拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  相方ニコルと禅修行

2023年11月09日 | 我が妻ニコル行状記

  私の相方ニコルは私と一緒に5年間、日本は東京、目黒〜品川周辺に住みました。

  彼女の日本滞在5年間・・・というのは、恐らく他の外国人であればなかなか体験することのない、至極東洋的な側面の強い滞在であったろうと思います。

 

  私達はスイスで出会いましたが、私が日本でもう一度本格的に禅修行をするために帰国することにすると相方も一大決心をして、

  私を追う形で数ヶ月遅れで日本にやってきたのです・・・。

  目黒の六畳一間トイレ・キッチン付き…という陽の当たらない安アパートの一階でしたが、隣が気のいいラーメン屋と果物屋さんで

  私達も若かった・・・ということで、何の不満もなく一年ほどそこに住んでいました。(後に西小山駅付近に引越し)

  数ヶ月後に、ニコルはフランス語先生の職を見つけ、私もクレジットカード関係の夜間職を見つけました。

 

  相方が来日する以前に私の居士林土日坐禅会と円覚寺僧堂の接心を中心にした修行が始まっていたので、

   自然、相方ニコルも私と一緒に土日坐禅会に参加することになりました。

  しかし今思うと、全く禅修行について何も知らないヨーロッパ人の相方を、いきなり厳しい居士林の坐禅会に連れて行ったのは・・・(と今頃反省・😅)

  私が直日(じきじつ)というリーダー役をしていた時、ちょうど真向かいで坐禅していた相方が、足痛の為か?後ろに倒れ、先輩等が心配して

  彼女の面倒をみてくれました。私はそれまで、坐禅で倒れる人間を見たことがなかったので、『上手く(苦痛から)逃げたなぁ…』・・・と思ったものですが

  彼女の身になって思えば相当キツかったに違いありません・・・。(当時はわかってあげられませんでした)

             

 

  それまでの彼女のスイスでの生活からは、想像を絶する禅修行やら、六畳一間で風呂は銭湯・・・という生活はいかばかりであったでしょうか。

  しかし、ニコルはそういった生活を十分楽しんでいるようでしたので、私はあまり彼女の事を心配しない・・・というか、

  その落差について、彼女の身になって考える余裕が当時はありませんでした。

 

  最近時折、当時の思い出話をしますが、居士林での坐禅だけは相当キツく、夜もよく眠れなかったそうです。

  それでも、物凄く厳しいかったけれどニコルにも強いインパックトを与えた雲頂庵和尚の思い出や、円覚寺の年一度の『風入れ』という宝物展示のときに

  下足番や坐禅の姿で見張り番のお手伝い、居士林でのささやかな忘年会、坐禅会後、二人で境内の茶屋でお茶と団子を食べた楽しい思い出なども沢山できました。

            

  相方ニコルは滞在中、外国人登録に保証人が必要で、それは私の鍼灸の師、観風先生になっていただき、鍼治療や夕餉を頂き実にいろいろお世話になりました。

  ニコルは後に、別な和尚さんが主催する坐禅会に参加するようになり、そちらは坐禅会後お茶会があったり、皆んなでハイキングなどを催す和気あいあいとした

  活動を通して日本人の親友もできました。 

  その間、二人で太極拳を2年間ほど学び、体調が悪いときは互いにお灸をすえて治癒したりしていたので、今思うと、全般的に東洋的な生活でした。

 

  滞在5年後、私のわがままでスイスに再び来たわけですが、相方にとっては当時日本を離れることは相当辛かったようです。

  彼女にとって、日本での坐禅の経験はどんなものであったのでしょうか・・・。

  


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