『Zen』があまりに普通に世界中に普及しているので、危うく大切な事を忘れてしまうところであった。
『Zen』…はスズキ大拙という人物の血と汗の結晶によって、東洋から西洋に伝えられた・・・。
そうゆう意味で、スズキ・大拙は20世紀の『達磨』に匹敵する人物であると言えよう。
鼻っから、言葉や文字では伝えられない『不立文字』と明言している『禅』を英語に翻訳するって・・・
その昔、インドから中国に仏教が渡った時も、その翻訳にどれほどエネルギーが要し、新しい言語が生まれたか。
その翻訳作業によって、大拙自身、禅境を深めたであろうし、『禅』から『Zen』になる過程で、あらためて
中国で生まれ、さらに日本で精錬した『禅』の深さを認識したのではないだろうか。
そこには、どうしても英語に訳したのでは表現できない心境に、苦悩したに違いない・・・。
日本においても、真剣に禅を知ろうとする者は『鈴木大拙』の本を必ず読むに違いなく、事実私のような者も彼の影響を受けて
人生を狂わせてしまった。そうしたオッチョコチョイが世界中至るところに今でもいることが面白い。
ただ、戦後世界に出て、禅を実践的に広めたのは、曹洞宗の禅で、鈴木大拙が著した臨済宗の『公案禅』ではなく、
道元禅師の『只管打坐』の禅で、悟りを追わない・・・禅であるから、曹洞系の人は『スズキ・大拙』を読む人は少ないかも知れない。
ローザンヌ禅道場も曹洞系で主催している2人は私の友人であるが、公案については話をしたことがない。
いずれにせよ、不立文字(文字や言葉で表せない)の禅を、英語の著書や講義、講演で96歳で死ぬまで、生きた禅人として存在していた
この人物のことを、我々は忘れてはならないと思う。
大拙は79歳のとき、再び渡米して9年間アメリカの大学で講義、講演活動をしたが、その時ニューヨークで出逢った当時16歳であった岡村美穂子氏が
大拙が96歳で死ぬまで、秘書として大拙の仕事と生活を助けた・・・。その彼女が撮った一枚である。