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ぱんくず迷走録

日曜日は教会へ。

悪霊の働き

2008-03-01 23:59:59 | お祈り
受洗を決意して洗礼準備に入った時、
母教会の教会員の複数の誰彼から異口同音に
同じ事を言われた事がある。


「洗礼式の日を迎えるまでに
 悪魔がいろいろな抵抗や邪魔をするから
 気をつけてね。
 健康上の問題、
 事故やケガ、
 人間関係の躓き、
 生活面の問題、
 心の迷いや恐れ、
 どんな邪魔をしてくるかはわからない。
 だから
 イエス・キリストだけをしっかり見つめて、
 決して目を外さないように、
 十字架を見上げててね。」


それは、
本人だけにではなく
身近の者にも及び、襲ってくる。
今、それを感じる。


父が迷うとか躓くとかではない。
私がどうあろうと父の決心は動かない。
父と一緒のテーブルで聖書を開き、
一緒に主の祈りを唱えながら
この毎日、
御手の力強い事を実感している。


先日、
マルコの8章を父と一緒に読むと、
奇跡の箇所ではいつも一歩退く父が
"わたしの後に従いたい者は、
 自分を捨て、自分の十字架を背負って、
 わたしに従いなさい。・・・"
の箇所で身を乗り出し、
真剣に聞き入っていたかと思ったら
本人にも理由のわからない涙を流した。
それを見た時、私は
父の信仰が
言葉に表わせないながらも本物であると確信した。
その瞬間、
それまでずっと忘れていた、
何年も前の、
ある人がたまたま私に言った言葉が突然
私の脳裏に甦った。


数年前、
私達の教会の納骨堂を古い墓地から
新しい霊園に移転し、完成した時。
その日私は仕事で行かなかった。
その人は新しく完成した納骨堂の様子を
私に知らせてくれた。


「綺麗で、明るくて、とってもいい所だった。
 お墓なのに何だかずっとそこにいたい気がする、
 素敵な納骨堂だったわ。
 トモちゃん、私、
 あなたのお父さんがあそこに入ったらいいと思うの。」


今の今まで
思い出しもしなかったその人の言葉を
どうして今頃になって
聖書を読み涙する父の顔を見て思い出すのか。


教会の納骨堂が完成した時点では
私は父を教会に連れて行く事など
考えもしなかった。
それから1年経って
父を初めて教会の礼拝に連れて行ったのが始まりで
以来、父は一回も休む事なく毎週日曜日には
主日礼拝に通っている。
父は私の勤務に左右される事なく
ヘルパーの介助を受けて教会通いを続けている。
私の知らない間に
父は自分から牧師先生に受洗の希望を申し出て
今こうして決意を確固たるものとしている。


その人のあの言葉を思い出した。
その人のあの言葉通り現実になろうとしている。
父は親と縁の薄い生い立ちだった。
親族の墓との関わりも今はない。
父が受洗したら
いずれ父がこの世を去った時
遺骨は教会の墓所に入れて貰う事になるだろう。


"トモちゃん、私、
 あなたのお父さんがあそこに入ったらいいと思うの。"


あの人の言った言葉の通りになる。
そんな考えが頭を過ぎった時、
本来はこの上なく喜ばしいはずの
父の受洗の日が
根拠なく禍々しいもののような気がして来た。


くだらない事だ。
くだらない事に囚われている。
くだらない事に囚われて
一番大事な事から目を外そうとしている。
私は
あの人が悪意で言ったのではない事を知っている。
あの言葉を
あの人に言わせたのは悪霊。
私に思い出させたのも悪霊。


受洗前に母教会の人々から言われた事は本当だ。
自分の受洗だけでなく
自分以外の受洗の時にも当てはまる事だ。

3月1日(土) まず、主の祈り

2008-03-01 22:09:39 | お祈り
今日、じじは
デイケアで囲碁仲間が5人も休んだと言っていた。
座って囲碁なんかやり始めたので
ますます歩けなくなってきた。


週3回デイケアで囲碁で勝ったり負けたりして、
デイケアに行かない週日は
ヘルパーや行きつけの珈琲店の店主夫妻と談笑し、
夜には私と一緒に主の祈り、マルコを読み、
日曜日は教会に行く。
脳は2年前に比べて格段に活性化されていると思う。
少なくとも2年前には囲碁などした事すらなかった。

囲碁は、
一から仲間に教えて貰って覚えて、
コテンパンに負け通しだったのが
最近は勝つようにまでなってきた。
本もよく読むようになった。
この2年間の間に三浦綾子、遠藤周作の小説は
ほぼ全部読んだ。
ヘルパーとお喋りしてよく笑うという。
喜怒哀楽がはっきりしてきた。


しかし、
身体は動かなくなって足腰は殆ど立たなくなった。
今後は身体機能がどんどん落ちていくだろう。
これからの日々、
イエス・キリストがじじと共にいて下さる。
主の祈りもすらすらと流暢に読んでるけど。


いよいよ今日は
イエスのエルサレム入りの箇所だ。
気合が入る。
じじ、意欲的。
神に感謝。

2月29日(金) まず、主の祈り

2008-02-29 22:20:21 | お祈り
じじは、
声出して主の祈りを読む事を習得した。
暗誦するまでには至っていない。


牧師先生も私も、
出来ればじじが自分の言葉で
自発的に祈る事が出来るようになればと
願いは持っているが
高齢で新しい事を習得する事自体が難しい。


「出だしは"天の父なる神様、"
 次に神を賛美するのさ。
 "御名を崇めます。"、
 次に神に感謝する。
 例えば
 "今日一日の生活を守って下さり
  ありがとうございます。"とか、
 日々の生活を支えて養って下さっている事を
 神様に感謝する。
 それからは自分が今願う事を率直に、
 例えば"病気が直りますように"とか
 何でも、正直に神様にお願いする。
 最後に
 "イエス・キリストの御名によって、アーメン。"」


「へぇ。」


「つまり、こんな具合。
 "天の父なる神様、"
 "御名を崇めます。"
 "○○をありがとうございます。"
 "○○が○○になりますように、お願いします。"
 "イエス・キリストの御名によって、アーメン。"」
 基本的にこんな感じかな。
 お父さん、私と一緒にやってみて。
 最後に、アーメンて言ってね。」


「うむ。」


「天の父なる神様、
 御名を崇めます。
 今日一日を無事に過ごす事が出来ました。
 守って下さりありがとうございます。
 明日からの生活をも導いて下さい。
 お願いします。"
 イエス・キリストの御名によって、アーメン。」


「・・・・(^_^)」






・・・・・・orz


じじ。
最初と最後だけ復唱して、
後はニコニコしてるだけだったであるよ。
自分の言葉で自発的に祈る・・・・・・
じじにとっては難易度高過ぎるか。。。

2月28日(木) まず、主の祈り

2008-02-28 22:15:12 | お祈り
持病が悪化するのを防ぐために
甘いものは禁忌として
毎度じじがデイケアから買って来る
"ラインサンド"
(細長いビスケットにクリームを挟んだ菓子)
チョコレートなどは
家のあちこちに隠しているが、
最近は私もヘルパー達と相談して
じじの裏をかいて見つからない場所に隠している。
そのためか
じじのストレスが密かに鬱積していると思われるので
本日だけカップアイスを1個、
おみやげに持参した。


聖書を開く前に珈琲を沸かす間、
一緒にアイスクリームを食べた。


本当は、
どうせ食べるなら
ちょっと前までセブンで売ってた、
大昔の雪印の青カップのアイスクリームがよかったけど
もう終わっちゃってた。


「もう売ってなかったのさ。
 雪印があんな事にならなかったら
 食べられたのにねぇ。」


「そうだなぁ。
 あれ、うまかったなぁ。」


「今ならもっと材料に凝って
 もっと味のいいアイスがたくさんあるんだけど
 ほら、
 食べ物って味だけでなくて
 懐かしいというだけで食べたくなるものでしょ。」


「そうだなぁ。
 昔はあのアイスくらいしか売ってなかった。
 駅のホームで売ってたな。
 40円くらいだったぞ。」


「そうそう。
 おじさんが木箱にあの雪印のアイス入れてさ、
 首から提げて"え~アイスクリーん"て売ってた。」


「そうだったなあ。
 よく売ってたなぁ。」


「ドンコー列車に乗って窓開けて
 あのアイスを食べるのが楽しみだった。」


「高級でなくていいし
 濃厚生クリーム入りでなくていいから
 あの素朴なカップアイスが食べたいよねぇ。」


「そうだなぁ。」


「貧しい時ものの無い時代に食べたものって
 すごく美味しいものだった気がするよね。」


「そーかぁ?」


珈琲が入った。
さて、主の祈り。
私が手書きした主の祈りの紙、
ますますくたくたになってきた。
じじ、両手で持って、
今日も楽しそうな顔で読んでいる。

2月25日(月) まず、主の祈り

2008-02-25 22:30:51 | お祈り
じじは
デイケアの囲碁仲間数人が
最近休みがちだとつまらなそうに言う。
風邪流行ってるからね。
緑茶でうがいしなさいよ。
予防が肝心なんだから。


いつものように主の祈りを読み上げる。
私が手書きした紙、くたびれてきたな。


それにしても
紙を見ながらでも
すらすら言葉が出て来てる。
継続は力、だなぁ。

2月24日(日) まず、主の祈り

2008-02-24 22:10:55 | お祈り
夜8時からじじは大河ドラマを見るので
私は日勤の後、
自宅に戻らずじじ宅に直行して、
約1時間早くテーブルに着いた。


「今日、教会どうだった?」


「いつもとおんなじだ。」


「・・・・o(#-"-)o=3
 (いつもとどんな風におんなじなんじゃ!!!)」


さて、
早く始めて早く終われるぞ。
私は明日も日勤だ。


主の祈り。
じじ、
だんだん読み方が滑らかになってきた。
まだ暗誦するには至らないけど。


不思議なのは、
じじがこの主の祈りを読む時だけは
昔の小学一年生みたいな
嬉しそうな表情をする事。
教会通いを始めた時もそうだったけど
"げーめんどくせぇ"という表情をしない。
何でだろう?

2月23日(土) まず、主の祈り

2008-02-23 22:36:46 | お祈り
今日はひどい吹雪だ。
雪はパウダースノーで吹き溜まりが出来ている。
風が強い。


今日もじじ宅で主の祈りから始める。
昨日ほどではないけど
やはりだんだん覚えてきたのか
スムーズに言葉が出て来ている様子。


「何だかだんだん覚えてきたな。」


そうだよ。
じじ、まだ今日で7回めなのに
結構スラスラ読んでいる。


「見ないで言うのはまだ出来ないな。」


「焦らなくていいよ。
 自然と覚えるから。」


そう。
今日はまだ7回めなんだよ。

2月22日(金) まず、主の祈り

2008-02-22 22:35:37 | お祈り
今日、じじ宅に行くと
じじは既にテーブルに着いて聖書を前に置いていた。
夕方のヘルパーさんがちょうど帰る頃だった。
この人は教会の同行には付かないが、
じじの話をよく聞いてくれて
楽しく盛り上げてくれて話に花が咲く。
じじはおかげでよく笑うようになった。


「洗礼を受けたいと言うので
 先日から一緒にお祈りを覚えたり
 聖書読んだりしてるんですよ。」


「へぇ~すごいですねぇ。」


じじ、
このリアクションに俄然やる気満々の顔つきをしている。


・・・・・・┐( `_´)┌ =3


そのおかげか、
今日の主の祈りはやたらと流暢だぜ。

2月21日(木) まず、主の祈り

2008-02-21 22:15:19 | お祈り
4日ぶりで
じじ宅にて一緒に主の祈りを唱える。
じじ、紙を見ないと主の祈りは無理なんだけど
ずいぶん自信持ってすらすら読めるようになった。


マルコが終わったらさ、
主の祈りの中身を、
私が教会で教わってきた事から教えよう。


これまで教会でしてきたいろんな学びも
こんな所で役立つんだなぁ。
ノート取っといてよかった。

2月16日(土) まず、主の祈り

2008-02-16 23:04:31 | お祈り
今日も日勤の後にじじ宅にてマルコを読んだ。
聖書を開く前に、
いつものように主の祈り。
じじは私がA4の紙に手書きした主の祈りを手に取り、
声に出して朗読する。
ところどころ噛んだりつっかえたり読み損なったりする。


私が珈琲の湯を沸かす間、
じじは3回主の祈りを朗読した。
突然じじが
主の祈りを書いた紙を見てぽつりと言った。


「これ、
 見ないですらすら言えるようになったらいいなぁ。」


焦る必要は全然ないよ。
まだ今日で4回目だし、
たった4回にしては上出来だと思うよ。


じじはまだ
諳んじて祈るという余裕もなく
小学生の国語の授業のように音読するのが精一杯だ。


もちろん
主の祈りの一字一句の意味を
私は掘り下げて説明などしていない。
本当は主の祈りの中身をもっと詳しく
話してやる方が親切かも知れないけど、
一度にあれもこれもするのは私には無理。
じじにとっても
詰め込み教育みたいになってしまいかねない。


私の出来る範囲で出来るところまで
仕事帰りの時間を1、2時間裂いて
一緒に聖書を読んで分かち合う事と
一緒に主の祈りを唱える事を
じじが自分の日課とするところまでを目標に
地味に進もうとしている。


じじの願いは近いうちに叶えられるよ。
主の祈りをすらすらと
自分の口で唱える事が出来るようになったら
すごいよ。じじ。
礼拝で教会の皆が主の祈りを唱える時、
今まではぼーっと蚊帳の外にいたのが
皆と一緒に主の祈りを唱える事が出来るようになるんだよ。
祈りの輪の中にじじも入る事が出来るのさ。


受験生みたいに暗記する事は全然重要ではないし
覚えたからといって偉くなれる訳でもない。
でもこれは大事な祈りだよ。
主の祈りを皆と一緒に唱えて
神様に向かって皆と一緒に心を合わせる事が大事なのさ。


「これ、
 見ないですらすら言えるようになったらいいなぁ。」


「大丈夫。
 すぐ覚えられるよ。」


「どうだかなぁ」


「何回も唱えているうちに自然と覚えられるよ。
 日課にしたらいいよ。
 朝、目が覚めた時と
 夜、寝る前と、
 一日3回食事の前には必ず主の祈り。
 これだけでも一日5回。
 一ヶ月、一年と続けて
 来年の今頃は、教会の礼拝の時には
 紙なんか見ないですらすら
 自然と言葉が出て来るようになるよ。」


「そうかなぁ」


「弟子達も祈り方がわからなかった。
 それでイエス様が教えて下さったのが
 この祈りだよ。
 主イエスが教えて下さったから
 "主の祈り"なんだよ。」


「へぇ~」


じじ、
明日、私は遅番の仕事で夜は来られない。
じじが教会に着く頃に私は出勤する。
教会に行って皆に会って来てよ。
よろしく伝えて来て。


「うむ。
 わかった。」

2月15日(金) まず、主の祈り

2008-02-15 22:05:14 | お祈り
今日も日勤の後、じじ宅でマルコの続きを開いた。
「さ、始めよう」と言ってテーブルに着いた。
前回私が紙に書いた主の祈りをじじに持たせると、
じじの口からスムーズに主の祈りの言葉が出てきた。
読む事も声を出す事も、憶える事も、
一日一日、じじは進歩している。


今度の日曜日に礼拝で
皆で主の祈りを唱える時、
じじは自分の進歩に気づくだろう。
いずりそのうち、
見なくても主の祈りを唱える事が出来るようになる。
主の祈りの意味も理解するようになる。
そして
自分の心の奥底から
自分の言葉で
主なる神に祈りを捧げる事が出来るようになる。
教会の皆と一緒に祈る事も出来るようになる。
これは私の欲目や甘い期待ではないと思う。

2月14日(木) まず、主の祈り

2008-02-14 22:15:21 | お祈り
昨日、
じじが初めて声に出して主の祈りを唱えたが
声にするだけで精一杯、
自意識が邪魔してうまく読めないでいるのがわかった。


今日、二日目にして
じじは昨日よりも自然に自分の声に出して
主の祈りを唱えていた。
言葉が昨日よりも落ち着いて
スピードもあってスムーズに発語出来るのは
昨日2、3回唱えて見て慣れたのか
主の祈りの言葉の一つ一つをだんだん覚えてきたのか
どうなんだろう?


78歳の高齢であっても
一日で新しい事を習得する事は可能だ。

2月13日(水) まず、主の祈り

2008-02-13 22:37:34 | お祈り
聖書を読む前にお祈りをする。
といっても
じじはまだ祈るという行為にすら馴染んでいない。
どう祈ったらいいかもわからない。
だから、主の祈り。
教会の週報の裏に印刷されているので
一緒に声を出して読んでみた。
使徒信条も読んでみた。


・・・・・(;-_-)・・・


どうもいまいちなんだなこれが。
何故なら印字が小さ過ぎて
じじにとってはルーペを使っても読み難い。
とりあえずA4の紙に手書きしてみた。
今度は読めるみたいだ。


使徒信条も読んでみたけど
じじにとっては難易度高いな。
では、
聖書を読む前と読んだ後に主の祈り。
じじが自分の言葉で
自然に祈る事が出来るようになるまで。


この『主の祈り』は、
祈りを教えて下さいと言った弟子達に、
主イエスが教えてくれた祈りだと説明した。
じじ、やたらと感心していた。

感謝の祈りを捧げに行く。

2007-08-22 19:25:55 | お祈り
えっと・・・
私の日記、
タイトルだけ読んでると
気が変になりそうですが。


寝不足でだるくて
胃腸の具合が悪くて
寒気がして
顔面の皮膚もボロボロであるけど
作らなくてはならない症例研究の文書と
教会月報のスケジュール表を
ちょっち横に置いて
今から出かけてくる。


教会に行くであるよ。


水曜夜の聖書研究と祈祷会にね。
仕事もドつぼだけど
経済的にもド貧乏で
時間的にもド貧乏暇無しで
やっきりこいて
祈っていたというよりは愚痴こぼしていたであるよ。


給料超激安で経済的にキツキツで
超人手不足で
時間的に介護と両立可能な今の職を続けるか
経済的に今よりましで
体力的にも時間的にも殺人的で余裕とは無縁な
人間関係最悪で超人手不足と言われる某病院の手術場の
求人募集に応募するかで考え込んでいた。


私が夜勤とか残業とかして稼ぐでしょ。
でもそれで取られた時間の分は
じじに夜間のヘルパーをつけて
服薬確認や翌日の朝食用意をして貰ってるんだけど
要介護2のじじの介護保険では足が出て
一部自腹になってしまっていた。
私が夜勤で稼ぐと
その分
じじのヘルパー利用料金の自己負担増の状態になってた。
特に私が椎間板のオペで入院してからしばらくは
きつかった。


でも昨夜私が夜勤している間に
ケアマネージャーから連絡が入ってて
じじの要介護認定の更新時期だったんだね。
足が弱ってだんだん立てなくなってきて
糖尿病も悪化して
徐々に身体機能のレベルか落ちてきたじじを
ケアマネージャーが再評価して
要介護申請にもっていってくれてた。
それで、先程のケアマネの話では
今回の要介護認定でじじは要介護3になった。
それだけ重度になったという事。


そうなの。
へらへらとじじネタをこんなところに披露してるけど
現実は要介護2では限界に来てると感じていた。
ヘルパー達からの評価も
私自身の目で見ても
珈琲店の主人や周囲の人々の目にも
じじの要介護度はもう2では限界に達している。
でも
本人も自分のレベルダウンという現実を
受け入れられずに
むきになって頑張ってきたし
私も本人の「まだオレは頑張れる」という意識に
照準を合わせてきた。


とうとう要介護3に
落ちたなという思いもあるけど
切実に有難い。
今月額自己負担している部分が
一部介護保険でカバー出来る見込みが出来た。


じじよかったな。
これでもっとしんどくなったとしても
まだまだもっと頑張れる。
ケアマネージャーと
ヘルパーさん達と
デイケアのスタッフと利用者仲間と
配食サービスのスタッフと
珈琲店の主人夫妻と
大家さんと
牧師先生や教会の皆と
タクシーの運転手さん達も。
皆に支えられて
もうしばらくこの生活を続けられそうだな。
皆のおかげだよ。


誰よりも神様に感謝しなきゃ。

朝祷会のメッセージ奉仕

2007-01-10 22:07:59 | お祈り
今日は日勤の後、
教会の聖書研究会に久しぶりに出た。


年末は仕事が荒れて欠席続き、
年明けは先週ばばを連れて寄席、
それで
本日やっと夜の集会に出られた。


一日の労働を終えて、
教会で聖書を読んで学んで、
牧師先生夫妻や教会の仲間に祈って頂いて
それで
また明日から頑張って働こう、
という気持ちが湧く。
ありがたい事だ。
仕事の後だから疲労もピークになっている。
しかし眠いと思った事はない。
身体的な疲労よりも
霊的な飢えに対する危機感が
私の場合大きいからだ。


で、
明日は夜勤。
明日(1/11.木)の夕方から
全ての患者さん達が安静に、無事に、
明後日(1/12.金)の朝を迎える事が
出来ますように。


何故なら
土曜日(1/13)には
わが教会で午前10:30から
市内の朝祷会が開かれる。
そう。
今月はメノナイトが会場当番。
司会は
事務局をしているうちの教会員、
メッセージは
この井上なんですごめんなさい。
夜勤明けの翌日休みで
私が久々に参加可能になった。


日本基督教団、聖公会、福音館、ルーテルなど
各教派の牧師先生達や
教会員の皆さんに会えるのも久しぶりだ。
数年前、私が朝祷会の事務局の仕事をした時は
各教派の皆さんに大変お世話になった。
懐かしいな。
楽しかったし。


バプテストやアッセンブリーや
顔馴染みの牧師先生達が
教派内の転勤でこの土地を去られた時は
名残惜しくて寂しかったなあ。
過疎地だけど
どこの教派の教会も皆頑張ってるよ。
私も
毎度毎度土曜日が
完全に仕事で塞がっている訳ではないけど、
仕事が荒れると
特に荒れた夜勤の明けの後は
2、3日足腰が立たない。
抑鬱状態にもなる。
それで朝祷会を逃してきた。
今回は自分の所属教会が会場だもの。
逃したくないさ。
明日の夜勤が
荒れて疲れを引き摺ったりしないように
今から備えよう。


祈って下さい。
井上がちゃんと奉仕できるように。