受洗を決意して洗礼準備に入った時、
母教会の教会員の複数の誰彼から異口同音に
同じ事を言われた事がある。
「洗礼式の日を迎えるまでに
悪魔がいろいろな抵抗や邪魔をするから
気をつけてね。
健康上の問題、
事故やケガ、
人間関係の躓き、
生活面の問題、
心の迷いや恐れ、
どんな邪魔をしてくるかはわからない。
だから
イエス・キリストだけをしっかり見つめて、
決して目を外さないように、
十字架を見上げててね。」
それは、
本人だけにではなく
身近の者にも及び、襲ってくる。
今、それを感じる。
父が迷うとか躓くとかではない。
私がどうあろうと父の決心は動かない。
父と一緒のテーブルで聖書を開き、
一緒に主の祈りを唱えながら
この毎日、
御手の力強い事を実感している。
先日、
マルコの8章を父と一緒に読むと、
奇跡の箇所ではいつも一歩退く父が
"わたしの後に従いたい者は、
自分を捨て、自分の十字架を背負って、
わたしに従いなさい。・・・"
の箇所で身を乗り出し、
真剣に聞き入っていたかと思ったら
本人にも理由のわからない涙を流した。
それを見た時、私は
父の信仰が
言葉に表わせないながらも本物であると確信した。
その瞬間、
それまでずっと忘れていた、
何年も前の、
ある人がたまたま私に言った言葉が突然
私の脳裏に甦った。
数年前、
私達の教会の納骨堂を古い墓地から
新しい霊園に移転し、完成した時。
その日私は仕事で行かなかった。
その人は新しく完成した納骨堂の様子を
私に知らせてくれた。
「綺麗で、明るくて、とってもいい所だった。
お墓なのに何だかずっとそこにいたい気がする、
素敵な納骨堂だったわ。
トモちゃん、私、
あなたのお父さんがあそこに入ったらいいと思うの。」
今の今まで
思い出しもしなかったその人の言葉を
どうして今頃になって
聖書を読み涙する父の顔を見て思い出すのか。
教会の納骨堂が完成した時点では
私は父を教会に連れて行く事など
考えもしなかった。
それから1年経って
父を初めて教会の礼拝に連れて行ったのが始まりで
以来、父は一回も休む事なく毎週日曜日には
主日礼拝に通っている。
父は私の勤務に左右される事なく
ヘルパーの介助を受けて教会通いを続けている。
私の知らない間に
父は自分から牧師先生に受洗の希望を申し出て
今こうして決意を確固たるものとしている。
その人のあの言葉を思い出した。
その人のあの言葉通り現実になろうとしている。
父は親と縁の薄い生い立ちだった。
親族の墓との関わりも今はない。
父が受洗したら
いずれ父がこの世を去った時
遺骨は教会の墓所に入れて貰う事になるだろう。
"トモちゃん、私、
あなたのお父さんがあそこに入ったらいいと思うの。"
あの人の言った言葉の通りになる。
そんな考えが頭を過ぎった時、
本来はこの上なく喜ばしいはずの
父の受洗の日が
根拠なく禍々しいもののような気がして来た。
くだらない事だ。
くだらない事に囚われている。
くだらない事に囚われて
一番大事な事から目を外そうとしている。
私は
あの人が悪意で言ったのではない事を知っている。
あの言葉を
あの人に言わせたのは悪霊。
私に思い出させたのも悪霊。
受洗前に母教会の人々から言われた事は本当だ。
自分の受洗だけでなく
自分以外の受洗の時にも当てはまる事だ。
母教会の教会員の複数の誰彼から異口同音に
同じ事を言われた事がある。
「洗礼式の日を迎えるまでに
悪魔がいろいろな抵抗や邪魔をするから
気をつけてね。
健康上の問題、
事故やケガ、
人間関係の躓き、
生活面の問題、
心の迷いや恐れ、
どんな邪魔をしてくるかはわからない。
だから
イエス・キリストだけをしっかり見つめて、
決して目を外さないように、
十字架を見上げててね。」
それは、
本人だけにではなく
身近の者にも及び、襲ってくる。
今、それを感じる。
父が迷うとか躓くとかではない。
私がどうあろうと父の決心は動かない。
父と一緒のテーブルで聖書を開き、
一緒に主の祈りを唱えながら
この毎日、
御手の力強い事を実感している。
先日、
マルコの8章を父と一緒に読むと、
奇跡の箇所ではいつも一歩退く父が
"わたしの後に従いたい者は、
自分を捨て、自分の十字架を背負って、
わたしに従いなさい。・・・"
の箇所で身を乗り出し、
真剣に聞き入っていたかと思ったら
本人にも理由のわからない涙を流した。
それを見た時、私は
父の信仰が
言葉に表わせないながらも本物であると確信した。
その瞬間、
それまでずっと忘れていた、
何年も前の、
ある人がたまたま私に言った言葉が突然
私の脳裏に甦った。
数年前、
私達の教会の納骨堂を古い墓地から
新しい霊園に移転し、完成した時。
その日私は仕事で行かなかった。
その人は新しく完成した納骨堂の様子を
私に知らせてくれた。
「綺麗で、明るくて、とってもいい所だった。
お墓なのに何だかずっとそこにいたい気がする、
素敵な納骨堂だったわ。
トモちゃん、私、
あなたのお父さんがあそこに入ったらいいと思うの。」
今の今まで
思い出しもしなかったその人の言葉を
どうして今頃になって
聖書を読み涙する父の顔を見て思い出すのか。
教会の納骨堂が完成した時点では
私は父を教会に連れて行く事など
考えもしなかった。
それから1年経って
父を初めて教会の礼拝に連れて行ったのが始まりで
以来、父は一回も休む事なく毎週日曜日には
主日礼拝に通っている。
父は私の勤務に左右される事なく
ヘルパーの介助を受けて教会通いを続けている。
私の知らない間に
父は自分から牧師先生に受洗の希望を申し出て
今こうして決意を確固たるものとしている。
その人のあの言葉を思い出した。
その人のあの言葉通り現実になろうとしている。
父は親と縁の薄い生い立ちだった。
親族の墓との関わりも今はない。
父が受洗したら
いずれ父がこの世を去った時
遺骨は教会の墓所に入れて貰う事になるだろう。
"トモちゃん、私、
あなたのお父さんがあそこに入ったらいいと思うの。"
あの人の言った言葉の通りになる。
そんな考えが頭を過ぎった時、
本来はこの上なく喜ばしいはずの
父の受洗の日が
根拠なく禍々しいもののような気がして来た。
くだらない事だ。
くだらない事に囚われている。
くだらない事に囚われて
一番大事な事から目を外そうとしている。
私は
あの人が悪意で言ったのではない事を知っている。
あの言葉を
あの人に言わせたのは悪霊。
私に思い出させたのも悪霊。
受洗前に母教会の人々から言われた事は本当だ。
自分の受洗だけでなく
自分以外の受洗の時にも当てはまる事だ。