ツボ・・・といっても、いま巷で騒がれている統一協会・霊感商法の『壺』ではなく、鍼灸のツボ(経穴)の話。
私は29歳(1981年)のとき、新宿の『東洋鍼灸専門学校』に入学し、鍼灸を習い始めたが
最初は怖くて、他人はもちろん自分にすら鍼を刺すことが出来なかった。
日本の鍼は細く、鍼先を指で触ると簡単にたわむほど柔らかな鍼で、その為か鍼管という管を使って
身体に刺す…という、本家の中国鍼にやはり日本風工夫を加えて、『痛くない鍼』をあみ出していた。
始めのうちは、リンゴに刺したり学友と互いにおっかなびっくり状で刺す練習をしていたある日
先輩が外部から鍼師を招いて講習会を開き、その鍼の先生の実演を私は度肝を抜かれる思いで観ていた。
その先生はなんと、患者の身体に手をかざしてツボを感得し、鍼を刺していたのだ。
普通ツボは、住所のようにどこどこの骨の出っ張りから指3本分横に位置する・・・といったように探すと学校では
習うのであるが、この鍼師の先生は『手かざし』で鍼を打つべき『ツボ』を感得していた。
我々一学年一クラスで40人ぐらいいたであろうか?その内の私と後に親友になった2人の計3人がその先生の弟子になった。
その先生が禅者で鍼灸師の横田観風先生で、私たちに坐禅をする機会を与えてくれた師であった。
禅といえばこの学校にはもう一人、円覚寺の老師に長年参禅する禅者、伊藤真愚先生の影響も大きく
この二人の禅者との出逢いがなければ、私は『禅門』を叩いていなかったであろう。
観風先生のおかげで、私もまもなくツボを感得できるようになり、以来自信をもって鍼を刺すことができた。
その『感得』について、学友と何度も実験というか修練したが、『意識を向ける、意識を働かせる』事の
重要さを私は感銘をもって肝に銘じたものだ。
『悟り』という『人間進化の可能性=ツボ中のツボ』への道を開き、何千年という歴史を耐えて
伝えてきた『仏道』を『禅』という形で東洋人はその『意』を伝えてきたが、
その『意伝』を汲み取って、我々自身がそこに『意識』を向けなければ、『宝の持ち腐れとなる・・・』と
自己の生涯をかけて『禅』を説いてきた鈴木大拙師らに、私は思いを馳せている。
昨日秋晴れの日、久々にバレー州のアルプスの谷間を散歩。スイスがアルプスの国であることを忘れていた・・・。
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