拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
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 素一致 (スイッチ)

2021年07月28日 | 観自在

  『もう一人の自己』・・・そういったものに気付かなければ。

  そんな根源的な欲求…を呼び覚まそうとするのが、仏教・・・特に『禅』にはある。というか、『禅』にはそれしか無い。

 

  そういった心持ちへ『スイッチ』を入れる・・・それを仏教では何という? 法門、仏道、発心、Etc 〜

  我々日本人はすっかり英語の『スイッチ』に馴染んでしまい日本語の『始動装置』『始動』『開始する』という表現

  例えば心の問題であっても、『心のスイッチ』・・・とか言って表現してしまう。

  『心の根源的な欲求』へ全力で始動しようとする時、ことに『禅仏教』は大いに役立つが、なんせ歴史が古いものであるから

  その用語もどこか辛気臭く、抹香臭い…これも慣れれば最上品の『香り』となるが、とにかく宗教臭いところが壁ともなっている。

  哲学でもいいが、此岸から彼岸へ跳躍するには、哲学では難しく、『無』を通した『超越』が必要で、そこが修行システムを噛み合わせた

  禅(仏教)のようなモノがいる。

 

  そこで、逆輸入的に・・・というか大昔の日本人はそうやって日本語を育んできたが、

  英語の『スイッチ』を『素一致』という新仏教用語(本来の自己発見始動装置としての)に転換し、現代の若者に向けて始動しようと思う。

  辞書によると『素』は、繭から紡ぎ出したばかりのもとの白い糸の意味から、もと・しろいの意味を表す。

        『一致』は、二つ以上のものが、ぴったり一つになること。

  『素』が『仏心・仏性』ということであれば、そこに己が『一致』する・・・『素一致』する

 

   (上の写真について)        

  高校時代、美術の教科書にあった菩薩の写真に惹かれて模写した絵が左側、右側は同時期に無意識に『素一致』しようと描いた自画像

  昔は、実家の床の間の上にこの2枚の絵が並んで掛けられていた(母は眼が見えなかったから姉が掛けたのか?)・・・それも偶然ではなかったのだと今はわかる。

 

 

  

  



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