前回『台風の眼』を云々した落合陽一は、この番組『禅・マインドフルネスを考える』の冒頭で『Zenと禅』、『デジタルと禅』と書き出し
こういった問題提起した時、禅と現代人との関わりのようなものはどんなものになるのであろうか?
・・・という、その柔らかそうな頭脳から発せられた『問』が、私の乾いた頭脳を今も刺激し、気になっているのだ。
この『問いかけ』は多分、かなり重要な意味を持っているのだと思う。
だから、量子力学を専門とする研究者が仏教や禅に対して非常に興味を示す・・・というあたりへの話につながるのではないだろうか。
私自身は残念ながら『科学的素養』はゼロで、かと言って『漢文的素養』もゼロ、ほんのちょっと鈴木大拙の本を『読んだ』のと沢山の
『映画』を無消化のまま鑑賞しただけの『良くも悪くも』無教養人であるから、色々な方面の事柄を自分の直感で適当につなぎ合わせる
無教養人の『精神の自由』を担保にした、松岡正剛流にいう『編集工学』をあれこれ試考するのみ。
そういった視点からみると、自ら『デジタル・ネイチャー』に生きていると発言する、落合陽一の『問』は面白い以上のものがある。
『AI』や人型ロボットの『アンドロイド』などを進化させる時点で、人間の精神進化の頂点である『禅』への接近は『Zen』という形を取るだろう。
『摩訶般若波羅蜜多心経』(偉大な智慧の完成)というお経にある、この二つのキーワード『観自在菩薩』・『色即是空空即是色』
この一枚の写真・・・こそが、現代の『摩訶般若波羅蜜多心経』で、『Zenと禅』『デジタルと禅』の問に見事に答えているだろう。
『観自在』に色と空を調和させている図