睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

イオンのフードコートで見かけた母子とぼくの後悔

2019-09-01 19:33:02 | ひびつれづれ



ベランダのガラスドアに反転して映る朝焼け、
イオンの母子を朝からずっと思いだしていた。

映像で記憶するからいつもなら洋服や髪型まで詳細に
憶えているのに、あの母子に関しては印象的な目しか
浮かんでこない。

母親の上目遣いの世間を敵視しているような目と
子供の物欲しげな目だけ憶えている。

母子はぼくの斜め右前に座っていた。
母親は猫背ぎみに顔をドンブリに近づけて
うどんをすすっている。

左横に座るまだ未就学と思われる子が持つ鉢に
数本のうどんをいれるを2度繰り返した。

子供はうどんを食べると母親をじっと見る。
物欲しげな目をしてじっと見ている。

ぼくは天ぷらを食べるのをやめて
引き込まれるように見つめていた。

なぜ子供は母親にうどんをせがまないのか、
いつ母親が子供の視線に気が付くのか、
心配でたまらない。

満腹になった母は子供の鉢に残ったうどん
数本と丼を傾けて汁を入れた。

子供は少しづつうどんを食べ、
ひと口づつ汁を飲む。

テーブルにこぼした汁を子供がスモックの
袖口で拭くのを見て、
スマホに夢中な母親に腹が立った。

母親は少しいらだちながらあたりを見回した
そのとき、ぼくと目が合った。
ぼくは怒りを宿した目で母親を睨みつけたと思う。

母親はすぐに目をそむけ、まだ汁があるはずの
鉢を子供から取り上げ、子供の背を押しながら
慌ただしく席を立った。
一連の動作に愛情は感じられなかった。

丼が乗った膳をテーブルに置きっぱなしに
するほど母親が狼狽したのは、
何か後ろめたいことがあるのかも思った。


ぼくは苦かった。
あの子が汁を全部飲めなかったのはぼくのせいだ。
「眺める、見つめない」のセオリーを逸脱したことを
マジで悔やんだ。

ぼくたち夫婦には子供がいないせいか、
よそ様の子でも幼少期の子は文句なしに可愛い。
両親や祖父母に愛されている子供はよく笑い、
天真爛漫に遊ぶ。

その子供が親に愛されていないと分かると、
不憫さにたまらず怒りが湧く。

生活苦にあえぐ環境でも母親は自分が食べなくても
子供には食べさせる、それが普通だと思っていた。

自分のことを書くとお涙頂戴になるから書かないけど、
母は強しは本当のこと。
あの母親も早く母性に目覚め子供を慈しんでほしい。
余計なお世話だけどさ。




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