昼間、浜を歩いて寒かった。
夕方になってもっと冷え込んできたので、珈琲を淹れた。
まず、昨日の私の宿題から。
悲しむ人は、幸いである、
その人たちは慰められる。(マタイ5;4)
自分の罪深さに気づき、神の御前で泣き悲しむ人は幸い。
神が慰めて下さるとイエスは教えている。
この箇所に通じる詩篇の箇所を三ヶ所見つけてきた。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう。
「御顔こそ、わたしの救い」と。
(詩篇42;6)
もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
しかし、
神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
(詩篇51;18~19)
主は打ち砕かれた心に近くいまし
悔いる霊を救ってくださる。
(詩篇34;19)
イエスの時代、極貧の群集達はローマ帝国の支配下で税を搾り取られ、
宗教的指導者達から律法でかんじがらめに縛られた上に
献金と献げ物を巻き上げられ、どん底の苦しい生活をしていた。
信仰は苦しむ人の救いや慰めにはなり得ずむしろ呪縛となって
主なる神の慈しみと憐れみの教えを形骸化させ歪められていた。
詩篇には神の憐れみ深さがはっきり書かれているのに
当時の宗教的指導者達は素通りしていたのだろうか。
イエスは自分の罪深さ、惨めさに気づいて悔いる人の心に
神が寄り添って下さる事を人々に説いている。
自分が罪深い人間であると知って神に祈り嘆く時、
神が自分のすぐ傍にいらして憐れみ、慰めて下さる。
本日の箇所に進む。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
(マタイ5;5)
自分の罪深さ、惨めさを知り、
本当の自分の姿、現実の自分の人間的な弱さを自覚した人は
人の弱さに共感し思いやる事が出来る。
柔和になるという事は、
自分が罪深い弱い者であると悟り、人の弱さを受け入れる事。
地を受け継ぐとは、
お互いの弱さを思いやり助け合う生き方をこの地上で実現する事。
実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。
(ルカ17;21)
主の祈りの中にもある。
御国が来ますように。
御心が行われますように。
天におけるように地の上にも。
(マタイ6;10)
私は今、じじと自分がいる教会でそれを痛感している。
詳しくはここには書かないけど。
そう感じている事を、じじとしばらく話した。
その事で主なる神に言い尽くせない感謝で一杯である事を。
夕方になってもっと冷え込んできたので、珈琲を淹れた。
まず、昨日の私の宿題から。
悲しむ人は、幸いである、
その人たちは慰められる。(マタイ5;4)
自分の罪深さに気づき、神の御前で泣き悲しむ人は幸い。
神が慰めて下さるとイエスは教えている。
この箇所に通じる詩篇の箇所を三ヶ所見つけてきた。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう。
「御顔こそ、わたしの救い」と。
(詩篇42;6)
もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
しかし、
神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
(詩篇51;18~19)
主は打ち砕かれた心に近くいまし
悔いる霊を救ってくださる。
(詩篇34;19)
イエスの時代、極貧の群集達はローマ帝国の支配下で税を搾り取られ、
宗教的指導者達から律法でかんじがらめに縛られた上に
献金と献げ物を巻き上げられ、どん底の苦しい生活をしていた。
信仰は苦しむ人の救いや慰めにはなり得ずむしろ呪縛となって
主なる神の慈しみと憐れみの教えを形骸化させ歪められていた。
詩篇には神の憐れみ深さがはっきり書かれているのに
当時の宗教的指導者達は素通りしていたのだろうか。
イエスは自分の罪深さ、惨めさに気づいて悔いる人の心に
神が寄り添って下さる事を人々に説いている。
自分が罪深い人間であると知って神に祈り嘆く時、
神が自分のすぐ傍にいらして憐れみ、慰めて下さる。
本日の箇所に進む。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
(マタイ5;5)
自分の罪深さ、惨めさを知り、
本当の自分の姿、現実の自分の人間的な弱さを自覚した人は
人の弱さに共感し思いやる事が出来る。
柔和になるという事は、
自分が罪深い弱い者であると悟り、人の弱さを受け入れる事。
地を受け継ぐとは、
お互いの弱さを思いやり助け合う生き方をこの地上で実現する事。
実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。
(ルカ17;21)
主の祈りの中にもある。
御国が来ますように。
御心が行われますように。
天におけるように地の上にも。
(マタイ6;10)
私は今、じじと自分がいる教会でそれを痛感している。
詳しくはここには書かないけど。
そう感じている事を、じじとしばらく話した。
その事で主なる神に言い尽くせない感謝で一杯である事を。