イエスの12人の弟子について。
漁師。
シモン・ペトロとアンデレの兄弟。
ゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟。
「お父さん、この人達は
自分から師匠、弟子にして下さいさって
志願して弟子入りしたんじゃないのさ。
イエスの方から"おいで"とお呼びになったので
彼らは付いて行ったのさ。
自分の仕事か親とか雇い人とか
それまでの自分の生活を横に置いて、
イエスに付いて行った。」
「ほぉ。」
「これは大事な事なんだよ。
私達の方から神様を選んだのではないって事さ。
お父さんも、私も、
自分の方からキリストを選んだのではないんだ。」
「・・・?」
「私達は神様から招かれて、
呼ばれなければ付いて行く事は出来ないんだ。
お父さんが教会に行くようになったのも、
その後もずっと続けて教会に行く事が出来るのも、
牧師先生や教会の皆から歓迎されて、
ヘルパーさんに助けられて、
毎週教会に行くために必要な
全ての条件を整えて下さったのは神様だよ。
お父さんや私の力ではないのさ。」
「そうか。」
「そうだよ。
イエスがお呼びになった12人の弟子達は皆、
特別に優れた才能があった訳でもなく
招かれた時は立派な信仰者でもなかった。
目立たない、貧しいそこいらの人だった。
イエスはそういう平凡な一人一人を弟子として選んで
"おいで"とお呼びになった。
お父さんも私も、招かれたのは
特別に優れているから招かれたのではないし
才能があるからでもないし
人格が立派な訳でもないし
信仰的に優れている訳でも何でもないのさ。
ただ神様が"おいで"とお呼びになった、
そしてそれに気づいて付いて行ったんだよ。」
「ふぅん。」
「私達は
呼ばれたら、自分の生活をその場に置いて
イエスに従って付いて行くんだ。
この弟子達もそうだった。
キリストに従う人は皆そうやって
自分のそれまでの生活を置いて付いて行くんだ。
うちの教会の牧師先生もそうだったって。」
「ほぉ。」
「牧師先生は若い時に
キリストを信じるようになって洗礼を受けて、
さらに自分の人生を神と人々に捧げる決心をして
牧師になるために
それまで働いていた職業も辞める事を決めた時、
親戚中から猛反対されたんだって。
黙ってそのまま働いていれば
生活に不安も無く老後に恩給もつくのに、
安定した職を手放してまでキリストに付いて行く事は
親族の人々からは簡単には理解されなかったと思うよ。」
「そうだな。
そうだろうな。
仕事を辞めるという事は大変な事だ。」
「それに牧師という仕事は苦労の多い仕事だからね。
今の私達の教会の
明るい、活気のある所しかお父さんは見てないから
想像も付かないでしょう。
これまでの牧師先生ご夫妻の
目に見えない苦労と祈りの上に
私達の教会は建てあげられている。
牧師先生はイエス・キリストとずっと一緒に
道のりを歩いて来られた。
お父さんは毎週その教会に
神様に招かれて行ってるんだよ。」
「それは知らなかった。」
「今度、牧師先生に話を聞いてみなよ。」
「うん。そうだな。」
じじ、
考え込んでいる。
「イエスはユーモアのある人だったと思わない?
シモンにペトロってあだ名つけてた。
ペトロは"岩"という意味だよ。
きっと頑固だったのかも。
ヤコブとヨハネの兄弟も"雷の子ら"って、
きっと怒りっぽいとか荒っぽい性格だったのかもよ。」
「はは。
面白いな。」
じじ、珈琲に砂糖入れ過ぎ。
12人の弟子達の、最後に出てくる名前。
イスカリオテのユダ。
「ああ、
裏切り者のユダな。
知ってる。聞いた事ある。」
「うん。
確かにユダは律法学者達にイエスを銀貨30枚で売った。
だけどね、
イエスを裏切ったのは
イスカリオテのユダだけじゃないんだよ。
ここに出て来る12人全員がイエスを裏切った。
最後の土壇場で、
全員がイエスを見捨てて逃げたから。
イエスを裏切ったのは皆同じでしょ。」
「そうだな。
いざという時に逃げたら同じだ。」
じじ、また考え込んでいる。
漁師。
シモン・ペトロとアンデレの兄弟。
ゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟。
「お父さん、この人達は
自分から師匠、弟子にして下さいさって
志願して弟子入りしたんじゃないのさ。
イエスの方から"おいで"とお呼びになったので
彼らは付いて行ったのさ。
自分の仕事か親とか雇い人とか
それまでの自分の生活を横に置いて、
イエスに付いて行った。」
「ほぉ。」
「これは大事な事なんだよ。
私達の方から神様を選んだのではないって事さ。
お父さんも、私も、
自分の方からキリストを選んだのではないんだ。」
「・・・?」
「私達は神様から招かれて、
呼ばれなければ付いて行く事は出来ないんだ。
お父さんが教会に行くようになったのも、
その後もずっと続けて教会に行く事が出来るのも、
牧師先生や教会の皆から歓迎されて、
ヘルパーさんに助けられて、
毎週教会に行くために必要な
全ての条件を整えて下さったのは神様だよ。
お父さんや私の力ではないのさ。」
「そうか。」
「そうだよ。
イエスがお呼びになった12人の弟子達は皆、
特別に優れた才能があった訳でもなく
招かれた時は立派な信仰者でもなかった。
目立たない、貧しいそこいらの人だった。
イエスはそういう平凡な一人一人を弟子として選んで
"おいで"とお呼びになった。
お父さんも私も、招かれたのは
特別に優れているから招かれたのではないし
才能があるからでもないし
人格が立派な訳でもないし
信仰的に優れている訳でも何でもないのさ。
ただ神様が"おいで"とお呼びになった、
そしてそれに気づいて付いて行ったんだよ。」
「ふぅん。」
「私達は
呼ばれたら、自分の生活をその場に置いて
イエスに従って付いて行くんだ。
この弟子達もそうだった。
キリストに従う人は皆そうやって
自分のそれまでの生活を置いて付いて行くんだ。
うちの教会の牧師先生もそうだったって。」
「ほぉ。」
「牧師先生は若い時に
キリストを信じるようになって洗礼を受けて、
さらに自分の人生を神と人々に捧げる決心をして
牧師になるために
それまで働いていた職業も辞める事を決めた時、
親戚中から猛反対されたんだって。
黙ってそのまま働いていれば
生活に不安も無く老後に恩給もつくのに、
安定した職を手放してまでキリストに付いて行く事は
親族の人々からは簡単には理解されなかったと思うよ。」
「そうだな。
そうだろうな。
仕事を辞めるという事は大変な事だ。」
「それに牧師という仕事は苦労の多い仕事だからね。
今の私達の教会の
明るい、活気のある所しかお父さんは見てないから
想像も付かないでしょう。
これまでの牧師先生ご夫妻の
目に見えない苦労と祈りの上に
私達の教会は建てあげられている。
牧師先生はイエス・キリストとずっと一緒に
道のりを歩いて来られた。
お父さんは毎週その教会に
神様に招かれて行ってるんだよ。」
「それは知らなかった。」
「今度、牧師先生に話を聞いてみなよ。」
「うん。そうだな。」
じじ、
考え込んでいる。
「イエスはユーモアのある人だったと思わない?
シモンにペトロってあだ名つけてた。
ペトロは"岩"という意味だよ。
きっと頑固だったのかも。
ヤコブとヨハネの兄弟も"雷の子ら"って、
きっと怒りっぽいとか荒っぽい性格だったのかもよ。」
「はは。
面白いな。」
じじ、珈琲に砂糖入れ過ぎ。
12人の弟子達の、最後に出てくる名前。
イスカリオテのユダ。
「ああ、
裏切り者のユダな。
知ってる。聞いた事ある。」
「うん。
確かにユダは律法学者達にイエスを銀貨30枚で売った。
だけどね、
イエスを裏切ったのは
イスカリオテのユダだけじゃないんだよ。
ここに出て来る12人全員がイエスを裏切った。
最後の土壇場で、
全員がイエスを見捨てて逃げたから。
イエスを裏切ったのは皆同じでしょ。」
「そうだな。
いざという時に逃げたら同じだ。」
じじ、また考え込んでいる。