拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 成り切る・ガイド

2021年06月26日 | 還暦録

  今、私達は8月上旬の引越しに向けて少しずつ身の回り品を片付けているが、昨日相方がお菓子用のメタル箱を私の所に持って来た『これアナタのモノよ』。

  蓋を開けると、懐かしいガイド時代に頂いたお客様からの写真入り手紙が約30通ほど入っていた。

 

  ちょうど30年前、スイスに来てすぐ始めた仕事が『スイス観光ガイド』で、約10年ほどこの仕事をやったが、私にとってガイドという仕事は

  地元の言葉フランス語が出来ない、物の名前を圧倒的に知らない…という劣等感などがあり、正直『穴があったら入りたい・・・』ぐらいの気持ちで、

  自分史の中では早く忘れてしまいたい時期、さほど重要でなかった道草を喰った…ような時期であったと思っていた。

 

  これらの手紙を処分するかどうか?とりあえず一通一通読んでみることにした。

  ガイドであった私は、バス中ではマイクを持って色々な話をし、現地観光スポットにつけば説明したり、お客様の記念写真撮影をしたりするが

  その時に、『記念に一緒に写ってください・・・』と頼まれることがよくあり、そういった時の写真をお客様は数ヶ月後ぐらいに、よく送ってくださったのだ。

  頂いた手紙はほとんどが、『おかげさまで、本当に楽しい旅でした…』という書き出しで始まっていた・・・。

  全ての手紙を読み、写真に目を通してみて思ったのは、私はこの時期に実に沢山の日本人に出逢ったのだなぁ・・・という感想であった。

  スイスに来る直前まで、寺での禅修行と夜間のバイトに明け暮れていた私が、スイスに来て沢山の同胞の衆と交流していたなんて!

  写真には、私がガイドとして何かを説明している場面や、お客様と一緒にチーズフォンデュを食べている場面などがあって

  写真の中の私は、ガイドとしての劣等感などすっかり忘れているかのように、一生懸命説明し、共に楽しそうに笑って食事をしていた・・・のだ。

 

  そうしてみれば、いたずらに劣等感をもって『なきモノにする時期・・・』では案外なかったのでは…と、ちょっぴり反省。

  まあ、いずれにせよ『迷ガイド』であったことは間違いなく、しっかり自覚することにして、これらの手紙と写真は40歳代の私の生き様の証明として残すことにした。

  ガイドとしては『迷ガイド』であったが、禅修行で学んだ『成り切る』、その場その場でその役に成り切る…生き方はしていたように思う。

               

                    今となっては、場所も思い出せない『迷ガイド』