拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  パリの北斎

2014年11月17日 | 一撮レポート
  パリ・フォトと同じ建物・グラン・パレで奇しくも『北斎展』・・・こりゃ~見ないわけにはいかない!・・・と、パリに行く前から計画を練るというと
  大袈裟だけど、まぁ、それくらいの勢いをもって入り口まで行って・・・『2時間待ち』です~という案内に グラグラと決心が揺らいだのもつかの間
  パリ・フォトを見た翌日には元気を取り戻したものの、朝から冷たい雨模様!!ここでも震度2ぐらいに揺れたが、待てよ『雨』だからこそ『チャンス』だろ!
  よりによってこんな雨+風の寒々しい日に『2時間』も待ってまで『北斎』を見たい奴なんて、そんなにいるもんじゃないよ!・・・・

  例の『十時屋』にて、カツ丼と思って買った『天丼』の昼食を食べて、雨の中を『待つ』為の必需品『5ユーロの傘』を買ってグラン・パレに向かう内に
  雨は上がってしまった・・・うれしいやら、悲しいやら?

             
               これはフォト・パリを見た日(13日(木))に撮った写真でこの日は まだ晴れていたのだ。
                左後方に 2時間待ちの人の列がある。

  現場に着くと、ボクの予想に反して2時間待ちの『人の列』が・・・。しかし、ここで怯んで『たまるか~ッ』という理由だけで、ボクは列の後に並んだのだ。
  こういう時の為にわざわざ電子書籍『アメリカから自由が消える』堤未果著をダウンロードしてあったし、出来ることならばそばにいる人と情報交歓
  などして、時間を無駄にはしないぞ・・・の覚悟をして来ていたのだ。
  それで早速ボクの前にいたマドモアゼルに声をかけた『貴方はここで2時間も待つ勇気はありますか?』という質問で攻めたところ、勇気のフランス語
  Courage『Kurag』の発音がどうやっても通じなく、、、20回ぐらい言って分かってもらったが、ボクのほうがすっかりDécouragé(落胆)してしまったし
  このマドモアゼルは、係員が『この列の方は一時間ごとに10人だけ入場出来ます』・・・と言った時、並んで待つのを『放棄』してしまった。
  何故ならどう見ても我々が入場出来るのは3時間後になる、ということがわかったからである。
  そこで、ボクは後ろを振り向くと人の良さそうな中国人?ヤングカップルがいたので、『あなた方はどちらから?』・・・と声をかけてみた。
  これが、ボクにとって本当に素晴らしい出逢いになったのだから、世の中バカに出来ない。
  彼等は台湾人で女性の方はパリ在住すでに6年目の画家の卵。彼の方は一ヶ月の予定で滞在したのち来年はジックリ腰を落ち着けて映画の勉強をしたい・・・
  というふたりとも26歳の芸術志向の若者であった。彼女の方は来日もしていて日本語は片言であったが、英語、フランス語は堪能であった。
  彼は小津フアンの映画監督志望・・・などなど、3時間なんてアッという間に経ってしまったほど、彼等との多岐にわたる対話は実に楽しいものであった。
 
  そしていよいよ我らの番がめぐり入場。台湾の彼等と別れを告げ『北斎展』へと没頭することになった。
  パリなのに、北斎なのに、ボクは解説イヤホンを5ユーロで借りた。(昔、ベルサイユ宮殿を観光した時以来その威力を認識していた。)
  午後2時から5時まで並び待ち、5時から8時半ぐらいまで北斎を堪能した。
  北斎の作品の多いこと、多いこと、まず、その数の多いことに驚くとともに、『号すること30回』・・・ということで名前を何回も変えていたが、
  改号ごとに作風が変化していくことが、ハッキリわかるように工夫して展示がなされていた。

                  

  大方見終えて ボクの感想は、 その版画の出来映えの精度についての完成度の高さ・・・であった。
  彼が描く下絵 ➜➜ 彫物師が仕上げる・・(和紙の選択なども含めた)こういつた工程の完成度を完全に自分のものにしている 
  することが出来た環境というかシステムというか、そういったものが今のようにコンピューターもない時代に実現していることに
  ボクは最も驚嘆したのだろう。(そういったシステムに信頼を寄せていたから富嶽三十六景のような富士山を中心にした
  斬新な発想を実現出来たのではないだろうか。)

  それにしても、朝10時から夜22時まで『3時間並んで待っても』北斎を見たいというフランス人+世界中の人々・・・がいるということ
  そして、その期待に十二分に応える『北斎』の作品に、いろいろ考えさせられた旅であった。
  
  


最新の画像もっと見る

コメントを投稿