拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  合掌〜(その1) 蓮華

2022年06月13日 | 観自在

  これまで合掌をテーマにブログを何度か書いている。 2021年2月4日『人"間”工学』〜合掌

 

  『合掌』こそは、時代や宗派や人種を超えて仏教の郷里・インドから中国、韓国を経て日本に伝わった仏教徒の挨拶。

  ある意味、合掌は禅の旗印『不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏』をそのまま体現している、 簡単、簡潔な行為。

  これだけ『重要』(私にとって)な『合掌』であるが、ほどんど誰も何も言わない・・・のは、後に私に自由な発想を許すためなのか?

 

  私のブログ名『拈華微笑』は、仏陀となった釈迦が弟子が悟ったかどうか調べるのに、黙ってただ『華』を提示した…という公案にもなっている逸話。

 

          

  蓮華を持つ菩薩像を時折みかけるが、それってこの『拈華微笑』が関係しているのだろうか。

  仏陀が『華』を提示したとき、それは『華』でなければならなかったのか?・・・私は長い間それがわからなかった。

 

  『蓮の華』は泥沼から美しい華を咲かせるが、泥沼が煩悩とし、そこからこそ『美しい華』を咲かせる…

  その象徴を仏教は何時の頃からか、『華厳経』とか『法華経』とか仏像の台座を『蓮華座』とかして、『蓮華』のイメージを強調している。

 

  仏陀がこの『華』で示したかったことは、他でもない、『 貴方もあなたの『華』を咲かせなさい・・・』というシンプルなメッセージだとすると

  私にとって『合掌』が『蓮華』の花となる。