記事の収集・展示への協力依頼
須坂市では、新聞・雑誌などに大きく須坂市が紹介された場合に、市の公共施設などに記事を掲載しています。
また、市民の皆様にもご自身のお店、ご自宅などでの掲示をお願います。
さらに。ご自宅でお読みなられた当該記事を、市で活用させていただきたいと考えておりますので、市役所、中央公民館、地域公民館等にお持ち頂ければと考えております。(著作権の関係でコピーをすることができません。頂戴しました新聞は関心の高い観光客などのお客様に差し上げます。)
今回、お願いしますのは、次の記事です。
●信濃毎日新聞平成24年2月17日13面 「名匠列伝 現代日本陶芸を築いた作家たち 異国情緒の高級陶磁器 須坂吉向焼」
田中本家博物館所蔵の「須坂吉向焼」が写真で紹介
(以下 抜粋)
北信の須坂に「奇跡の花」のように咲いた「須坂吉向焼(きっこうやき)」について語る前に、触れておきたいことがある。
それは、1854(嘉永7)年の序文がある「扶桑(ふそう)名画伝」という全53巻の画家伝記集である。1800人を超す画家の事典で、今でも研究者の間では引用されている。この大部の書の草稿を作り、専門家を動員して出版させたのが、須坂藩11代藩主の堀直格(なおただ)であった。江戸時代には学問に秀でた藩主は多数いたが、美術事典を作った殿様はほかにいない。江戸時代後期の須坂は、そういう殿様のいた藩であった。
直格は、当時最先端の窯業技術による最高級の染付(そめつけ)磁器や色絵軟質陶器を領内で焼かせ、世にいう「須坂吉向焼」を突然のように出現させた。
どんなにすぐれた陶工を招聘(しょうへい)しても、窯の構築、陶土や釉薬(ゆうやく)の入手と調合、大量な燃料の確保など、窯業独自の組織的で大規模なサポート体制がなければ、新規陶磁器の成功はおぼつかない。須坂は藩を挙げて、吉向治兵衛らを支え、この奇跡を成し遂げたのである。
(たけうち・じゅんいち工芸史家、松本市美術館館長)
以上、ご協力をよろしくお願いします。
(参考)
須坂市の将来像
『「一人ひとりが輝き、磨かれた「ほんもの」の魅力あふれるまち 須坂』」