彼が今の時代を予言していたわけではなく、昔もそんな時代があったということ。

祖父はおそらく相当屈折した人間だったと思われる。彼の背景を知る僕には。

簡単に彼のことを書いておこう。詳しくは編纂した本に何かしらの形で書き記すつもりだ。

 

正木聖夫(本名・良正)は地主の家に生まれた。僕が聞く限りかなりな資産家だったようだ。しかし、彼はそのことがコンプレックスになっていた。豪放磊落な父親(曽祖父)から逃げ、彼は貧しい人たちのコミュニティに率先して入っていき、彼が父親の力を借りずに自分で出来ることをした。子供たちへの童話の読み聞かせや病気の人の看病など。彼は自分の父親のようにはなりたくなかった。実は彼は最初童話を書いていた。学校の先生をしながら、休日はいわゆる貧民街へと通っていたのだ。

 

そんな彼の詩を毎日読んでいたせいか、僕はこんなことを考えるようになってしまったのかもしれない。

あ、一言だけ付け加えておく。確かに曽祖父の時代はお金持ちだったが今は違う。これだけは強調しておく。

 

Happyな世界にするには……。

まずは自分がHappyになる必要がある。そしてそのHappyを周囲に分け与えていく。

それしか方法はなさそうだ。

そのHappyがどこまで届くのかは分からない。もちろん僕にとってのHappyが他の人にとっては何でもないことかもしれない。でも、物事を伝えてくつもりはなく、Happyな感覚だけを伝えたいと思っている。

もうネガティブキャンペーンはやめようよ。

排除するのはやめて受容しようよ。

どうせ、同じ考えの人なんてこの世に存在しないのだから。

どんどん愚痴っていいよ。愚痴はネガティブキャンペーンとは違うから。

愚痴は攻撃ではないから。

 

僕にとってこのブログは何も発信しないということを約束事にしていたのだけれど、今回だけは発信をするつもりで書いている。

 

そして、僕にとってのHappyな写真を一枚だけ上げておく。

 

 

こんな季節に新緑を見ることの出来る喜び。

僕の中の小さいけれど、とてもHappyなこと。 

 


月とともに生きる

2014-11-05 17:54:11 | 日記

沖縄に住んでいると、旧暦を意識せざるを得ない。

古くからある行事は旧暦の◯月◯日に行われると決まっている。

お盆と言うと、それは当然のように旧盆のことを指す。

ナイチャー(県外出身者)である僕は、旧暦の行事に参加することはほとんどないが、

それでもそのことは頭に入れておかなければいけない。

というのも、沖縄の人と何か約束しようとしたら、やはり行事があるのかないのかなどを考慮しないといけないから。

 

こんなことを言うと怒られるかもしれないけれど、でもやっぱり他人事で、僕の中で旧暦というものはあくまでも知識のひとつであって、自分の生活の中では関係のないものだった。

そもそも、大安とか仏滅とかを常に意識している人なんてほとんどいないと思うけれど、それと同じようなものだったのだ。僕の中では。

 

でも、昨年のこと。

ようやく高校時代から長く闘い続けた腰痛との折り合いのつけ方を身につけた僕は、5~6年ぶりにサーブボードを手にした。

ずっとケースの中にしまってあったボード。何の手入れもしてない。

カビとか生えてないかななど、ちょっと不安を持ちつつボードを出した。

もちろん、これも5~6年ぶりに。

 

最初に海に出た時は、恐る恐るだった。

海で腰が痛くなって動けなくなったらどうなるのか?

ゆっくりゆっくり、無理をしない程度に海に通いだした。

確か5月頃のことだったと思う。

そのうちに腰は大丈夫だと思い、毎週通うようになった。

そうすると、月齢が気になってくる。

なぜかは言うまでもないだろう。

潮の満ち干きに関係するから。

 

月齢を意識し始めると、カラダの反応も変わってくるような気がする。

まあ、人が月に満ち欠けに影響を受けていることは僕が言うまでもないことで、ネットでも本でもなんでもそんな情報は載っているだろうからここでは割愛するけれど。

 

昨年はサーフィンを生活の中心に置いていたので、自然と月のリズムの中で生活していた。

もちろん生活の中心に置いていたと言っても、それで生計を立てていたという意味ではない。

すべてのスケジュールはサーフィンを中心に置いて立てていたということ。

月のリズムを知ると、物事が違う角度から見えてくる。

日々発見があるというとちょっとかっこつけ過ぎだけれど、まさしくそうで、

見えていなかったものが見え、気づかなかったことに気づく。

そして思うのだ。

月の満ち欠けが人に影響を与えるっていうのは本当だなと。

 

沖縄では月の存在がとても大きい。

沖縄民謡の中でも月を謳った歌が多い。

だって、デートに誘うのも「月を見に行こう」だから。歌の中では。

太陽の恵みとよく言うけれど、沖縄は月の恵みも同時に受けているような気がする。

 

よく沖縄の人は温かいなどと言われる。そうなのかもしれない。

でも、沖縄には悪い人だっている。観光のキャッチコピーのように温かい人ばかりではない。

それでも、そんなことが喧伝されるのは、そう感じる人が多いのだろう。

それはよく言われるてぃだ(太陽)のお陰だけだろうか?

最近僕は思う。ちち(月)のお陰もあるんじゃないかと。

 

ただ、月を意識するだけ。

それだけで、人は何かを受け取ることができるんじゃないだろうかとも思っている。

 

 

 

 


沖縄に住むひとつの理由

2014-11-03 11:03:48 | 日記




僕が沖縄に住む理由はいくつかある。
海、花、緑、食べ物、文化、三線……。
中でも一番は空。
空というより雲だ。

10年になるだろうか、
僕はマンションの高層階に住んでいた。
休日の遅い朝、目が覚めるとすぐにベランダに出てタバコを吸いながらボーッとする。
ふと空を見上げると、手の届きそうなところに雲がある。

「空が近い」

東京では感じたことのない新鮮な感覚だった。
それからというもの、朝も夜も雲を見るのが日課になった。

東京に戻ってからは空を見上げることもなくなった。
三線をやっていた関係で、東京に戻ってからも年に何度か沖縄に通っていた。
沖縄に着くとまず空を見上げたものだ。

6年前。
再び沖縄に引っ越してきた。
選んだのはやはり高層階。
空がどれだけ見えるか、が住む場所の条件だった。

今は2階に住んでいる。
でも、周りに高い建物がないので空がよく見える。
しかも、街自体こっちの言い方で言えば、自体が好きだというのもある。
自治会に入ろうかと思っているくらい。




僕は毎日の散歩の時、無人の児童公園に行くとオンのリードを外す。
僕は公園の一番高い場所である、滑り台の上に上がり雲を眺める。
好きな雲を見つけるとiPhoneを出して写真を撮る。
最近はコンデジも持ち歩き、コンデジで撮る。




ふとオンから目を離していることに気付き、オンを探す。
オンはオンでひとしきり公園を一周したら、こちらをずっと見ている。
彼は常に彼の目の中に僕が入っている範囲から出ることはないのだ。
僕が滑り台から降りると僕の足元に駆け寄ってくる。

毎日のちょっとした幸せ。
これが、僕は沖縄から離れられない理由。


ゆるりと……

2014-10-29 08:49:08 | 日記

「あくまでもゆるく……」

今行っている体質・肉体改善の自分の中でのモットーとしている。
我慢はしないし、もちろん無理もしない。欲望を抑えることはしない。
どうしても食べたいものは食べるし、やりたくないことやらない。
そう決めている。

そもそも僕が体質、肉体改善を始めたのは、
「やりたいことをすぐに出来るようになる」ためだ。

今年前半からずっと続いた体調不良の間、何かやりたいと思ってもそれが出来なかった。
それはストレスにもなったし、やりたいことが次第にどうでもよくなってしまったりした。
だから、僕の目的は痩せることでもなければ、長生きすることでもない。
「やりたいことをやる」ためだ。

「やりたいことをやる」ことが目的なので、いくら身体にいいと言われていることでも「イヤだ」と思うことはするつもりもない。

だから長期的な計画となったのだ。

苦行の後に得るものの大きさは僕も理解は出来る。
本当は苦行が苦行でなくなればいいのだが、そこまでの道のりは険しい。
僕のようなストイックさのカケラもない人間にとってはとても無理な話だ。

今やっていることは、朝の犬の散歩とストレッチと体幹トレーニング。あとは緩い食事制限。
その程度なので、苦行でもなんでもない。
ただ、ストレッチと体幹トレーニングについては、今では毎日やらずにはいられないという状態になっている。
食事制限に関しては、身体が欲したら許すことにしているのでなんということもない。
運動に関しては身体は徐々に求めるようになっている気がする。


以前、ジム通いにハマったことがあった。
まだ月刊誌の編集者だった頃のこと。
月刊誌の編集者の忙しさと言ったら……。
それまではそういう生活を普通だと思っていたのだけれど、突然何かをやりたいと思った。
最初はヨガをやってみたいと思っていた。
家の近所でヨガ教室があり、しかも格安だった。
一度体験してみようと行ってみたら、その心地よさは……、頭はスッキリとし、身体が軽く感じたのを今でも鮮明に覚えている。
そこに通いたかったのだけれど、確か通うのは到底ムリだろうという時間だったと思う。
それから家から近くて、通いやすいヨガ教室を探した。
でも、僕が当時住んでいた近辺にはちょうどいい教室がなかった。
それまでジムに通うということを考えたこともなかったのだけれど、ジムでヨガクラスなどもあるということを知り、ジム通いを始めたわけだ。
それがいつの間にか週に3~4回。ヨガだけではなく様々なクラスにも出るようになり、とにかくジムに行くことが楽しくて仕方なかった。

そんなある日、隣のマシン(何だったかは忘れたけれど、筋トレのもの)にやたらとデカイ人がやってきたことに気づいた。
チラッと見たら、なんと「武藤敬司」だった。
すでに全日の社長になっていたと思う。
本当は話しかけたかったし、握手でもしてもらいたかったのだけれど、
プロレスラーにとってトレーニングは仕事だしなと、思いとどまった。
でも、自然と目はトレーニングをしている武藤敬司に行ってしまった。
確かサーキットトレーニングをやっていて、ちょうどそのタイミングが同じだったようで、その後僕がプールへ行くと後から武藤敬司がやってくるという感じ。
話しもしていないし、ただトレーニングをしている姿を見ただけだったのだけれど、何か得した気分だったのを思い出す。

そんな武藤敬司もデビュー40周年らしい。
ももクロとのコラボTシャツを販売していた。
(武藤敬司とももクロって何? という人はググッてください。)




さて、話を戻そう。(というか、本当は↑の話を書きたかっただけなのだけれど)
やりたいことをすぐに出来る瞬発力を持つためには、それに対応出来る身体が必要で、それに対応出来る身体を持てば、やりたいことをやり切るだけの精神も共に宿るのではないかと思っている。そして、何かが自然と動いてくれる。
実際、体調の管理を始めただけで、物事がとてつもないスピードで動き出している。

僕は今自分がやりたいことをしたいから、身体の管理を始めたのだけれど、始めた途端に物事が動き出しているというのは実に興味深い。
とてつもないスピードと言ったけれど、追いつけないスピードではない。
ただ、せっかくだからそれを加速させるだけの身体と精神を持ちたいと思い始めているのも事実。

でも、そこに気負いはなく、心がけているのは「ゆるりと……」。
そう、ゆるくても進むべきものは進み、始まるべきものは始まる。
多分、それが僕のやり方なのだと思う。


長期計画

2014-10-22 11:00:05 | 日記



僕はよく、「体でかいくせに、体弱いな」と言われていた。
仰るとおりで、必ず季節の変わり目には風邪をひくし、どこか体調を崩す。
20代の頃は午前中に点滴を打って午後から会社に行けば仕事も出来たし、30代の頃は1日くらい休めば大丈夫だった。
まあ、多少のムリは効いたということ。雑誌の編集なんて仕事をしていると、生活のリズムなんてめちゃくちゃだし、体のことなんて気にしていなかった。
それが50歳という数字が近づいてきた頃、多少のムリが難しくなってきた。

今年のことだ。
関係があるかどうかは知らないけれど、原発関連の取材のために福島県の双葉町に入った。
そこの線量はものすごく、想像をはるかに超えた数字だった。
その取材から帰ってきて体を壊した。
ちょうど、季節の変わり目の3月中旬のこと。
いつもの感じかと思い、少々長めに休んだのだが体調がどうにも良くならない。
はっきりとした風邪とかそういうものではなく。
僕の場合、風邪などの体調不良がノドの痛みから始まる。
そのノドの痛みがどうにも取れなかった。
ノドの違和感がようやく消えたのが9月に入ってから。
ようやく体調も普通に戻り、何か根本から変えないといけないなと思うようになった。

そんなある日、三線の先生から「あんたはノドを痛めやすいから、これ飲んでみなさい」と漢方薬を頂いた。
いくども体調を崩して長く休んでいるから、その前に予防をということだ。

ちょうど、僕が何かを変えないといけないと思った矢先の出来事。
この時から僕は考え方を変えた。

体調の悪かった時期はすぐに良くなることだけを考えて、いろいろと試したが結局何が良かったのかも全く分からなかった。
知り合いがプチ絶食をやって体調がよくなったというのを聞き、それを真似してみようかとも思った。
でも、まだ僕には早いんじゃないか? という疑念が湧いたのだ。

あれこれ考えているうちに、僕は1年というスパンで体質改善、肉体改造をしようという思いに至った。
今、1年というスパンでどうやって体を変えていくかを考えながら、出来ることから始めた。
それが、朝の散歩だった。
ようやく朝の散歩が生活リズムに無理なく組み込めるようになった気がする。
そして、今食事改善に取り組みだした。
同時に体幹と上腕、大胸筋を鍛え始めた。もちろんムリのない程度に。
まだ始めたばかりで、効果があるのかどうかは分からない。
今1年というスパンで考えているけれど、もしかしたら1年半、2年になるかもしれない。
とにかく続けていこうと思っている。

最後の仕上げだけは決まっている。
それは真似しようと思っていたプチ絶食。いつになることか?

こんな思いに至ったのは『THETHE』を始めたこと、さらにこれから発売する垂見健吾さんの写真集をリンクしている。