拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 やっパリ・フォト 2014

2014年11月16日 | 一撮レポート
  また、『パリ・フォト』の季節、11月がやってきてしまった。
  さすが、自分のアラ還もすっかり板について『億劫』の二文字で去年はご無沙汰した『パリ・フォト』に最後の還力を奮い立たせて2014年版めざして出かけた。

  べつに誰かに依頼されて出かけているわけではないし、自分の興味だけに基づいて出かけるわけであるが、それにしてもこれまで出かけた2回のパリ・フォト
  2011、2012年は・・・完全に『物見遊山』気分であった事を自分なりに反省して、今回こそはもう少しアラ還並みの『渋い・鋭い』っぽいレポートなんか
  出来ないものであろうか・・・と、勝手な覚悟を決めて出かけることとなった。が・・・

  11月13日(木)朝10時、TGVがパリ・リヨン駅に滑り込み、ホームに降りると予想もしない寒さに、相方のアドバイスを無視してセーターの一枚も
  持ってこなかったことをチョッピリ悔いながら、2泊分の小スーツケースを引っ張り、今回宿となるパリ市役所に近い写真家宅の一室をめざした。

          
           リヨン駅の長い通路にはパリ・写真月間を否応なく盛りたてる素敵な写真群が並んでいた。

  家主のやはりアラ還?女性報道写真家アレックスさんにコーヒーをいただきながら部屋使用にあたっての説明を伺った後、この旅の隠し味的  
  存在である日本食店『十時屋』に幕の内弁当の昼食が、宿から徒歩でわずか10分で行き着ける事実にまず歓喜。

  その後、今回の旅の2大目的つまり『パリ・フォト』そして『北斎展』が奇しくも同じ建物(クランド・パレ)を目指した。
  ボクの予定では到着日はゆっくりして 2日目にパリ・フォト、帰宅する3日目に北斎展・・・と考えていたが、北斎展が予想以上に混んでいて
 2時間並んで待たなければならない事がわかり、予定を早めて到着した日にすでに前売り券を持っているパリ・フォトを見ることにした。
  パリ・フォトは20時までなので、それまで粘って帰りに、22時までやっている北斎展の翌日の入場券を手に入れる作戦を立てたわけだ。

  前売り券を持たない長蛇の列を横目に、さっそうと入ったパリ・フォト2014・・・であるが、前回、前々回と全く同じ雰囲気に屈せず
  自分に言い聞かせた『覚悟』を新たに意識して、貰ったブース案内にメモしながら見ること1時間40分頃・・・あまりの写真と混みあう人々に
  だんだんアラ還の意識も朦朧とし始めてきたのだ。

  結局15時頃入場して19時半まで、足腰の痛みに耐えかねながらも4時間半掛けて全ブースをくまなく制覇した時、もういくらなんでも写真は見るのも
  『イヤだ!!』状態になっていたので暗い外に出た時には冷たい風が新鮮に感じるほど開放感に満たされたが、北斎展に入場しようとする列は
  全く衰えていないことに脅威を感じつつ、美味しいラーメン+餃子を食うことだけを念頭に日本食地区に足を向けていた。

  さてさて、アラ還の『渋い・鋭い』パリ・フォトレポート・・・なんて覚悟の事は、2時間見続けている内にキレイサッ・パリにどこかに行ってしまって
  何だか気取った、紳士淑女が値段の交渉らしき場面を傍目で見ているうち、『なんで俺はこんな所にいるの?』・・・なんていう疑問に取り憑かれたり
  なんかして、パリ・フォトはもう今回で終わりにしよう・・・などと自分に言い聞かせていた。

  今回こそは、『感動する写真に出会いたい!』という願いはそう簡単には実現しないものである、という事実を確認しに来たようなもので
  実際世界中から集まったギャラリー等の究極の目的は『ビジネス』であるのだから『売れ筋』を限られたスペースの中で全面的に出している  
  わけであるから、ボクのように金を度外視して『感動』のみを目指しても、それが満足させられるものでは無い・・・ということを
  パリ・フォト詣で3回目にしてやっと『悟った』わけである。

  もちろん、沢山の写真の中にあって、キラリと光るアービング・ペンとかダイアン・アーバスとかクーデルカとか散見したが、数年前に
  この場所で見た須田一政の写真集ほどではなかった。
      
     
       この写真は4人姉妹を40年に渡り撮り続けたもの・・・これには感動した。(詳しくはここのサイトで
            http://dailynewsagency.com/2014/10/06/forty-portraits-in-forty-years-qzt/
        

    

    

    

    

     これら中国勢写真家の活躍が目についた。

  宿に帰って地元パリの報道写真家である家主のアレックスさんと話をしたが、パリでは人の顔を撮ったスナップ写真の発表は許可無しには
  『不可能』であるという話を聞いて、『写真の街・パリ』にしてそんな状態では写真は『死』を迎えているのだ、とボクは強く思った。
  そうした意味で中国とかインドとかそういつた国において『肖像権』とかいうような問題のいまだ起こらない処では人間性追求する道が
  大きく開いていることをあらためて思うと同時に、自由を奪われた写真家達の抵抗する道の模索について思いを馳せるのであった。
  


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