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ぱんくず迷走録

日曜日は教会へ。

最低最悪。

2011-01-18 23:58:00 | お祈り
人生呪われてる。


今朝は昨日の疲れが抜けず
食欲無くて薬だけ飲んで出勤し、昼飯食えばいいやと思って
ペット蕎麦茶を一本買って勤務してたら超多忙だった。
昼ぎりぎりまで飲む暇全く無し。
頭がガンガンしてきて慌てて500ml一気飲みし、
作業してたらドクターコール(緊急事態)の連絡あり走る。
飲んだ水分はあっという間に蒸発。(笑)


やっと昼休みになって
食堂に行こうとロッカーから財布と携帯を出して見ると、
行きつけの珈琲店の店主からメールと着信が。
歩行不能ではいはいしているじじがヘルパーの退室後
一人で壁伝いに外に出て、
壁に張り付いたままよたよたしているところを通行人に発見され、
珈琲店の店主に支えられて店に収容されていたという。


じじはここしばらく
職場の先輩に大事な懐中時計を上げると言って
デイケアの送迎バスや教会の行き帰りのタクシーを迂回させようとし、
ヘルパーから出来ないと断られて逆上する事を繰り返している。
懐中時計を上げたい相手は7年前既に亡くなっている。
それでもじじは諦めず遺族に唐突に電話したりする。


昨日の朝じじはデイケアの迎えのバスを待つ間に
先方の遺族に自分で電話して、
「これから時計を持って行きます。」と言ってしまった。
これからデイケアに行くという時に。
慌てたヘルパーがじじのトイレに行っている間に
先方にリダイヤルして事情を説明し、取り消したので
大きなトラブルにはならなかった。


今朝のヘルパーは昨日と同じ人で非常に気配りと機転の利く人である。
しかし、朝のケアに入って珈琲とおやつを出して、
一度退室して別の利用者宅に行っている間に、
まさか普段ろくに歩けないじじが一人で壁伝いに屋外に出て
珈琲店に行き「時計を届ける!」などとゴネて
店主に車椅子で護送されたとはさすがに知らず。


何も知らずに昼のケアのため戻って来たヘルパーに、
じじは「珈琲店に借金があるから払って来い」と言いつけた。
珈琲はさっき飲んだ筈、歩けないのに珈琲店に行く筈ないしと
合点がいかずうろたえるヘルパーにじじは逆上し、
「誰が金を払ってると思っているんだばか者!お前達全員クビだ!」
と罵倒したという。


何が何だか分からないまま珈琲代を払いに行ってヘルパーは
店主の話を聞いて初めて事情を知った。


そこまでの経過を
私は昼休みに珈琲店の店主夫妻から電話で聞いて平謝り、
ケアマネに連絡して事情を説明、
ヘルパーも私もじじに振り回されるのはもう限界であり、
今後の対応を相談した。


昼休みはそれで時間切れ。
これで朝も昼も飯抜きや。
こんなのばっかりや。


薬飲んでいながら二食抜きの上、水分不足では
自分としてはまず過ぎると思い、片っ端からペットの蕎麦茶を買って
飲みながら午後の仕事をした。
何でこんなに忙しいのか分からん。
口が渇き、ペット500mlを4本飲んで尿もろくに出ない。
午後一杯頭痛と後頚部の張りで目までチカチカしてた。


仕事の帰りにヘルパーステーションの責任者と電話で相談。
ケアマネとヘルパーサイドと私とでの申し合わせ。


今後、じじがヘルパーに対して
暴言、介助拒否、怒鳴るなどの行為があった場合、
ケアを(たとえ途中であっても)その場で中断してヘルパーは退室し、
私の携帯に連絡する事になった。
その場合、たとえ日曜日であっても教会行きは中止。


たかが懐中時計の一個や二個、
私が電池入れ替えに走り、先方の遺族に届ける事は簡単である。
しかしそれはしない方が良いとケアマネから助言された。
これまでも同様のじじゴネに私達は折れてきた。
今回もそれをするとじじの気紛れな要求は周りの者の都合を無視して
今後際限無くエスカレートするのは間違いない。


さっき珈琲店に出向いて改めて謝罪してきた。
頭痛いけど胃も痛いぞくそじじめ。


おそらくじじはこの次の日曜日、教会への行き返りにまた
あらぬ要求をしてヘルパーを困らせるであろう。
他の日はデイケアで塞がっているからだ。


闘いだな。
しかしもう疲れてきた。

長寿

2010-11-16 21:41:52 | お祈り
じじの旧友から喪中のハガキが来た。
母君が93歳で亡くなったらしい。
じじはそれを聞いてしみじみしている。


「93歳か。
 長生きだなぁ。」


「井上家では90歳以上まで生きていた人っていたっけ?」


「いないなぁ。
 うちは皆早死にだ。」


「あれ、おじいさんは?
 長生きじゃなかったっけ?」


「いや違う。
 オヤジは55歳で死んだ。」


ああ、じじの父親は55歳で肺癌と心不全の重症化で死んだ。
私にとっては祖父である。
放蕩の限りを尽くした末、短命だった。


「そうじゃなくて、
 お父さんのおじいさん。
 徳島から駆け落ちして来た髭の長い。
 長生きじゃなかったっけ?」


じじを実質上養育した人だ。
私にとっては曽祖父である。
じじは子供の頃おじいさん子だった。
長生きだったと聞いた気がしたが。


「俺のおじいさんは69歳で死んだ。
 長生きではないなぁ。」


69歳だったのか。
確か胃癌だと聞いた。
90歳くらいだったとは、私が勝手に思い込んでいただけだった。


曽祖父母亡き後、
子供だったじじの親代わりになってくれたのは大伯母Kとその妹Hだった。


大伯母Kは全盲だった。
生涯独身で施設暮らしの末80歳過ぎて膀胱癌で亡くなった。


Kの末の妹、大叔母Hは
自分も井上家の者だからきっと癌になると決め込み、
そしたら闘病記を書いて出版すると公言していたが、
78歳の時に急性心筋梗塞であっけなく世を去った。
大伯母Kが井上家では唯一80歳以上まで生きた、長寿新記録であった。
来春の誕生日が来たらじじは81歳、大伯母Kの歳を超える事が目下の目標。


じじを育てた人々は皆孤独の中で生涯を終えた。


曽祖父のように
病院でこの世の最後の日を迎えるのではなく
祖父のように
病苦と誰からも見放された孤独で精神が破綻して終わるのではなく
大伯母Kのように
長い施設暮らしの末、孤独に病院で最後の時を迎えるのでもなく
大叔母Hのように
想定外の急変事態によって救急車の中で誰にも別れを告げる事も無いまま
あっけなく生涯が終わってしまうのでもなく、
じじにはこれからまだ何回も、幸福な日々のうちに誕生日を迎えて貰いたい。


感謝をこめて教会の皆に特大のありがとうケーキを贈って食卓を囲み、
神に感謝し神を賛美しながら住み慣れた自分の部屋で、
牧師先生と顔馴染みのヘルパーさんと私と妹に看取られて最期の時を迎え、
教会の皆や歴代のヘルパーさん達や珈琲店の店主夫妻や長年の旧友達、
皆に笑顔で見送られて、毎週通った教会から天に帰って欲しい。


今はまだ80歳だけど、元気に、幸せに85とか90まで行けないかな。
頭がしっかりしているし、健康とADLを維持出来たら
今の時代、90歳以上まで生きて初めて長寿と言える。


じじが誕生日に「皆さんありがとうケーキ」を
これからももっと何回も教会の皆と共に囲んで、
感謝の気持ちで満ち足りた中で余生を送る事が目下の目標である。
子供時代の孤独と人間不信を帳消しして余りある幸福な老後というのが
あってもいい筈だ。
その事を主なる神に願おう。


喜びのうちに感謝と賛美を捧げ続ける余生が一日でも長く、
じじに与えられますように。
そのために必要な働きをこの自分が担えますように。
主よ、憐れみ給え。

大晦日昔語り

2010-01-01 00:00:00 | お祈り
大晦日に、
じじは珈琲を飲みながらテレビの第九を見ていた。


年が明けて間もなく、
四旬節が始まる頃にじじの誕生日が来る。


「お父さん、
 来年何歳になるんだっけ?」


「80だ。」


「80年間生きてきてさ、
 子供の頃の記憶とかしっかりしてるよね。
 思い出せるところだけでも
 自分の歴史みたいなのを記録しといたら?」


「うーむ。。。」


「今、そういう自分史みたいなのを
 書いて本にする人もいるんだよ。」


「何でもかんでも全部は思い出せないが
 ところどころはっきり覚えてるなぁ。」


いや、ところどころではないよ。
私もヘルパーさん達も、年表を作れるほどに
じじの幼少時から現役時代に至る話を聞かされている。
それも年代や日付まで克明に。


この話から、
じじのいつもの昔語りが始まった・・・と思ったら、
小学校を転校した時の事に
私が細かく具体的な突っ込みを入れたためか、
じじは今まで口にした事の無い、
自分の父親とその後妻の話をし始めた。




かつて私がじじの一番年若い叔母から聞いた話によると、
じじは山奥のO町で生まれた。


生家には祖父母(私にとっては曽祖父母)と父母と、
父親の姉妹達が大勢いた。
じじの母親は姑と大勢の小姑達に取り囲まれ、
家事や畑仕事で使われ、家の中で虐められていたという。
疲れとストレスのためか動作が鈍く、
ちょっとした隙にすぐ居眠りをするので、
それで家人達をますます苛立たせ、虐めに拍車がかかったらしい。


親族の話では、
じじは何が気に食わなかったのか赤ん坊の時から母親に懐かず、
母親が抱くと泣き喚いてむずかったという。
そんな気難しい赤ん坊だったじじの実質上の母親役をしたのは
一番年上の伯母、じじにとって父親の姉だった。
この人は5歳で失明して家から出る事無く生活していたが
手仕事や針仕事が得意で、
見えない目で上手に針穴に糸を通して縫い物をしていたのを
じじは子供の時から見て育ったと言う。
母親に懐かなかった赤ん坊は、この目の見えない伯母が抱くと
すっと泣き止んだ。


じじが1歳の時、妹が生まれた。
母親は畑仕事に使われてくたびれていたのか、
授乳しながら居眠りしてしまった。
じじの妹は1歳になるかならないかの時に
母親の乳房の下で押し潰されて死んだ。


「家には書生さんとか職人さんとかいう人達がいた。」


力丸さんという職人がいたそうだ。
じじが1歳の時に力丸さんが作った踏み台が、
今なおじじ宅にある。
79年経った今でもしっかりと安定し、狂いを生じない。
昔の職人の技は凄い。


じじが2歳の時、両親が離婚した。
じじは祖父母と伯母達に育てられた。


山奥の小学校に通い、
よくヒグマが出没するので度々臨時休校していたらしい。


「熊休みと言ってな、
 熊が出ると学校は休みになるのだ。」


山奥の小学校では
生徒達が各々山一つ越えて通学していたので、
熊が猟師達に射殺されるまで授業は再開されなかった。


「その小学校に生意気な女の先生がいたから
 蛇を教壇に入れといてやったらその先生は泣いて、
 俺は廊下で立たされたんだ。
 しかし先生達は
 俺を廊下に立たせた事を忘れて帰ってしまった。
 それで俺は頭にきて、そのまま夜になっても立っていた。
 そしたら家の人達がうちの子供が帰って来ないって騒いで、
 皆で山狩りしたら、俺はちゃんと学校にいた。
 それでまた怒られた。」


じじはクソガキであった。


「犬を飼ってたな。
 何の種類かわからん、ただの茶色い犬だ。
 学校から帰って山を下りて来て、
 ぽーんぽんぽんぽん・・・と呼ぶと
 わんわんわんわん・・ってな、
 吠えながらこっちに走って来た。」


実際、じじの小学校時代の話は長閑である。
木造の校舎の一階の教室で夏に窓を開けていたら
馬が度々窓から頭を突っ込んで覗き込んだと思うと
生徒の頭を齧ったりして悪戯をしたという。


甘いものが無かったので、
仲間達と明け方の露のある時に蜂の巣を襲撃し、
スノコで包んで巣ごと捕まえ、
そのまま川の水に沈めて鉢が全滅したところを
蜂の巣の中の蜜と蜂の子を山分けして食べたとか。


おもちゃが無かったので昆虫の頭を捻ったり
相撲を取らせて遊んだとか。


時代は第二次世界大戦に突入し、家は貧乏になって
畑を売り小さな雑貨屋を開いたりまた閉じたり、
陸軍に毛皮を献上するためのウサギを
飼育したりしていたという。


「ウサギはカレーライスに入れるとウマいぞ。」


毛皮を取った後の肉は
食用として売ったり食べたりしたらしい。


そんな中、
家の中で一緒に暮らしていた伯母達が
次々と結婚して出て行った。


後年、末の大叔母の話では
じじは小学2年生の時に
何番目かの伯母が嫁いで行った後、
その馬車を追って行方不明になった。
また皆で山狩りして探したていたら、
山一つ越えた先の道の途中を
一人で泣きながら歩いているところを発見された。


「何で泣いてたんだかわからん。
 何だか知らんけど泣いた。」


じじの父親は新聞記者をしていたとも聞く。
行商をしていたとも聞くし、満州に渡って来たとも聞く。


じじの父親は行商の帰り、
息子にお土産としてバナナ饅頭を買って来た。
池田町の銘菓バナナ饅頭は
今でもJR駅のキオスクに売っている。
たまに買って行くと、じじは懐かしがって食べる。


じじが小学5年の時に祖父母が相次いで亡くなって、
それからしばらくじじは伯母達の嫁ぎ先を転々としていた。


誰もが極貧だった時代もあり、
引き取り手がいよいよ見つからず
行き場の無くなったじじが
離婚と再婚を繰り返して
行き来の途絶えていた父親に引き取られるまでの間、
父親にはわかっているだけでも最低5、6人の後妻がいた。
じじの異母兄弟姉妹というのは本当のところ、
この世に何人いるのか私には見当も付かない。
所在と名前がわかっているのは二人だけ。


引き取り手の無かったじじは、
一時期全盲の伯母と独身だった末の伯母と
三人暮ししていた事もあった。
末の叔母によると、
じじの父親は戦時下の混乱に乗じたか何らかの方法で
所有者が死亡したか行方不明になっていなくなった土地を
非合法に手に入れようとしたらしく、
その目的で自分の息子と自分の姉妹とを別個の一家族として
住民票を偽装したという話である。
もっとも、
70年も昔の人伝ての話で真偽の程がどうかなど知る術も無い。
末の叔母は女学校を中退して働きに出ていた。
小学生だったじじは目の見えない伯母に代わって
飯を炊いたり家事をしてたいた。


この全盲の伯母がじじにとって本質的な養い親であり
親として心の拠り所になってくれた。
しかし一年も一緒に暮らさないうちに、
じじは父親とその後妻に引き取られる事になり、
生まれ育った山奥を離れ、都市部の小学校に転校した。


中小都市の繁華街に近い父親の家に引き取られたじじは、
その家の中で後妻から陰湿な排斥を受ける事になった。


食事やおやつの菓子をわざと見える場所に置きながら
継母となった後妻は、
先妻の長男であるじじには指一本触らせなかったという。
成長期で食欲の旺盛な時期に
食べ物を見せびらかされた挙句、
食べようとすると「卑しいっ」と撥ね付けられ
底意地悪く没収される事を繰り返すうちに、
女という動物と食に対するじじの価値観は
少なからず歪んだと見ていい。
じじが成人し、
結婚して持った家庭で生まれ育ち、
私は嫌というほどその歪みを味わってきた。


腹が減って食べたいくせに、
出されたものを素直に感謝して味わう事が、
じじは長年出来なかった。
それが出来るようになったのはつい最近の事であり、
75歳を過ぎた数年前からだ。
それ以前は、
女房の作ったものに箸も付けず鼻で笑い続け、
料理作り食事を整えて出してくれる人を理不尽に嘲笑った。
介護を必要とするようになってからも
数年前までは
正面に何万も払って自分で取り寄せた高級料亭の正月料理を置き、
私が作って持参した重箱を脇に並べ、
高級料亭の料理を食べながら薄笑いを浮かべて言った。


「ふん。
 格のある料亭のものは美味い。
 味がそこいらのものと違うからな。」


夜勤の合間に正月料理を作って届けた私は
少なからず感情を害したが、抗議もせず言わせるままに放置した。
作って届けた正月料理は箸も付けずに毎年捨て続けた。
大叔母やじじの親族の誰彼からその生い立ちを私は既に聞いており、
何処にも誰にもぶつけようの無い恨みを
食事を提供する人に対する根拠の無い嫌味や当て擦りで
報復にすり替える、心理的な代償行為である事を
私は知っていたからだ。


じじがそれをしなくなったのは本当にごく最近の事だ。


テレビで大晦日の第九が終わり、
次の番組が始まった。


自分の昔の記憶を書き留める事を提案すると、
じじは突然、
父親と後妻に引き取られた当時の事から
それ以降の
長年の憎悪の本当の原点になる部分を自分から話し始めた。


「俺は
 自分の人生の中であの女だけは許さないと思った。」


あの女というのはじじの父親の後妻、
継母となった女である。


小学5年で父親と継母に引き取られたじじは、
小学校を出て旧制男子校に入学、
14か15歳で札幌の鉄道学校に入学して寮生活をするまで
父親と継母のいるその家で暮らしていた。
どう長く計算しても一緒に暮らしていたのは4~5年間。


しかし、
この継母は引き取って家に置いてやった4~5年間の
生活費を根拠に、それまでの恩を働いた金で返せと要求した。
これは初めて聞いた事だ。
じじの父親がそれを知っていたかどうかも
今となっては知りようも無い。


じじが17~18歳で機関士として働くようになってから
27歳になるまでの給料をそっくり寄越せと継母は要求し、
じじ本人の生活費としてその中から幾らか取り、
残りの大半をじじは継母に毎月渡していたという。


じじの父親は貧乏ではなかった筈だ。
いやそれどころか戦争中の混乱に乗じて
どんな悪どい事をやってぼろ儲けしたのか、
常に背広の内ポケットには分厚い札束を持っていたと聞く。
そしてその札束で人の横面を張り倒す、
非常に荒んだ人物だったと親族の誰からも聞いた。
物の無い時代に衣服は下着に至るまでオーダーメイド、
アルファベットで飾り字体の頭文字が施されたワイシャツを着込み、
ロンジンの腕時計を身に付け、
常に葉巻を吹かしていた。


その人物の後妻となった女が
継子に生活費をたかるほど金に困っていたとは考えられない。
それでも27歳までじじは自分の給料をその継母に渡し続けた。


「幾ら引き取って住まわせてやったと
 その継母が言ったからって、27歳になるまで
 自分の給料をそっくり渡し続けるというのは何なの。
 その継母は確かに寄生虫だけど、
 寄生虫に金を渡し続けたお父さんもお父さんだ。
 それも自分が生活費に困るほど。
 どうかしてる。」


「昔住まわせてやったあれもしてやったこれもしてやったと
 後から言われるのが我慢ならんのだ。」


なるほど。
子供だったとはいえ、養われた借りを
倍返しで返し、相手を高みから見下したかった訳だ。
これでどうだと
給料袋で相手の横面を張って見返し、蔑みたい心理。
理解は出来る。
自分がそれを出来るだけの給料を毎月貰っていたら。


しかしね、じじ。
親が小学生の子供を養うのは当たり前の事ではないの?
言われるままに高みから金を、
乞食にくれてやるかのように虚勢を張って金を渡す。
それではあなたは自分の忌み嫌う父親と同じ事をしたも同然。


金を渡すのを止めて数年後、30過ぎた頃にじじは結婚した。
新婚旅行に出掛けたその旅先に電報が届いた。
じじの父親が倒れたという知らせだった。


じじの父親と継母だった後妻は
既にその頃には不仲となって離婚していた。
父親はじじの新婚の家庭に居候となって転がり込んで来た。
じじの薄給でやっと生活する程度の家計に、
想定外に父親が同居し始めた。
それも後妻の産んだ子供を二人連れて。
一度に二人が五人に増えて、
家計のやりくりなど出来ようも無い。
家族五人が食べていける筈が無い。


結果的に、
新婚早々の新妻は同じ市内に住む自分の兄達に
頭を下げて金を借りて歩き、凌いだ。
この事がその後夫婦の間で何十年ものしこりとなって
最終的にはじじが初めて手に入れた自分の家庭、
私の生まれ育った家庭を崩壊させる事になった。


「お父さんは
 自分がお祖父さんとその連子達の面倒見るつもりで
 三人引き取った訳だね。」


「そうだ。」


「でも実際に生活の面倒を見たのはお父さんではない。
 わかるよね?」


「・・・・・・・」


「自分の親や連れ子を引き取る時に
 世の中の男は皆言うんだよ。
 “オレが自分の親を、連れ子を引き取ってやる、
  オレが面倒をみてやる”ってね。
 でも実際に引き取った自分の親や連れ子に
 食事を食べさせたりオムツ替えたりするのは
 やらないし出来ない。
 女房にやらせる。
 何故なら“オレは仕事で忙しい”という逃げ道がある。
 では誰がやっていたと思ってた?」


「・・・・・・・」


「毎日毎日お父さんが仕事で出掛けて行った留守の間、
 食事や身の回りの世話をしたり狭い家の中で
 お祖父さんと連子達と直接顔を突き合せて
 気まずい思いをし続けたのはお母さんでしょう。
 女房なんだから世話して当たり前と思ってた?
 やってもらって当然かい。
 甘過ぎるんだよ考えが甘過ぎる。
 それで自分の女房に“苦労かけてすまん”とか“ありがとう”の
 言葉をかけてねぎらった事は一度でもあったかい?」


「・・・・・・・」


「無いよね。
 もし一言でもねぎらいの言葉があったら
 現実は全然違っていた筈だ。
 家計のやりくりだって同居人がいきなり3人増えたら
 とても食べていけない。
 お母さんがそれをどうやって工面したか
 お父さんは知らないでしょう。」


ばばは頭を下げて歩いたんだよ。
自分の兄達にね。
じじには内緒で。
じじだって収支計算は出来る。
収入は増えないのに支出は増えて、
出来る筈の無いやりくりを何故かやりくりした事で
気づかない筈は無い。
うすうす勘付いていた筈だ。
何十年もそ知らぬふりで通し、
そんな自分の女房を馬鹿にし見下して
何のいたわりの言葉もかけずに
夫婦でござい家族でございと思うのは間抜け過ぎる。


たかりに来る継母に無駄に必要以上の金を渡して見下す、
驕って大見得を切り人を見下すための金は惜しまないのに
日常の些細な感謝の言葉はもったいなくてかけられない。
愚かの極み。


じじ、
かつてあなたが自分の親を見下したのと同じ目線で
あなたの子供があなたを見ていた事に気づいたかい?


じじの父親が連れて来た継母の子供達、
行き場も身の置き所も無い二人の姉弟が
どんな気持ちでその頃を過ごしていたか、
私は残された祖父の遺品の中の古い手紙を見て知っている。
引越しの時に出て来た大量の古い手紙の束を
私は消印の日付順に全部ファイリングした。
全盲の大伯母のもある。
目が見えないので人に頼んで代筆して貰った手紙だ。


「お父さんが読みたい時にいつでも読めるようにしといた。」


「そうか。」


引き取った連れ子姉弟二人は
当時姉が15、6歳、弟は小学1年生だった。
数年前、
まだじじが自分の足でシャンシャン歩いていた頃に
姉の方が訪ねて来た事がある。
初対面だったが朗らかで気さくな印象の人だった。
本棚からじじの親族の古い写真を見せると、
幼い時の自分の写真を指差して笑っていた。


「まるで穢れを何も知らないような顔してるでしょう?(笑)」


その人と少し話した。
じじの異母妹は私に言った。
自分が高校生、弟が小学一年の時に両親が別れて
一時的にお世話になった事がある。
当時高校生だった自分は自分の親を見ていた。
離婚協議の時、
父と母とで激しく言い争いになり、揉めた。
父と母、どちらが二人の子供のどちらを引き取るかで揉めたのだ。
父も母も
家事や働きに出す事の出来る高校生の自分を引き取りたがった。
小学一年の弟は、父も母もどちらも引き取りたがらず
まだ幼くて手が掛かるから引き取った方が損だと押し付け合った。
自分の親達にとって子供は利用価値次第。
所詮子供は親にとって食い物を得るためのもの。
使える方の子供を引き取った方が得をし、
使えない、世話を必要とする子供を引き取った方が損をする。
その浅ましい父親と母親との有様を見て
この弟は自分が世話をし、育てるのだと思ったと。
父とも母とも暮らさない、自分が働きに出てこの弟を育てると
高校生の時に決心したと、その人は私に言った。


実際、
その人は成績優秀で奨学金を受ける事が出来、
卒業して就職した。
住み込みで働き、そこに弟を呼んで一緒に暮らした。
弟はしばらく精神的に不安定になった時期もあったと。
異母兄で、自分の母親とは折り合いの悪かったじじを
この人は今でもおにいちゃんと呼ぶ。
年賀はがきの書き出しも「お兄ちゃん、・・・」で始まる。


じじの異母弟が父親宛に書き送った手紙がある。
他の古い手紙と一緒にファイルに入っている。


連れ子二人と共に居候していたじじの父親は、
狭い間借り部屋での嫁との確執にぶち切れて出て行った。
その後、札幌で博打に興じたり、さらに健康を害して
入退院を繰り返していた様子が伺える。
連れ子二人は父親の知人の好意でそこに身を寄せた。


親と離れて他人の家の居候になり、
遠くにいる父親宛に書いた、小学一年生の書いた文字。


「おとうさん、いまどうしてますか
 ぐあいどうですか
 ぼくはきょう おしるこをたべました
 とてもあまくておいしかったです
 おとうさんはきょうなにたべましたか
 おとうさん いまなにしてますか
 はやくびょうきがよくなって
 おとうさんとまたいっしよにくらしたいです」


この小学一年生の息子を
じじの父親と継母は足手纏いになると言って
養育を放棄し、互いになすり付け合った。


「お父さん、
 お父さんのお父さんも、その後妻だった継母も、
 人の親と呼ばれる価値の無い人間だった。」


「ああ。
 そうだ。」


しかし、
数年前、あの後妻は息子に引き取られ、
最期を看取られてこの世を去った。
じじの異母弟は自分の養育を拒否した母親を引き取って
最期を看取った。



新年の時報まであと1時間。
2010年になる。


「お父さん、
 お祖父さんとその後妻を許してる?」


二人とも既にこの世にいない。
しかしこの世にいる者には今なお憎悪が残っている。


じじの異母弟は立派だった。
関係を絶つ事は簡単なのに
見放して逃げても誰も責めないのに
自分を捨てた親を最期まで世話して見送った。


「お父さんは、
 お祖父さんと後妻を許すかい?」


「・・・・・」


「許さなきゃならないんだよ。
 キリスト教ではね。
 キリスト教の信者だったら許さなければならない。
 簡単な事ではないけどね。」


許せないのだ。
そんなに簡単には許せない。
相手がとうの昔に死んでこの世にいなくなっても
たとえ相手がどんなに生き地獄を味わって死んだとしても。


しかし、じじ、
私達はもうキリストに出会ってしまった。
私達はキリストに出会って
主が私達一人一人の罪ために十字架の苦しみを受け、
ご自分を私達に与えられた事を私達は既に知ってしまった。
だから許さなければ。


「お父さん、
 私はお祖父さんが家を出てから
 どれだけ苦しんだか知っている。
 引越しで古い手紙を整理した時に見た。
 お祖父さんと親戚の人達とのやりとりをね。
 病気の症状で苦しい事や、ぶつける相手が傍に誰もいなくて
 自分の弟に支離滅裂な脅迫めいた手紙を送って絶縁されたり。」


「そうか。」


じじは一度も手紙の束に目を通していない。
触りたくもないかも知れない。
しかし法事の席で、
私は集まった親族の一人から断片的に聞かされた。
じじの父親が送りつけた攻撃的な内容の手紙の事を。
そして引越しの時に
紐で括られた古い手紙の束を見つけ、その手紙だと知った。
祖父が病苦と貧困の不安と孤独に追い詰められ、
書き殴って親族の一人に送り付け、怯えさせた手紙。
差出住所は病院の所在地で、何度も変わっている。
病院を転々としたのだろうか。


祖父は肺癌だった。
合併症に心疾患を持っていた。
大動脈弁閉鎖不全、僧帽弁狭窄、鬱血性心不全。
古い消印のものは読むに耐える文字で書かれていたが
ある時期から筆跡は滅茶苦茶に乱れ、
内容は支離滅裂、被害妄想、嫌味とも恨みとも読み取れる。
受け取った者は胸の悪くなった事だろう。


私はこの心理状態を日常的に見て知っている。
深刻な病状悪化に陥った患者さん達の誰もが
このような混乱の時期を通過する。
家族に暴言を吐き、医師や看護師を罵り寄せ付けない、
チューブ類を引き抜いたり自殺しようとしたり
静止した看護師を刺し殺そうとしたり。
本人にとっても周りの者にとっても一番辛い時期だ。


「お父さん、私は患者さん達を見て知ってる。
 お祖父さんは一番苦しい時に誰からも見放されて、孤独だった。
 手紙にはポツリポツリ同じ言葉が出てる。
 “天涯孤独”とか“一人”とか“一人ぼっち”とか
 “誰もいない”とか。
 孤独だったと思う。
 孤独で苦しんで亡くなったのさ。
 許さなきゃ。
 簡単な事ではないけどさ。」


「・・・・・・」


簡単な事ではない。
でもキリストを知った以上は許さなければならない。


私も、許さなければならない。
自分の親達を。


じじと向き合って
初めてここまで話した。
この話を自分の口で語るに、じじは70年の歳月を必要とした。
お互いにキリストを知る者同士だからこそ口に出せた。
相手を許して楽になるために、
私達は各々やっとスタートラインに付く事が出来たと思う。


感謝します。
主なる神。



日付が変わった。
慌てて奥の部屋から酒を持って来た。


乾杯した。


2010年。

珈琲飲みながら

2009-12-31 23:00:00 | お祈り
第九が終わって21:00。
画面にいろんな演奏家やオペラ歌手が登場する。
シルヴィ・ギエムがボレロを踊っている。


珈琲を飲みながら、じじと昔の話をする。


じじにとっても私にとっても
長年の手械足枷であり
心理的な呪縛となっている問題について。


この事を
じじ本人が自分の口で私に話したのは初めてだ。
これまでは人づてに、断片的に耳にしただけで、
それを口にするのは私が物心ついた時から既に禁忌だった。
じじがここまで晩年にならなければ
言葉として表出する事も出来ないほど
じじの中では根の深い恨みであり呪いだった。






主イエス・キリスト、感謝します。
やっとスタートラインに立つ事が出来ました。

主の祈り

2008-09-29 20:53:26 | お祈り
洗礼の前の約1ヶ月、
じじと一緒にマルコを一章ずつ読んでいたが
聖書を開く前と閉じた後には必ず主の祈りを唱えた。


じじは小学生のように肘を伸ばして
私がA4の紙に手書きした主の祈りを朗読した。
いつか主の祈りの中身を
じじにゆっくり話そうと思っていた。


じじ宅の水道の蛇口に取り付けた濾過器が
壊れたので新しいのに替えた。
そして帰り際に主の祈りを唱えよう、と声をかけてみた。
じじは「そうだな」と
もそもそ紙に手書きした主の祈りの紙を探す。


自分の黙想ノートから、
主の祈りの中身をじじに話した。
ずっと前に聴いたFEBCの放送からメモしたノート。


天にいます私達の父よ、
御名が崇められますように。


 主の祈りは
 地に平伏して天の御父に助けを求める者の祈り。
 血反吐を吐く絶望の淵から
 天の御父に叫ぶ祈り。


御国が来ますように。


 主の祈りは
 四面楚歌、孤立無援の立場に立たされた、
 孤独な者の祈り。
 人と人とのつながりが断ち切られ、
 連帯、信頼が損なわれて
 不信と猜疑心に囚われて苦しむ人の祈り。
 
 
御心が天で行われるように
地でも行われますように。


 主の祈りは
 この世の不条理に押し潰されて息絶え絶えの
 苦しみのどん底にある者の祈り。
 最も苦しい、絶望の中から叫ぶ祈り。
 渡される夜、ゲッセマネの主イエスの、
 天の御父を呼び求める祈り。


私達の日ごとの糧を今日もお与え下さい。


 主の祈りは
 貧しい者の祈り。
 今日食べる物を請い願わなければならない、
 無一物で飢え乾いて、
 今日一日を生き延びるために切迫した、
 天の父なる神以外に何も頼るものが無い、
 貧しい者の祈り。


私達の負い目をお赦し下さい。
私達も私達に負い目のある人達を赦しました。


 主の祈りは
 自分の罪に苦しむ者の祈り。
 傷ついて、悲しみの底に沈んだ者の祈り。
 憎悪に囚われ、 
 人を赦す事の出来ない怨念の苦しみ、
 癒えない痛みに打ちひしがれた者の祈り。
 

私達を試みに遭わせず、
悪からお救い下さい。


 自分の弱さに悩み苦しむ者の祈り。
 ゲッセマネで
 血の滴るような汗を流して苦しみ祈るイエスの傍で
 目を覚ましていられなかった、
 共に祈る事すら出来なかった弟子達のような
 惨めな後悔と自己嫌悪に苦しむ者の祈り。


“私達”は神を見失って苦しんでいる私達。
“私達”は生きる望みを失って絶望している私達。
“私達”は孤立無援、孤独に陥っている私達。
“私達”は飢えて今日一日生き延びられない私達。
“私達”は罪に囚われ、憎悪と怨念の泥沼で窒息する私達。
“私達”は惨めな後悔と自己嫌悪に苦しむ私達。
“私達”はイエスと共に目を覚ましていられなかった私達。


「主の祈りは
 十字架にかけられる直前のイエス・キリストが
 ゲッセマネで父なる神に祈った苦しみの祈りと同じ、
 どん底で苦しんでる人の祈りなんだって。」


「そうか。
 知らんかった。」


「うん。
 私もただ暗誦してただけだった。」


じじ、溜め息ついている。
 

「日ごとの糧の所もさ、
 日ごとの糧を今日って言ってるでしょ、
 この"今日"、というのが大事さ。
 こうして私達みたいに衣食住足りて、
 欲しい物買って、食べたい物食べて、
 将来年金足りるか貯金幾らあるかとか
 そういう心配してるのとは違うのさ。
 今晩食べる物が無い、どうしよう・・・
 そういう切羽詰った貧しさ、
 今日一日食べる物すらなくて
 生き延びられるかどうかわからない、
 追い詰められた貧しさの中から
 神様ににすがる、そういうお祈りなんだよ。」


「今の時代に生きているという事は、
 ありがたい事だなぁ。」


じじ、しみじみ。


主の祈りを唱える。
ゲッセマネの主イエスと心を一つに合わせて祈る。
今苦しんでいる人と心を一つに合わせて祈る。


毎日。

3月22日(土) まず、主の祈り

2008-03-22 21:29:13 | お祈り
主の復活前夜。


「お父さん、
 今日はイエス・キリストが復活する前の晩なのさ。」


「そうか。」


「朝になって
 イエスが復活するのを待つんだけどね。
 徹夜でお祈りする教会もあるんだよ。」


「へぇ。」


「イエス・キリストが十字架で
 私達の罪を贖うために
 ご自分の命を捧げて下さった。
 私達にご自分の全てを与えて下さった。
 だから私達も
 人々に自分を与えなければならないんだよ。
 何も持っていない人はいないからさ。
 神様がこの世をお造りになって
 私達を養って下さってるから、
 何も持っていない筈はないのさ。
 お金持ってなくても、労力、時間、笑顔、
 何でも。
 イエスが惜しまずに
 ご自分の全てを私達に与えてくれたように、
 私達も惜しまずに自分を人々に与えるんだよ。」


「ふ~ん。」


自分が昔聞いた説教の受け売りだけど、
でもこれは真実だ。
私達は皆、
そのために生かされ養われている。


「復活の前の晩は、
 自分のこれまでの人生、
 自分が生まれてから今日までの人生を
 振り返って、出来る限り思い出して
 神様がどれほどたくさんの恵みを
 自分に与えて下さったかを思い起こして
 夜を明かすんだよ。」


「そうか。」


「自分の人生を振り返って
 子供の頃の事とか親の事とか
 若い頃の事とか
 いろんな事を思い出して
 いい事ばかりじゃないでしょう。
 恨んだり許せない事もたくさんあるでしょう。」


「・・・・・そうだな。」


「それはね、今日までだよ。
 許せない気持ちも恨み辛みも腹の立つ事も
 今日まで。
 明日お父さんが洗礼を受けたら
 今日までのそれらの恨み辛みは皆死んだものだ。
 洗礼を受けて、
 今日までのお父さんは死ぬんだ。
 死んで新しく生まれる。
 許せない相手を許す事はそう簡単じゃないでしょう。
 でも、
 その許せない心は今日までの古い自分と一緒に
 十字架に磔になって死ぬ。
 現実には洗礼を受けた後でも
 その恨み辛みを引き摺ってしまう事だってあるけど
 許す事が出来なければ
 許せるように神様にお願いするんだよ。」


「・・・・・」


じじ、考え込んだ。
私が何の事を言っているのか
誰の事を言っているのか、
じじははっきり悟っている。


じじ。
あなたは許せるだろうか。


2歳のあなたを置き去りにして、
何十年も会った事がなかったのに
突然現れて
血のつながった親子だから
引き取って面倒を見ろと要求してきた母親を。


あなたを親戚に預け盥回しのまま放置して
親として何一つするべき事をしなかったのに、
身を持ち崩した時には
都合よく新婚のあなたの貧しい新居に乗り込んで
連れ子二人と共に居候して家計を食い潰した父親を。


父親の気紛れで引き取られたあなたにだけ
食事を与えず嫌がらせをして
家の中で陰湿にあなたを排斥した継母を。


家族を知らないあなたの人格的欠点を見下し、
軽蔑しながらも忍耐して長年一緒に暮らし、
とうとう忍耐に限界が来た末に
あなたを捨てて出て行った私達の母親と
その兄弟姉妹達を。


あなたは許せるだろうか。
彼らに対する恨み辛みを
今日までのあなたと一緒に
磔にして死んだものとする事が出来るだろうか。


私は祈るよ。
あなたが彼らを許す事が出来るように。
あなたが今自分に与えられている人々との出会いを
神に感謝して
彼らのために祝福を神に願って
あなた自身が自ら祈る事が出来るように。


まず、主の祈り。


 私達の負い目をお許し下さい。
 私達も、
 私達に負い目のある人達を許しました。


珈琲を沸かしながら
じじに使徒信条を書いて渡した。
じじは使徒信条を声を出して読んでいる。


三つのペルソナ。
天地の作り主、全能の父なる神を信じる。
私達の主、イエス・キリストを信じる。
聖霊を信じる。


「父なる神と、主イエス・キリストと、聖霊と、
 3人の神様がいるのではないからね。
 神は唯一人の神様だよ。」


「・・・・・・?????σ(?_?)」


「えっと、
 例えばお父さんは、
 井上○○の息子であり、
 私の父親であり、
 デイケア利用者でしょう。」


「そうだな。」


「例えば私なら、
 お父さんの子供であり、
 看護師であり、
 キリスト者だよ。
 でも私は3人ではなくて
 1人でしょ。」


「そうだな。」


「そういう事なのさ。
 だから
 ただ一人の神様は、
 全能の父なる神であって、
 救い主イエス・キリストであって、
 聖霊である、
 たった一人しかおられない、
 唯一の神様だよ。
 3人神がいる多神教と誤解されちゃ困るのさ。
 キリスト教で三位一体と言えば
 こういう意味だよ。
 分かるかな。」


「わかる。」


わ・わかったのかぁ?
大丈夫か?
無理して分からなくてもいいんだけどね。


明日の礼拝に同行してくれるヘルパーさんに電話。
先日派遣会社の方に連絡しておいたけど
念のため明日の事を確認。


「明日の時間延長は大丈夫です。
 連絡受けてます。
 ところであの、
 いつも読んでる"主の祈り"を書いた紙ですが。」


「はい?」


「あの紙を礼拝に持って行った方が
 いいと思うのですが、
 井上さんに
 忘れないように声かけようと思ってたんですが。
 問題ないですかね?
 無くさないように気をつけますから。」


「気にかけて下さってありがとう。
 今、本人が自分で胸のポケットに入れてます。(笑)」


ヘルパーさん、
信者でもないのに
こんな事まで気にかけて
配慮してくれていたのか。


「おとうさん。
 ありがたい事だよ。
 お父さんのヘルパーさん達はね、
 いろんな人から評価が高いんだよ。
 介護技術も優れているし
 気配りがきめ細かくて立派だって
 牧師先生や教会の人達も
 珈琲店のご夫婦も言ってた。
 私もそう思う。
 そういうヘルパーと出会おうと思っても
 出会えるものじゃないからね。」


「そうだな。」


「出会わせてくれたのは神様だからね。
 神様に感謝して、
 ヘルパーさん達のために
 お父さんはお祈りしなきゃならないよ。
 あの人達のおかげだからね。」


「うん。」


じじ、明日洗礼式。

3月21日(金) まず、主の祈り

2008-03-21 23:05:11 | お祈り
じじに、
牧師先生が今日の午前中に退院した事を知らせた。


「そうか。
 それはよかったよかった。
 大事にしないとなぁ。」


「よかったね。
 教会の人達とメールで連絡取り合って
 祈ったよ。
 祈りを聞いて下さったから
 今日は神様に感謝のお祈りを捧げるんだよ。」


「そうか。」


洗礼を受ける前に
じじは主の祈りに親しみ、
マルコを読了した。
で、今日は何をするかというと、
映画を見る。


『ゴルゴタの丘』J.デュヴィヴィエ(1935年作)


1935年。
じじが5歳の時のキリスト映画であるよ。
ジャン・ギャバンがピラトを演じている。


まず、主の祈り。


珈琲を入れた。
じじ、
足が冷えると言って
テレビと反対側のストーブに足を向けて
首から上だけ振り向いた、
不思議な体勢で『ゴルゴタの丘』を見る。


福音書を一つ読み終わったためか
話はよく理解出来ている。
ああ、これは書いてあった、
これは聖書に出て来たと話しながら
『ゴルゴタの丘』の白黒画面に見入っている。

3月20日(木) まず、主の祈り

2008-03-20 22:46:02 | お祈り
今日から4日間、有給休暇を取った。


じじ宅に行って、
牧師先生の事を知らせた。


「退院しても無理しない方がいいなぁ。
 安静にしないと。」


「牧師先生は
 洗礼式の前に
 お父さんといろいろ話したい事があったんだよ。
 式の事とか。」


「そうか。
 でも無理しない方がいい。
 俺は大丈夫だ。」


「洗礼式の時にさ、
 牧師先生からお父さんは名前を呼ばれるから。
 そしたら車椅子で前に出て、
 牧師先生から質問される。
 それにはいと答える。
 お父さんがするのはそれだけ。
 後は牧師先生に任せて。
 ○○○○さん、
 あなたはイエス・キリストを信じますか?
 牧師先生にそう聞かれたら
 お父さん、何て答える?」


「はい。信じます。」


じじ、間髪入れずに答えたぞ。
私とはこれまでに
そんな話をした事無かったけど。
それだけで十分。
他の事は全部後から付いて来る。


さて、
今日はマルコを読了する。
誕生日から読み始めて、
とうとう最後まで来たね。
今日は復活と大宣教命令の箇所。


では、主の祈り。

3月15日(土) まず、主の祈り

2008-03-15 21:55:14 | お祈り
今日は
十字架のイエスの苦しみと死の箇所を読む。


珈琲を沸かす間、じじは
ずっと読んでいた遠藤周作の『切支丹の里』の
最後のページを読了した。


解説まで全部最後まで読むのがじじ流であるよ。
私とはそこが違う。


「はー読んだ。
 なかなかこの本はいろいろ書いてあるぞ。」


「面白かった?」


「うん。なかなかだ。」


「それ、私のだけどまだ読んでなかった。
 どんな話?」


「うん。
 昔からキリシタンの人達がいてな、
 隠れてたんだ。」


「ふん、それで。」


「で、そこに訪ねて行くんだが
 警戒してるんだな。」


「へーぇそれで。」


「うん。いろいろだ。」


いろいろ・・・・・・・・・・・・orz


さて、
明日は牧師先生が入院する。
じじにその事を話て、祈る。
まず、主の祈り。

3月14日(金) まず、主の祈り

2008-03-14 22:28:48 | お祈り
ヨーカドーで
ホウレン草1束98円、
たまご1ケース88円。


じじに電話で聞くと
たまごはまだ8個残ってたので
ホウレン草を買う。
ヘルパーから魚の切り身が
無くなったと聞いてたので
鮭と銀がれいみりん干しとタラを買って
じじ宅に行く。


じじ、
今日も遠藤周作『切支丹の里』を読み耽っている。


「この本な、
 大したいろんな事書いてあるぞ。」


「へぇ。
 どんな事。」


「何だかな、
 何だかいろいろだ。」


いろいろ・・・・・・・・・・・・orz
いろいろってなんじゃーーーー!


珈琲を沸かす間に
魚の切り身を一切れずつラップかけて冷凍。


今日は
ゲッセマネの祈りから
イエスがいよいよ逮捕されるところ。
弟子達がイエスを見捨てて散り散りになる。
先日のイエスのエルサレム入りからは
読み方をわざと減速し、
ゆっくり味わうようにして、
引用される預言書や
他の共観福音書の同じ場面にも
飛んでみたりしている。


主の受難の光景を
じじがイメージし易ければいいと思う。


では、主の祈り。

3月13日(木) まず、主の祈り

2008-03-13 22:15:45 | お祈り
ヘルパーから
食材と所持金が無くなりそうだと連絡あり、
じじ宅に補充しに行った。


じじは今日も
デイケアの売店でしっかりと
ビスケットを買って来ていた。
ヘルパーは
じじがビスケットの封を切る前に、
秘密の場所へ隠す事に成功した。


私はその事には触れず、
確定申告を済ませて来た事と
牧師先生の入院が1週間延期になって
受難週にかかる事をじじに話した。


「そうか。
 大変だな。
 無事に終わるといいなぁ。」


じじは遠藤周作の『切支丹の里』を読んでいる。


「お父さん、
 今日聖書読むか?
 どうする?」


「そうだな。
 読む。」


珈琲を沸かした。
先日の日曜日に牧師館で咲いていた
朝顔の写真を見せると喜んでいる。


主の祈り。

3月8日(土) まず、主の祈り

2008-03-08 22:48:45 | お祈り
仕事は日勤から2時間居残って
終わったのが19時、
そのままじじ宅に直行する。


「お父さん、
 今日デイケアどうだった?」


「2回負けた。」


「先生とやったの。」


「他の囲碁やる人は、誰も来てなかった。」


「風邪流行ってるからね。」


ヘルパーの連絡ノートを見る。
じじ宅に昨日入ったからの記述。


 デイケアに持参するお小遣い、
 500円では足りないと仰います。
 娘さんから500円でと言われておりますと
 お話しましたが納得されず、
 「500円では足りないと言ってるんです!」とご立腹なので
 小銭入れに1000円入れました。


じじ、
デイケアに1000円持って行って、
1000円分しっかり袋入りのビスケットやチョコと
甘酒を5、6本買って来ている。
飲んだ甘酒の缶の残骸もある。


「失明したいの?」


「甘酒を買うんだったのだ・・・・」


「週3回デイケアに行って、
 その度に10本単位で買って来るよね。
 2、3日で次のデイケアの日までに
 全部飲み切ってるよね。
 そしてまた買うよね。」


「・・弁当屋の子供にやったら喜ぶから・・・」


「毎度毎度配食サービスの人が子供連れて来るの?
 違うでしょう。
 それに子供にやるなんて、
 自分が全部飲んでるじゃない。
 教会に持って行くと言うのもそうだよね。
 教会の台所は
 お父さんが持ってったチョコが山積みになって
 食べ切れないんだよ。
 お父さんの持っていく菓子なんか
 教会では誰も必要としていない。
 そんなに甘いものを自堕落に食べる人は
 教会にはいないんだから。
 教会に持って行くなんて口実でしょ。
 自分で1日でチョコの大袋を
 1袋全部食べたりしてるよね。
 だから私がヘルパーさんに持たせるお小遣いは
 500円に減らしてと言ったの。」


「・・・・・」


「全く何もかもダメとは言ってないでしょ。
 週に3回デイケアに行く度に1000円全部使って
 食べきれないほど袋菓子買い込んで
 四六時中ポカリスエットや甘酒を飲み続けたりして
 お父さんの採血データ、ケアマネから貰ったけど
 どんどん悪くなってるよ。
 今のままこんな事を続けていたら、
 確実に失明するか足が壊死する。
 最近歩き方がぐんと悪くなったけど
 糖尿病の血流障害になりかけてるかも知れない。
 足痛いでしょ。
 この上失明もしたい?」


「・・・・」


「自分は大丈夫とか
 思ってるんじゃないでしょうね。
 甘いものを無性に食べたい事自体が
 糖尿病の症状なんだよ。
 血糖を下げる薬飲んで、
 病院に通って、
 そうして甘いものを食べ続ける。
 自分でおかしいと思わない?」


「・・・・・・そうだな。」


これまでにじじと、
何度この会話をしてきた事か。
でも今回はここでじじは逆上せず、折れた。


「これ以上糖尿病が進行して
 今以上に血糖下げる薬が増えたり
 インシュリンの注射をするようになったら
 私は食事の度にここに来て
 お父さんに注射打たなきゃならない。
 そんな状態になったら
 私は仕事も出来なくなるし
 働いて生活する事自体出来なくなる。
 それでは困る。」


「そうだな。」


「小遣いを一銭も渡さないとか
 100%何もかも絶対ダメと言ってるんではない。
 このくらいの事は我慢しないと。
 それにデイケアの食事でも
 毎回おやつが別に付いてるでしょ。」


「・・・・・・わかった。」


ヘルパーの連絡ノートに
"本人を説得したので今後も小遣いは500円で"と書く。
小遣いを持たせるのは
物を見て選ぶ、代金を払い釣銭を受け取る、
買い物をする一連の行動と楽しみを
取り上げてしまわない方が、
本人の心身の残存機能維持のために良いと、
ケアマネと相談の上判断したからだ。


今後はそれも軌道修正の可能性ありだな。


珈琲が沸いたので
聖書を開く。


じじ、今日も主の祈りを朗読する。

3月7日(金) まず、主の祈り

2008-03-07 22:55:40 | お祈り
昨夜電話で、
今日は行くよと言っておいたが
じじの中では昨日の延長で
今日も休みのつもりだったらしい。
やっぱり直前の電話連絡は欠かせないのか。


行ってみると、
既に居間は消灯して就寝の用意をしていた。
私も疲れているし、
じじ本人も寝るモードになっているので
今夜は聖書を読むのはやめて
お祈りだけにした。


祈るべき事があるとじじに話す。


牧師先生が来週内視鏡切除を受けるので、
癒されるように、
早く回復されるように、
入院に入用な用意が整えられるように、
医療従事者達の働きが守られるように、
牧師夫人とご家族に平安があるように。


牧師先生のお母様が肺炎で入院されたので
癒されて病状が回復されるように、
お母様の心配をしながら
ご自身が治療を受けられる牧師先生の
心労が取り除かれて心身共に平安に
治療を受けられるように。


じじに
こういう時に教会では皆で心を合わせて
祈りを捧げるという事を話した。


主なる神
お守り下さい。

3月3日(月) まず、主の祈り

2008-03-03 21:40:50 | お祈り
遅出日勤だった。
19時、定時で仕事を終えてじじ宅に直行した。
今日は
ダビデの子問答とやもめの献金の箇所だ。


じじはいつものように小学生のような格好で
私が紙に大きく手書きした主の祈りを朗読する。
私が祈り、じじはアーメンと言う。


じじが自分から、
自発的に自分自身の言葉で
祈る事が出来るようになったらいいと思う。
これからのじじの残りの人生の日々を
神と共に生きる、
それを実感するために。

















腹減った。

3月2日(日) まず、主の祈り

2008-03-02 21:59:59 | お祈り
日勤が定時に終わって
じじ宅に直行した。
まだじじは夕食を済ませていなかったので
ヘルパーがお盆にセットしてくれた夕食を
冷蔵庫から出してチンして温め直し、
じじか食べている間に
私も行きつけの珈琲店で
野菜サンドとカフェオレで夕食。


その間に
夜のヘルパーが来て、
夕食の片付けと翌朝の食事の用意や
デイケアに持って行く所持品準備と
連絡ノートにいろいろと
じじの状態を書いていてくれた。
私が珈琲店からじじ宅に戻ると
入れ違いでヘルパーが出るところだった。
これから次の利用者宅に向かうと言う。
就寝前のオムツ交換と
早朝4時の排泄介助のために
利用者宅に行くと言っていた。


彼女、
夕食は何時に摂ったのだろうか。
夕食を摂る暇はあるのだろうか。
私は遅出日勤からじじ宅に直行して来る場合、
早くて19時に職場を離れ、
夕食を摂る暇は無いので
お祈りも聖書も片付けも全部終わって
自宅に戻ってから
大体21時頃にやっと夕食にありつける。


考えると
私もヘルパーさん達も
アクロバット的な時間の遣り繰りをして
じじを支えているのかも知れない。
このアクロバットは主の支えなくしては無理。


じじ、
そんな事はお構いなしで
今夜も珈琲を所望する。
主の祈りを朗読して
私が祈って
聖書を開く時には大体いつも珈琲を入れる。
珈琲→聖書。
心理学的に言えば条件付け?