拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  映画 『メッセージ』 を観て

2021年07月03日 | 観自在

  昨日、映画『メッセージ』を観た。2017年公開アメリカでの原題『Arrival』、ドウニ・ビルヌーブ監督作品・・・以前に観たと思うけど、その時は意味がわからなかった。

           

  今回、2度観て、この映画について少し勉強してみると、この映画は単なるSF映画、宇宙人ら未知との遭遇的な話で終わらせるにはもったいない傑作と結論。

 

  タコのような異星人の文字・・・7本ある手のひらから吐き出す墨で示した文字は、どう観ても禅僧か描く『円相』に見えるところが味噌…って思うのは

  私だけでは無いようで、映画ブログにそういった事を書いている人がいた。

  映画で異星人が我々地球人にもたらしたメッセージというのは、時間の制限を受けない『観自(時)在でいなさい…』という教えであった。

 

  この映画の主題は異星人と地球人ではなく、『悟った人間』と『悟っていない人間』の世界観の違い・・・がこの映画の深いテーマとして流れているように思う。

  そもそも禅の公案にもなっている『拈華微笑』の話は明らかに非言語コミュニケーションを表し、仏が教えるのは『仏語』(フランス語ではない)でなかったか。

  宇宙人と出会うまでもなく、禅者と本当にコミュニケーションを取ろうとすれば、禅者と一般人と世界の観え方が違う・・・であるから禅僧は『円相』を描くのだと思う。

  そのへんのことは、例えば鈴木大拙著の『Living by Zen』(禅による生活)なんかを読めば、禅問答のなんたるかを知ることができるが、一読しただけでは

  意味の通らない内容の話ばかり・・・(それが公案であるが)、そこから私達が学ぶのは『仏語』なのである。仏の世界観であり『観自在菩薩』なのだ。

  

  映画のストーリーでは、少しずつ異星人の文字を解明することが出来、異星人が地球に来た目的は『ルイーズ(女主人)には武器がある・・・その武器を使え』と促す

  場面があり、結局その武器というのは過去・未来の制限を受けない仏教的に言えば『六神通』の内の『宿命通〜自他の過去の出来事や生活、前世をすべて知る力』という

  ことになるだろう。映画の中では女主人公はしばしば、未来のフラッシュバックを観て、それを観ることで、異星人の目的を理解することが出来た…というオチである。

  

  私は1月のブログ記事で『赤い糸』の記憶…というタイトルで、『悟りメッセージ』をフラッシュバックで観ていた体験を書いたが、その点に映画の類似性を感じた。

  このブログの上右側のポスターの写真、 円相とその下に人がポッンとたっているが、それって『 ? 』に観えないだろうか?

  それが観えた時、人は 『○』の円相を観るのだろう。

          

      スイスの首都、ベルンの美術館で観た、ユニークな電光影絵作品、女性が見ている方に、男性のシルエットは、私の影で『陰陽マーク』を背負って立っている・・・図