拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『復活祭』の悟学的『再解釈』

2022年04月18日 | 観自在

  地元のイースター(復活祭)をはたから見つめて30年。

  チョコレートの兎やら卵やら復活祭のシンボルなのか、春のシンボルなのかショウ・ウィンドウを賑わかす季節になった。

 

  『復活祭』って何?・・・とこちらに来たばかりの頃は、相方に尋ねては、要領を得ない返答にウヤムヤのまま今日まで来てしまった感。

  相方ばかりでなく、他のスイス人も『キリストが復活した日』以上の感慨などないかのように、家族との集い、バカンス旅行に気がいってしまっている。

 

  私もこれまで、引っ越し(仕事)で忙しくて真剣に考えたことがなかったが、ここらで馬骨流・再解釈の時節。

  

  馬骨に言わせると、毎年くる宗教行事祝日というのは、各人の悟学次元による『再解釈』可能日・・・ということになる。

  キリスト教にしても、『キリストの復活』なくして宗教なりえず、仏教にしても『諸行無常』から『諸法無我・涅槃寂静』への展開

  するにあたって『復活』というのか『仏としての目覚め』(つまり悟り)という『進化』無くして仏教たりえなかった。

 

  キリスト教の場合、『神』の復活であるから、話はそれ以上に膨らまないが

  仏教、とくに禅仏教ということになると、話は自由自在に膨らむ・・・禅語の『大死一番絶後に再び蘇る』・・・ということで

  『復活』は即『自分』の話になる。

  『自分』・・・自ずと分かれ、自ずと分かる。色界に生まれ、まず最初の『自分』で生き抜くすべを学ぶ…。

  次に『空界』に行くべき、もう一つの『自分』に目覚める『悟り』という『復活』劇が貴方を待っている。

 

        

  『撮人家』でならした私も、いまではすっかり相方をとる『ニコル専属カメラマン』に落ちぶれてしまった感満載の春。



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