拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

施無畏-2

2015年02月24日 | 観自在
  前回ブログに『施無畏』について書いたが、別な角度からの考えが湧いてきた。

  仏様の『施無畏印』は ただ単に 衆生の畏れを取り除く・・・というようなものではなく もっと別な深い意味がある事に気がついた。

  我々人間は 一人もれなく皆、使命をおびて生まれてきているのだろう。
  しかし、それに気付かずにいる時、人は自己の人生に落ち着かず不安を感じるのだ。
 
  だから人が畏れを抱くのは その使命に気づかせる為の 生命システムではないだろうか!
  一見、何不自由ない人達でさえ ふと漠然とした不安を感じる理由はそこにあるのではないだろうか。

  それ故に東洋では 怖れ(畏れ)の入り口から ➔ 施無畏に向かう スピリチュアルな活動を『仏道』というのだろう。

  だから真の『施無畏』とは、仏様によって怖れを取り除いてもらうことでなく 自身が自身によって『施無畏』を見出すことを 奨励しているのが
  仏様であり そこにこそ ボクの仏教(禅修行)が『宗教』にまで昇華するのだと思う。


               
                  ボクの施無畏は、同時に貴方の施無畏・・・鎌倉の大仏様


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