拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  通過儀礼~2(山田孝之氏の場合)

2016年01月04日 | 観自在
  世の中いつどうなるか?油断も隙もあったもんじゃない・・・のを昨年『Hulu』にはまってからあらためて実感中である
  というのは時間の使い方に若干変化(イイか悪いか)が出たのだ。 それは別として、

  『山田孝之の東京都北区赤羽』・・・というのを見て、はじめは『何なんだ・・・』だったが、だんだん引き込まれて全部見た。

  15歳から芸能界入りして31歳をむかえた俳優『山田孝之』、ある時役と自分との境がわからなくなった事がキッカケで一時役者業を中断した時の
  ドキュメンタリー。 
  彼のドラマは『世界の中心で、愛をさけぶ』をジュネーブの日本食品店で貸し出すビデオで見て、綾瀬はるかと共に非常に印象に残った事を覚えていた。

  それ以来の彼『山田孝之』を見たわけだ。全12話のうち7,8話あたりを見てる内に自分(一撮)の青春或いは青年期?と重ね合わせて見ている自分に
  気付き、そして彼の行動はボクが思っている『通過儀礼』なのだと思った。
  15歳から芸能界入して、順調に30歳まで来た時点で『これでイイんだろうか?』と普通の人間だったら思うよね。
  そして普通だったら疑問は疑問として、横に置いといて引かれたレールをひたすら行くもんだろうね。

  しかし、山田孝之はこの時本当にストップをした所が、普通じゃないのかもしれないと思った。
  より成長するための『何か』をしなければ・・・

  通過儀礼と言っても色々あるだろうと思う。ボクの場合は社会的なシステムとしてより、心身の成長過程でおこる天然自然システム的傾向が強かった。
  (パチンコで打ち殺してしまった小鳥を見た時(小学生)・金縛りの恐怖から抜け出た時(高校生)・手相事件の顛末(25歳)・ニューヨークでの
   事(30歳)・禅修行・・・などなど )

  そしてそれは、後になってから『あ~・・・アレは通過儀礼だったのかぁ』と思い至るような形で理解するような、それでもって確たる出来事たち。

  こういったことは還暦になってからできる『業』なのか? しかし、90~100歳のジジ・ババから見ればアラ還の俺を鼻で笑っているのだろうよ。

  この山田孝之さんも、もう一皮むけて第二の『山本太郎』みたいになるっちゅう・・・のはやっぱ無理かなぁ! 

              
               去年の夏、レマン湖に繋がれた砂運び船の船低で行われたパフォーマンス
               彼女たちを見ていた時も人が忘れてはならない『儀礼』をみているような気がした


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