拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

ARRiVAL・到達

2022年09月11日 | 観自在

   今日三度目、映画『メッセージ』を鑑賞。今回は吹替版であったので細かいニアンスも理解することができた。

  この映画に関して去年ブログに書いたので参照を願う。 2021年7月3日のブログ記事

  この映画はたぶん、観るたびにインスパイアするモノがある優れた作品であると思う。

          

 

  映画冒頭部分で『人は時の流れに縛られている・・・その順序に』という主人公のセリフが効いていることも今回初めてわかった。

  面白いのは、字幕版だとここのセリフが『人は時の流れに縛られて、生きているけど・・・』となっていて『順序』という

  この映画のキーワードが省略されていた。

  これに続くセリフは私が最も気に入ったセリフで、『記憶って不思議、色んな見え方をする』というもので、2つ目のキーワードだった。

 

  私の渡欧の目的は『禅の・仏教の素晴らしさ』を伝えたい…というものであったという事は『還暦スキャン』して今わかった。

  そして『禅とか仏教』とか言ってもつまるところ『悟り』が問題であるということも。

  で、その『悟り』というのは一般的に『厳しい修行の末に』得られる境地・・・と信じられている。

  今日Youtubeラジオで、ある禅寺の老師が一番困るのは子供による『(あなたは)悟ってますか?』という質問だと困惑気味に言っていた。

  私は老師が困惑する理由もわかるが、その話を聞いて正直、違和感を覚えた。

  子供に対して『悟り』を大人の事情…なようなものをにじませ、ズバリと言えないのはおかしい・・・と思う。

  白隠禅師もいっている『衆生本来仏なり』と。しかし、そこには直線的な人間性(この場合:記憶)しか観ていないのではないか?

 

  この映画『メッセージ』では『未来の記憶』が問題として取り上げられている。

  この『記憶』で時間的には真逆というか普通の記憶ではあるがその重要性について書いたことがあった。

  2021年1月20日のブログ記事『赤い糸の記憶』

  私の考える『郷里サトリ』は郷里である仏心からの響鳴としての『記憶』を辿ることで『道』となると確信している。

  この映画の原題が『Arrival』で到達・・・というのも意味深だ。

  般若智への到彼岸のArrivalで『摩訶般若波羅蜜多』となり、その『道』の到達が『円相』だ。

 



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