20代から30代にかけて、新聞の朝刊記事をよく読んでいた。面白い記事に出会うと切り抜いてスクラップにしていたが、もう30年くらい前のものが出てきて読み入ってしまった。
黄ばんだスクラップ記事には思わぬ発見もある。将棋や囲碁のタイトル観戦記が沢山残されていた。そういえば、将棋や囲碁の番記者が書く観戦記は凄く面白かった。
短い字数の中に番勝負の内容だけでなく、人間模様とか棋士の人柄に触れる部分もあって読み物としてとても優れた文章で感銘を受けたものだ。
昔は一般読者からの投書が毎日たくさん掲載されたコーナーがあって、時々妙に感心する投書に出会えた。1988年、1月17日の某新聞に次のような投書があった。
「生きる」意味をいま考えよう
埼玉県 学生19歳
(前略)去年の10月、一人で中国に旅行に出かけた。それまでの大学生活に失敗を感じ、思い切って日本を飛び出したのである。周りの人から「無謀だ」とか「考えが甘い」なんて言われながら。
しかし、その旅行で出会った人たちから得たものは大きかった。「人間、どうにでも生きていける。もっと自分のやりたいことをやろう。生きたいように生きよう」。そう考えるようになった。
「生き方」は自分で見つけるものだ。用意されたレールには乗らない。こういう「生き方」はつらく厳しいものになるかもしれない。でも、たった一度の人生なのだから、「渇いたノドに冷たい水がしみこむような生きる手ごたえ」を感じてみたいと思う。
この人が中国を旅したのは、自分を見つめるため、自分の可能性を探して掘り出すためだったのだろう。自分の部屋で沈思黙考していても、それはわからない。自分のうちに埋もれている心の琴線に触れることは、経験や体験を重ねることによってしか見つからぬこともあるだろう。
30年過ぎても、この若者の決断や決意は素晴らしいと思う。渇いたノドに冷たい水がしみこむような生きる手ごたえか、生きがいを渇望するいい表現だ。
歳を取ると渇いたノドになりにくい面があるが、生きる意味は若い時よりリアルに見えてくるのではないかと感じる。生きてる限り生きがいは大事な要素だと思う。急がないでじっくりと噛み締めて歩もう。
こんばんは🌃
コメント失礼いたします。
今日も素敵なタイトルだな〜と
ワクワクしながら拝読いたしました✨
期待を裏切らない
とてもいい記事をありがとうございます😊
19歳の若者が(歳がわかってしまいますね(笑)) 「渇いたノドに冷たい水がしみこむような生きる手ごたえ」
という素晴らしい表現をすることに驚きました✨
思わず手帳にメモりましたよ〜(笑)
私もそんな生き方をしてみたいと思いました。
心に響く記事をありがとうございました😊
この若者は今や還暦過ぎた頃でしょうか、どういう人生送ったか聞いてみたい気もします。でもきっと19でこんな決意をしてるのでしょうから独立したいい人生送っているのでしょうね。
どんなふうに生きたいか、考えたり行動する熱量が年齢とともに落ちてきていることに気づかされました。
ノドの渇きは大事ですよね。何を飲みたいか、ワクワクして見つけましょう。