最近ものすごく感じるのは、なぜこの世の中にHappyな世界がないのだろうかということ。
多分、多くの人には戯言を言っているようにしか思えないだろう。確かにそうだと思う。今の人のほとんどは現実主義なのだと思う。諦めて、すべてを受容してしまう。もしかしたら、それが今の大人の対応というヤツなのかもしれない。
でも、それは決して諦観の境地に達しているのではなく、くすぶった気持ちを心の中に抱えながらも「仕方ない」と思っているように見える。
日本だけでなく世界中がそんな気持ちに包まれているような気がしてならない。
一部のどうにかしようと思う人たちは暴力という手段を使う。暴力にはさまざまな種類があって、肉体への攻撃はもちろん、精神面への攻撃もある。新聞やニュースで報道されるテロや戦争、ネット上のあちこちで飛び交う罵詈雑言を見ていると悲しくなる。
多くの批評家たちが語っている言葉を借りて言えば、冷戦構造崩壊以降の「大きな物語」の崩壊が及ぼしたものが悪い方向へ、しかも鋭利なものとなって表れているような気がする。
そして日本に限って言えば、ゼロ年代について語っている批評家たちの言う、1995年という分岐点は納得せざるを得ない。あまり詳しく解説しないけれど、外に出た「ひきこもり」たちの無理やりな諦めの気持ちと標的を定めない攻撃は実にやっかいなものだ。(あまりこんなことを書くと僕自身が攻撃されそうだけれど、きっと彼らはこんなブログなど読んでないはず)
もちろん、外に出た「ひきこもり」たちのすべてがそうなっているわけではない。彼らの中の多くは彼らなりの幸福を探して見つけている。「ひきこもっていない」方の人たちは未だにある種の差別やいじめなどという攻撃でウサを晴らしているように思える。もちろんみんながみんなそうだとは思っていない。ひきこもっていない」方の人たちは彼らならではの幸福を見つけているかもしれないし、探している途中なのかもしれない。ただ、いずれにしても、そのどちらもウサを晴らすという方法を何らかの形で取っている。しかも、それが攻撃的であるということに無自覚なままに。
少しばかり論点がずれたけれど、とにかく世界は決してHappyな方向へ進もうとしてない。
なぜそうなってしまうのか? ずっと考えていた。
ここからは僕の私論なのでいくらでも批判は受けますが。僕が思うに、コミュニティの細分化もひとつの要因であるような気がしてならない。コミュニケーションに関する問題がさまざまな人たちが論じてきたけれど、今という時代はコミュニケーションはより密になっていると思う。SNSの進化がそれを後押ししているのは言うまでもない。
人という生き物は本来社会性を持つ、いや本能として社会性を必要とする動物だ。集団でいなければ生きていない。もちろん山に篭って一人きりで生きている人もいるかもしれないが、それはあくまでも例外だ。そこまでの強さを得るために彼は相当な苦行修行を積んでいるはず。
人は本能的に帰属意識を必要としている。
何かに帰属しているということが安心に繋がっているのだ。昔はそれが学校だったり、会社だったりしたわけだ。でも、今終身雇用という日本ならではシステムは崩壊し、それに代わる何かに帰属したいと思っている。こうして小さなコミュティがいくつも生まれてきたわけだ。もちろん小さなコミュニティは昔からあった。が、そこへの依存度が非常に高くなっていると思うのだ。
僕は小さなコミュニティに関して否定的ではない。いいなと憧れたりもする。共通の何かを持っていて、そこに向かって活動していく人たちに。僕の知っているコミュニティはそんな人たちばかりだ。
でも、時にそうではないコミュニティも存在する。排他的なもの。意に沿わないものは排除する。それはコミュニティの結束が強ければ強いほどそういった傾向になっていく。すべては自分たちが正しく、それ以外のものは認めない。でも、そういうコミュニティほど大きくなっていく。そしてより攻撃性を増していく。世界中にそんなコミュニティが溢れかえっている。
僕は今祖父の詩集の編纂に取り掛かっている。
彼の詩を読んでいると、今という時代がくっきりと見えてくる。
別に彼が今の時代を予言していたわけではなく、昔もそんな時代があったということ。
祖父はおそらく相当屈折した人間だったと思われる。彼の背景を知る僕には。
簡単に彼のことを書いておこう。詳しくは編纂した本に何かしらの形で書き記すつもりだ。
正木聖夫(本名・良正)は地主の家に生まれた。僕が聞く限りかなりな資産家だったようだ。しかし、彼はそのことがコンプレックスになっていた。豪放磊落な父親(曽祖父)から逃げ、彼は貧しい人たちのコミュニティに率先して入っていき、彼が父親の力を借りずに自分で出来ることをした。子供たちへの童話の読み聞かせや病気の人の看病など。彼は自分の父親のようにはなりたくなかった。実は彼は最初童話を書いていた。学校の先生をしながら、休日はいわゆる貧民街へと通っていたのだ。
そんな彼の詩を毎日読んでいたせいか、僕はこんなことを考えるようになってしまったのかもしれない。
あ、一言だけ付け加えておく。確かに曽祖父の時代はお金持ちだったが今は違う。これだけは強調しておく。
Happyな世界にするには……。
まずは自分がHappyになる必要がある。そしてそのHappyを周囲に分け与えていく。
それしか方法はなさそうだ。
そのHappyがどこまで届くのかは分からない。もちろん僕にとってのHappyが他の人にとっては何でもないことかもしれない。でも、物事を伝えてくつもりはなく、Happyな感覚だけを伝えたいと思っている。
もうネガティブキャンペーンはやめようよ。
排除するのはやめて受容しようよ。
どうせ、同じ考えの人なんてこの世に存在しないのだから。
どんどん愚痴っていいよ。愚痴はネガティブキャンペーンとは違うから。
愚痴は攻撃ではないから。
僕にとってこのブログは何も発信しないということを約束事にしていたのだけれど、今回だけは発信をするつもりで書いている。
そして、僕にとってのHappyな写真を一枚だけ上げておく。
こんな季節に新緑を見ることの出来る喜び。
僕の中の小さいけれど、とてもHappyなこと。