鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

マンガ原作者になった話

2006-10-20 07:21:07 | 雑記
忘れもしない。自分の人生の一大転換期がここに。
「マンガロン」を出版した直後のロフトプラスワンのトークイベント。休憩中にある人から名刺を渡されたんです。
そこには「辰巳出版」と書いてありました。
自分はエロ本で仕事をしていたのに何故かこの会社とは縁がなかったのです。それも自分が読んでいるパチンコマンガ雑誌の編集さんだと。
ちょっと嬉しかったですね。当時はもうパチンコ、あんまり打ってなかったのですが、それでも一時期は羽根モノで食っていた人間ですから何か嬉しくて。
それでトントン拍子でコラム連載したんですよ。
また余談ですが自分のアイデアでバンド「人間椅子」のベーシスト、鈴木研一さんがパチンコが好きで、バンドでもパチンコにちなんだ歌を作っているので、鈴木さんを主人公にしたエッセイマンガ的なものをやったらどうだろうって話したんですよね。で、一回だけ打ち合わせしたんですよ。
鈴木さんとマネージャー、あと編集者数名と俺で。
結局、この話は何となく消滅してしまって実現しなかったんです。そもそもそのパチンコマンガ雑誌がなくなっちゃいましたから。自分が連載して三ヶ月とかで。
鈴木さんとの数時間の会話は単なるファンとしても嬉しかったけれども、いまになって思えば自分が生き延びるためのヒントをたくさん授かったんだな、と。
どこまでプライバシーなのかよくわからんので具体的には書きませんが、人間椅子の人たちは「バンドブーム」っていうバブルを経験しているんですよね。
で、あの人たちは「この状況は狂っている」って当時から思っていたらしいんですよ。鈴木さんはその当時(多分いまもそうなのかな)、バンド活動以外は郵便局で働いているんですね。あとパチンコ打ったり。それも落ちぶれた感もなく普通にMCで仕事場の話とかするの。
ああ、いい意味で自意識がないんだな、と思いました。
で、鈴木さんが話す「みぃんな大変なんだよ」(若干の津軽訛りで)から始まる話ってのは誰か編集者がいますぐ鈴木さんのところにいって文書化して出版するべきです。
はっきりいって地獄絵図だもん。しかも一瞬天国だって錯覚させる地獄ね。
自分がスターだと思ってしまった。自分を芸能人だと思ってしまったバンドマンがどんな人生を送るのかって話を蕎麦屋の座敷で聞いたんですよ。何故蕎麦かっていうと打ち合わせの喫茶店のあとに食事でもっていったら鈴木さんが、
「俺、バイクだし、元々下戸だし」(やはり津軽訛りで)というので蕎麦なのね。
それはいいとしてその座敷で語られる怪談(しかし話している当人はいたって自然体)は「現実にそんなことがあるのか」と愕然としました。
俺、一回しか会ってないけど(ライブでは何回か見ているけど)鈴木さん大好きだよ。変な宗教家みたいないい方にしちゃうけど自慢げではなく最近あったこととか自分が誰に何をしたかとか話すのね。淡々と。でもそれってこっちから聞くと「あんた、あのバンドの解散の危機を救ったのか!」って驚くような話ばっかりなの。
でも本人は無自覚に善行をしているから自然体の与太話なのね。多分、かなり徳が高いんだと思うよ。来世は菩薩だね。あの人は。
多分、これは書けるのかなあ(問題あったらメールください。関係者様)、大槻ケンヂさんが一時期かなり精神的にまいっていると時に鈴木さんに電話したんですと。
「パチンコを教えてくれ」と。多分精神的にまいっているから何か脳内麻薬を出す快楽を探していたのかな、とこっちは邪推するわけです。鈴木さんの話によれば時期的にも筋少が一番ゴタゴタしていた(らしい)時期だしね。
「そんで連れてったら、三千円くらい打って『当たんね』いって帰ってさあ」(当然津軽訛り。しかしここがある意味で重要なのだが鈴木さん本人は実は「標準語で話しているつもり」だということだ。こういうことは俺の人生に関わってくる無意味や不条理な状況に対していつも何かの助けとなる。この感覚はなかなか伝わらないかもしれないが)という話。
何かいい話だなあ、と思って。オーケンもいろいろ苦しかったんだろうなあ、とかこっちがいろいろ考えているわけですよ。
でも鈴木さんはあんまりそういうの気にしないからまた淡々と話し始めるのね。
また話、変わります。
いまここまで書いて気がついたけど鈴木研一と蛭子能収って奇妙に一致する部分と全く正反対の部分があるなあ。一致するのは無意識過剰さとギャンブルへの執着。あと朴訥とした喋り。作品が奇妙な猟奇性を持っているのもマンガと音楽というジャンルの違いはあれど共通項なのかも。
正反対なのが、蛭子さんは無意識で人を殺す(サインを貰った人間が多数交通事故で死んでいる)けど鈴木さんは無意識で人を救う(バンドの解散の危機を救ったり、人と人を出会わせたり)ってところ。あと東北出身と九州出身ってのもなあ。
ひょっとしたらこの世ってのは鈴木っていう菩薩と蛭子という悪魔に翻弄されている(しかも両者無意識にやっているので戦争というカタチにはならない)だけなのかもしれない。
余談。終わり。まあ鈴木研一は偉大だってことで本題に。

雑誌がなくなることを知ってから編集部に呼び出された。
そして自分の目の前に現れたのが、そのなくなる雑誌の代わりに発売となる「パチスロ7Jr」の編集長である河野さん(愛称というか源氏名は「コーノちゃん」。以降はこの呼び名で)だった。
コーノちゃんはほぼ初対面の俺に向かって、
「鶴岡さんさあ、原作やんなよ」と。
自分、びっくりした。実は一回目は拒否したのね。自分。
「いや無理ですよ」って。
「できるって。鶴岡さんの本、読んだけどさ。原作向いてるって」
何かよくわからないけどそういうことらしい。
「でも自分はパチンコばっかりでパチスロはあんまり…」
「そんなもんは俺たちが教えるよ」
で、いろいろ話していくうちに当時はポジティブなスロットマンガが多かったのでここでひとつパチスロ、否、人間のダークな部分を描こう、って話になった。
ちなみに打ち合わせがある程度終わって居酒屋にいったの。自分は結構飲むんですよ。ウーロンハイとか。で、自分が頼むとコーノちゃんも「あ、俺も」って頼むんだけど当時のコーノちゃんって酒がほとんど飲めなかったんだって。俺の前で気を使ってくれていたのね。あと他の編集から聞いたらビールの中ジョッキ飲んでゲロ吐いたことがあるらしい。そんな人がウーロンハイを5杯くらい飲んじゃったの。
帰りの新宿駅のホームでグデングデンでさ、コーノちゃん。
「むぁんがぐぇんはくで、よのあかくわえみぃろよ」(「マンガの原作で世の中変えてみろよ」といってるっぽい)といってくれてその日は別れました。
こうしていろいろあって生まれたのが「ヤマアラシ」で。酒は弱いけどコーノちゃんの目は厳しくてよく最初はよくダメ出しされたよ。そんなんやっていくうちに自分は「物語を作る」って行為が楽しくなってきたのね。
本当に書いていて楽しいのはこれだ、って思えた。だからいまも続けているし、マンガ原作の仕事ならどんな雑誌でもやっている。また企画が何度ボツになろうが(ここ数年こればっかり)、また企画書を作る。
大袈裟じゃなく、俺はコーノちゃんに出会ってなかったら死んでたかもしれない。当然自分で自分を殺すパターンでね。

そんなコーノちゃんはいまでは退社してフリーになって、結婚して離婚した。あと驚くことに酒が強くなった。
いまも忘年会などでたまに会う。
「相変わらずやってるね」
コーノちゃんは俺にそういう。
俺はとりあえず笑ってる。
愛想笑いではない。断じて。

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