インドネシアからのブロガーさんが
住まれてる土地の夕暮れだろうかアップされてて
ふと夕暮れについて書きたくなった。
梅雨入りする前の江戸川河川敷の夕暮れである。
ウォーキングしててこの辺の景色は時々写真を
撮りたくなる。
凄く古い話でごめんなさい。
私が中学2年のとき、3人グループのNSPという
フォークソングバンドが
『夕暮れ時はさみしそう』という曲で
プチブレイクした。
たまたま部活帰りに寄った名鉄百貨店で
NSPの生演奏と歌声&オカリナを聴いて
いたく感動した。
洋楽ではクイーンが初来日し
世界ではハードロックが幕開けした時代。
日本では吉田拓郎と井上陽水のフォークソング
真っ盛りである。
しかし、天野滋というか細くて暗すぎる
悲しすぎる歌詞とメロディに何故だか
密かに傾倒していた。
天野滋はうまくいかない恋心や
一人ではさみしすぎる気持ちを
誰かに寄り添ってほしいかすかな希望で
運命や世相に逆らわないで
でも僕は僕でありたいみたいな
押し付けない弱々しい感性で歌を表現していた。
人には青春時代だから熱中した
苦い思い出があるものだ。
視野が狭いから物事を知らないからこそ
熱中したり大胆な事ができる。
人は世に連れ歌に連れという名曲がある。
NSPの曲をいつぶりだろう?
YouTubeで聴けるのかな。
恥ずかしい青春時代にほんのちょっとだけ
戻ってみよう。
夕暮れはどこか人生の終盤を感じさせて
くれるようになった。
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