寺田寅彦「災害は忘れたころにやってくる」。正当にこわがることはなかなかむつかしい。
「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。」
事実から学び、事実に基づき判断し、行動する。事実、現実を、時には、痛みを受忍する。すべてがうまくいくと考えずに、何かを求めるときには犠牲も必要。現状維持は、衰退に通じる。不易流行、温故知新。
http://blog.livedoor.jp/semisigure2011/archives/2761968.html
から
今日(2011年03月24日)の朝のニュースで、物理学者寺田寅彦氏の言葉を紹介していた。寺田氏は、漱石のサロンに参加し、小説の登場人物のモデルとなったことや、「天災は忘れたころにやってくる」という名言を残した人としても有名である。
さて、その言葉であるが、
「物事を必要以上に恐れたり、全く恐れを抱いたりしないことはたやすいが、物事を正しく恐れることは難しい。」
というものであった。
この言葉にはっとさせられ、この述べ方は確かに寺田寅彦っぽいが、出典はどこかを調べても一向に出てこない。少しうさんくさくなってきた。誰かが彼の文を解釈してまとめたひと言を引用してから広まったのだろうか、、、と思い始めたが、やはり彼の言葉のような気がして仕方がないので、別の可能性にあたった。
言葉がいくらか違うのではと思い、検索キーワードを工夫した。誤って伝わりづらい語句を考えた。そうしているうちに「正当に怖がる…」という文がひっかかり、それで検索するとたくさん出てきた。これが正しかったのだ。『今週の防災格言』というページに出典が載っていた。『小爆発二件』という随筆の中である。正しくは以下のとおりである。
「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。」
ネットで流れているものとはいくぶん違ってきこえる。特に「なかなか」というところは、ただ「難しい」というよりも謙虚さや粘り強く正確に述べようという態度がうかがえる。
やはり、その人がどこでどういう文脈で発した言葉なのかが最も大切に思う。原典を知っていても知らなくても言葉の意味は通じるが、その過程で、本当の言葉遣いや真意がわかりやすくなり、他の災害に関する非常に優れた―新しい知識というのではなく、知識に対する態度や距離感をわからせてくれる―文章に出会うことができた。『青空文庫』にたくさんあるので、是非ご一読を。震災に関するニュースや記事を読むための基本的な考え方や姿勢が身につくと思います。むしろ、専門家や政府、代表に読んでほしいです。
少し内容がこんがらがりましたが、言葉の内容とともに、その言葉の本当にどこから発せられたのかを、すべてとは言わなくても、これはというものだけはしつこく調べ、確かめることは費やす時間以上に得るものが多く、失われることはなく、応用が利くのではないだろうか。
※蛇足ですが、「さよならだけが人生だ」、「僕の前に道はない僕の後 ろに道は出来る」、「雨にも負けず、風にも負けず」なども、原典にあたるとこれらの言葉だけよりも真意がよくわかる
(引用終わり)