拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  59歳の再就職

2015年02月14日 | 我が妻ニコル行状記
  ほぼ一年の失業期間を経て、今年1月から我が妻ニコルは新しい職場に就職した。

  失業保険を貰うのも楽じゃない・・・というより辛かったらしく去年の10月には貰うのをやめてしまっていた。

  どこの国の役所でも内部的には大きな矛盾を抱え、外に対しては非寛容性を発揮して支出を渋る・・・という役所仕事の現実を
  ニコルはこの6年間イヤと言うほど身近で体験したが、そばで一部始終を見聞きしていたボクも『現実はどこも甘くはない』という認識を以前から
  持っていたにしても、たまたまニコルが務めた役所の腐敗ぶりには呆れを通り越した。(スイスというと何でも美化する人がいるが)

  利益を追求する企業のようなストレスはないけれど、上司らの昇級への野望はその見苦しさを恥じることも、隠すこともなく職員等の前で繰り広げる
  不条理劇に馬鹿正直一遍のニコルにはついていけない世界だった。
  だいたい、約5年間の日本滞在後、ジュネーブで老舗であった日本食品店で15年間『看板娘?』として働いていたのが、店主が二代目の若旦那になった時点で
  辞職、そして再就職したのが、昔取った杵柄(秘書業)・・・しかし、コンピュータ時代になって昔とは隔世の感があったにもかかわらず務めた公務は上記の
  ような具合で5年後に再び辞職。
  去年の後期から産休中の代理秘書として半年務めた音楽教育関係の公務も上記と同様の有り様で、このまま勤務する選択もあったが、ボクも彼女自身の意見も
  『やめておこう』で一致していたので、今年1月から勤務する事になった小さな小児科(先生は2名)の受付兼補助の採用通知が来た時は嬉しかった。

  彼女独特の『ニコル風・履歴書』はこの半年で2回、難関を突破して最終選考まで残った傑作であったが、2回とも最後の最後で選択漏れで気落ちしていた  
  所、数ヶ月にその内の一つの小児科の先生から電話があり、若い前任者が根気がなく他のスタッフと巧くいかずにやめてしまったので『どうか?』との連絡。

  早、一ヶ月が過ぎ他のスタッフともウマが合うようで、50%の仕事(つまり週に2日半の勤務)、これまでと全く違った職種に張り切って通っていた。
  それが2日前、4月から60%の勤務を依頼されたとのことで、僕等はよろこんだ。

  59歳・・・といっても今年の9月で60歳になる我が妻ニコル。子供の気持ちを無くさない・・・とうより子供そのものの彼女が子供の世話をするというのが   
  面白い。今日はバレンタインデーだけど、ヨーロッパ風には男が女に花とか何とかプレゼントする日(チョコレートではない)であるが、2日前ぐらいから
  風邪で弱って寝込んでいるのでレストランにも行けそうもない。まァ、足でも揉んでやるか。

              
              最近ネコを飼う?という話がでているが、迷い中。(これは友人宅の黒猫と戯れるニコル図)

  
  


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