拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

禅修行<キントン雲でぶっとばせ!>

2010年07月22日 | インポート

 

 17年前に読んだ<未来の衝撃>、いま集中できない頭で再読中。

 (再読して,以前にこれを読んだ記憶も無いないが,あちこちに書き込みや,線引きが入っているので間違いなく読んでいるから、

 それはボクの奥座敷にメモリーされているに違いないし、今この本がボクに色々なことで影響を与えているように,その当時のボクにも影響を与えていたと思う。)



  ともかく、未来の衝撃は<人のペース>を問題にしているのだと思う。それが異常に早くなっていることを問題にしているのだと思う。

  しかし、それとはちょっとニアンスが違うが、我が仏教もこのペースの問題がベースになっているように思う。



 仏教の基本は <無常観>の体得からはじまるのだ。

 常なるものが無い・・・と達観したうえで、“無常”というキントン雲を乗り回すのが悟空なのだ。



 ボクの坐禅初体験もじつはこの “ペース”の問題 が禅の道への動機となった・・・と言えると思う。

 初めて坐った時ボクは腹がたって、煮えくり返っていた。 <こんな時間の無駄をして、ばかばかしーーーイイイ!!+ 足がやたら痛いい!>
 そればっかり,考えていたように思う。・・・ただ、終ったあと、あれーーツ、なんかオカシイなぁ・・・と思った。

 なんだかわかんないが、こんな考えが浮かんだのだ・・・、今までボクは時間を一直線に進むものだとおもいこんでいたなぁ。
 などと,反省するつもりが無いのに,反省していた。

 あれ待てよ,坐禅している時の“時間”は本当に進んでいるのだろうか?・・・・と、ここまでハッキリ意識して考えたわけではないと思うが。

 この様な状態を直感したことは間違いない。

 やたら足が痛いし、軍隊なみに坊さんは怒鳴るし・・・の世界だけど,その裏に何か隠しているんじゃないの,お釈迦さん、と思ったわけだ。



 アルビン・トフラーは<未来の衝撃>を現代の病として警告している。

 その対応なのだろう,チマタの若者たちは四六時中イヤホンをして必死に自分のペースを守ろうとしているようだ。

 ボクはこれを名づけて“イヤホン・マン族”と称する。

 しかし、この病の本当の妙薬は <坐>という無常と同時速で飛ぶ心持ちなのじゃ、ふふふふーム。


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