亮のブログ

もと電電公社退職退職の老人です。スポーツ、社会問題など気のむいた記事を自由に載せます。

高橋尚子と宮里藍

2008-02-18 13:32:41 | Weblog
 昨日の東京マラソンは、全てにおいて大掛かりであった。トイレの設置数にしても、バナナの提供にしても、6時間余も都内の中枢を通行止めにしたことも、その他ボランティアの人数にしても、大変なマラソン行事であった。 その中で、新星と言える藤原新が、2位の2時間8分40秒で走ったのは収穫であった。無論、日本選手としてはトップであった。この記録で一躍、北京五輪への候補者として注目された。

 五輪の選手と言えば、私はどうしても高橋尚子を重視したい。もう一人、女子ゴルフ界の宮里藍も忘れられない存在である。何故ならば、二人ともそれぞれの分野における草分け的存在であるからだ。女子マラソンでは、高橋尚子が五輪で初めて優勝したのがきっかけで、その後、野口みずきが、また、オリンピックで優勝する快挙となったのである。この意味で、女子マラソンの名古屋大会には、是非とも高橋尚子に素晴らしいタイムで優勝して欲しいものである。

 もう一人、女子ゴルフ界で、矢張り草分け的存在となった宮里藍が居る。今日の女子ゴルフ界の隆盛は、ひとえに宮里藍の活躍に負うところが大である。その後、
横峯さくら、上田桃子などが台頭して来たが、その源泉となったのは、宮里藍の一世を風靡した活躍であった。
 この意味で宮里藍の復活を願っているが、現在ドライバーショットに若干のブレがあるようで低迷している。

 いずれにせよ、私はこの二人の早期復活を心から祈っている。高橋尚子、宮里藍
頑張れ・・・・
                              以 上

バレンタインとスポーツ雑感

2008-02-17 10:27:27 | Weblog
 バレンタインで今年も孫娘にチョコレートを貰った。二段式の重箱のような立派な塗りの器の中にチョコが入っていた。デジカメで撮ってこのブログに載せようとしたが、上手く出来なかったのが残念です。 毎年のことながら、このチョコのお返しには何倍かの出費となるが、それでも嬉しいものである。

 さて、スポーツのことに触れます。フィギュアー・スケートでは浅田真央ちゃんが、圧倒的な大差で優勝したが、200点台は出せなかった。しかし、何と言っても真央ちゃんの優雅なスケートは、見せてもらうだけで夢心地の世界に引き込まれる。長身の見事なスタイルが、氷上を舞うのは素晴らしい圧巻である。トリプルアクセルも完璧にこなして、強敵手の金妍児 (キムヨナ)と競り合う舞台が見たいものである。

 次に女子ゴルフの上田桃子が、アメリカンツアーの大会で、首位のアニカ・ソレンスタムと1打差につけており、最終組で優勝を争う展開を見せている。上田桃子は他の大会でも、負けると無念さを表情に浮かべ残念がるが、この性格が彼女の今日を築き上げたと言える。

 もう一人の天才ゴルファーである宮里藍は、今回は残念ながら予選落ちした。藍ちゃんは桃子とは逆に、失敗しても次のゲームに、それを役立てたいという姿勢のコメントを発表する。上田と比較して全く逆の性格である。
 しかし、何といっても、女子ゴルフが今日の盛況を見たのは、天才児である宮里藍の活躍のお蔭である。この意味で私は、宮里藍の復活を心から祈っている。
 
                              以 上

時津風親方の傷害致死容疑

2008-02-16 11:28:46 | Weblog


 昨年9月、時津風部屋でリンチのような状況で死亡させられた、序の口力士時太山こと斉藤俊さんの事件は、角界を揺るがす大事件となった。
 この事件について、理事長の北の海親方は「今まで例のないことで、誠に遺憾である」との趣旨の発言をしていた。
 この発言について、私は、それこそ遺憾な気持ちを抱いた。本来なら「遺憾である」のみでなく、再発防止策を至急検討する。との趣旨を述べて欲しかった。それを「遺憾である」で何もしないのは、無策も甚だしい。
 こんな指導者が理事長をしているようでは、日本相撲界の発展は望めそうもない。

橋下知事に関すること

2008-02-13 11:28:58 | Weblog
   
 橋下知事の発言
                                                                       
 大阪府の知事になった橋下氏は、テレビで次のような趣旨を職員に話していた。「大阪府は財政赤字で大変である。故に諸君達の給料も減額される場合もあり得る」と、この発言の内容は、全く民主主義を否定したものである。 また、このニュースを報じていた「みのもんた」は他人のことと思っていたのだろう。同調する姿勢を見せていた。
  
  誰にしても現在得ている収入で生計を営んでいる。それが、ある日突然減額されたら忽ち生計が狂ってくる。例えば、みのもんた氏の月収が何億円あると仮定して、ある日、その収入が突然100万円に減らされたとしよう。月収100万円は一般のサラリーマンに比較すれば高額であるから、普通の国民にしては有り難い話である。
 
  しかし、みの氏は、有名なスポーツマンに焼肉を振舞ったりしているので、100万円ではそうした生活を改める必要が生じる。こうなると、みの氏は、こんな現象は容認できないと、異議を唱える だろう。「役人は国民の税金で生活しているから、減額されても仕方が無い」という理論は民主主義の否定である。
 
  役人は役人で、現在の収入で、それなりの生活を営んでいるのである。年金生活者にしても、現在の国民年金は低額であるが、80才代の方は昔の計算で受給しているので、かなり高額の年金を貰っている。それが、「昔の計算は高額だから、現在の計算で弾き直して減額する」となったら、異議を述べるに相違ない。
 
 つまり、過去に得た権利は守られるというシステムが民主主義の根幹の思想である。このことを勘違いして、他人のことと思い傍観しているのは大きな間違いである。  
                             以 上

ガンセンターでの体験

2008-02-04 13:50:19 | Weblog
       ガンセンター病院での体験 №4

私が収容されたのは、ガンセンター病院の5階の東病棟502号室の四人部屋であるが、廊下側の私の前の部屋は、初老の紳士(以下「紳士という」)であった。私の後方の窓際には、ヒリピンのオワフ島でマンゴーやドリアンなどを栽培している中年の方であった。(以下「ヒリピン氏」という)、 もう一人の最も私から遠い窓際の患者は、壮年の男で(以下「壮年」という)この方は、口数が少なかったので、紳士やヒリピン氏などのようには知り合えなかった。

 話しによると、紳士はアジアの密林の多い地域で木を買い占める仕事をしていたという。買い占めた木は日本に送られ、割り箸などに加工された。ヒリピン氏は日本に家族がおり孫もいるが、平素はヒリピンでマンゴーの栽培などをしているので、現地に3階建て立派な家を建て、その二階には地域の市長一家を住まわせている豪勢な生活であったようだ。

 面白いのはヒリピン氏の生活で、現地のマンゴー畑などを管理するため、信頼のおける部下が必要であったので、23才の若い女性を内縁の妻とし、現地での日常を過ごしていたが、ヒリピン氏が浮気でもすれば、23才の現地妻は絶対に許すことなく、「あんたのチンチンを切り落とすよ」と宣言しており、事実そのような場合は容赦なく実行する気構えであった。

 そんな訳でヒリピン氏は、その点では品行方正な生活を送っていたようである。孫に近い若い女性に恵まれた替わりに、そうした代償を払っていたのである。もう一人の壮年の患者は、我々3人の病状のような喉や胸部のガンではなく、顔面がガンに犯されていた。そのために気の毒なほど顔面が腫れ上がり、切除した顔面に自身の腿の肉を切り取り貼り付けたとのことで、腿に肉を切り取られた跡が鮮明に残っていると言う。

 私の病室の4名のアウトラインは以上のようであった。

高橋尚子のマラソンに期待する。

2008-02-03 15:40:40 | Weblog
      高橋尚子に期待する

 いよいよ北京五輪が近づいて来た。私は女子マラソンについては高橋尚子の復活に期待している。日本女子のマラソンの成績では、高橋尚子と野口みずきの両名が、オリンピックで優勝し金メダルに輝いているし、タイムにしても、高橋は2001年ベルリンマラソンでは2時間19分46秒、野口は2005年に2時間19分12秒という素晴らしいタイムを叩きだしている。

 従って、この両名が北京五輪で活躍することを期待したい。五輪代表に確定している土佐礼子の粘り強い力走は素晴らしいが、ラドクリフなどの世界の強豪を相手にするには、残念ながら荷が勝ちすぎる。土佐礼子や弘山晴美の場合は上位には入るかも知れないが、五輪での優勝は無理な注文である。

 この意味で、私は高橋と野口の力走に期待を抱き最大の関心を払っている。野口みずきは多分代表選手に確定していると思うが、高橋尚子は来る名古屋国際女子マラソンで、優勝しタイムもかなりの記録でないと、代表選手に選ばれぬだろう。

 来る3月中頃の名古屋国際女子マラソンでの高橋尚子の快走を切に願っている。

 

愛知ガンセンターでの体験 №1

2008-02-02 10:32:47 | Weblog
1月9日、愛知ガンセンター病院を完治という診断で退院したが、この私に付き添ってくれた若い看護学院の生徒のことが忘れられない。私にマン・ツウ・マンで付き添ってくれた女性は24才の才媛であったが、全く才媛というに相応しい頭の切れる女性であった。
 毎朝、9時半頃になると、彼女は4人部屋の私の病室へきて、脈をとったり、血圧を測ったり、体温や食事の量まで調査して、私の体調の管理に努めてくれた。
 また、時には世間話しに興じることもあったが、私のベットのカーテンを閉め切って小声で話しに興じたものである。
 世間話では、主として私がイニシアチーブを握った。24才の彼女より80才の人生を生きながらえてきた私の方が主導権を握るのは自然のなりゆきであった。私は与謝野晶子の短歌や晶子より才能があったと評される山川登美子の短歌などを紹介して、挙句の果ては彼女に短歌や詩を作ることを強要した。彼女は素晴らしい才媛であったから、時には自作の短歌などを私の披露した。その作品について、私は批評を加えながら、山川登美子の次のような、おどろおどろしい作品を紹介したりした。
    落としませ億劫(おくごう)寒き幽界(よみ)の底
          その偽りの恋を守らん

また、与謝野晶子の短歌や、石川啄木の短歌などを紹介して短歌や詩を作ることを勧めたものである。時には、彼女の朋輩もやってきて、二人が熱心に私の話しに耳を傾けるのであった。私は彼女より2才年下の朋輩の看護学院生の短歌の才能を高く評価していたので、朋輩の作品を批評したりして楽しんだものて゛ある。

愛知ガンセンターでの体験 №3

2008-02-02 10:25:24 | Weblog
愛知ガンセンター病院での体験 №3

これらの短歌は、私が若い青年期に作った多くの作品の中のもので、自分でも自信のある出来栄えのものであった。私はそれらの一首ごとに状況と感想を加えて、今日子さんと美穂子さんに説明した。彼女達は感心したように私の解説に聞き入っていた。
 そのほか、私は石川啄木の短歌などを紹介して解説した。例えば、
 
   ● 庭の外を白き犬行けり振り向きて、犬を飼わむと妻に図れる
    
   ● 何事も、金(かね)、金(かね)、と笑い少しして、またも俄かに不平募(つのり)く


 といったような、短歌である。啄木は庭の外を通って行く犬を見て、犬を飼うような気持ちはサラサラないが、そんなつまらぬ出来事を妻との話題にせねばならぬ暇な身分、つまり、職もなく収入もない現状をあざ笑うような心境で短歌にしたのである。

 二首目は、収入を得られぬ無力な自身の不平を憤った作品である。このように日常の当たり前のことが短歌に出来ることを彼女達に説明した。

 また、難解な短歌も披露した。例えば、明星派の山川登美子の短歌である、

   ● 思いいずな、恨みに死なむ鞭のあと、秘めよと袖の女に長き

 というものであるが、師の与謝野鉄幹の解説によれば、「思い出せば恨み死にするほど腹立たしい。他人から受けた侮蔑の痛みを持っている。それを思い出さずに秘めて忍ばねばならぬというのが、女の運命なのか」

 と言った意味を説明したこともあった。二人は神妙に私の解説に聞き入っていた。

愛知ガンセンター病院での体験 №2

2008-02-02 10:07:44 | Weblog
     ガンセンターでの体験 №2

愛知ガンセンター病院は一口に言うと、非常に格式の高い病院であった。この病院へ転院するまで、私は地元の鈴鹿中央病院でお世話になっていたが、鈴鹿の病院で抗癌剤の治療を受けていた時、愛知ガンセンターから「部屋が空いたので、明日入院するように」との連絡を受けた。

 鈴鹿の病院の先生は「患者は現在抗癌剤の治療中なので、点滴の針を腕に刺したままお宅へ行きましょうか....」と訊ねたところ「入院患者は沢山いるので、そんな無理をしなくてもよい」と簡単に断られた。

 次に入院できるようになるのは何時か分からないが、主導権はガンセンター病院側にあるので、鈴鹿の先生は何も言えず引き下がるしかなかった。「えらく格式が高いので、相談にも乗って貰えなかった」と鈴鹿の先生はこぼしていた。

 そんな訳で私がガンセンター病院へ入院できたのは、その後、半月ばかり後となった。ガンセンター病院は医師のみでなく、看護師も他の従業員も同じようにプライドの高い方々が多く、患者である私の意見などは殆ど無視された。

 そんな中で、私が存在感を発揮できるのは、マン・ツー・マンで私の専属として付き添ってくれた看護学院の生徒だけであった。若干22才の若いこの女性は、体温や脈拍を測ったり血圧を測定するなどの本来の業務は、この病院の職員同様厳格であったが、それ以外の単なる世間話の時間になると、私の方が主導権を握った。

 私は、今日子さんというその看護学生に、得意の文学の分野の話しをして煙にまいたものである。例えば、与謝野晶子の次のような短歌を聞かせ、解説したり感想を述べさせたりした。


  ああ、五月(さっき)フランスの野は火と燃える、
               君もコクリコ、我もコクリコ

 この場合、君とは夫の与謝野鉄幹のことで、コクリコとは日本の「ひなげし」の花のことであるが、このような芸術的な作品を作るように、今日子さんに強要したのである。有名な立花隆の言っていたように、「現代の大学生は、自分の専門分野には強いが、他の分野となると誠にお粗末である」と言ったような話をして感想を求めたりした。

 今日子さんは、「私一人が聞くのは勿体無いから」といって、朋輩の看護学生である美穂子さんという女性を度々四人部屋の私の病室に連れてきたので、私達3人はこうした世間話を通じて一挙に親しくなった。私は二人が作ってくる短歌を批評したり直したりしながら、病院生活を楽しんだものである。

 もっとも四人部屋の私の病床は、周囲をカーテンで密閉してあるので、臨床の方々の邪魔にならないよう、小声で語りあったのであるが、興にのると声が大きくなり迷惑をかけたことと思う。
 しかし、彼女達もなかなか利発な女性だったので、私にやられっぱなしではなかった。ある日、
美穂子さんが私に言った。「貴方の作品も披露して欲しい」と、それに今日子さんも同調した。

 そこで、私も次のような自分の作品を発表して、感想を求めたものである。

  ● 共になら裸になって泳がむと、言いし紘子の心しれども

  ● 霧に荒む東尋坊は岩肌を、白き牙咬む越前の冬

  ● 幾世紀の魂(たま)の悲しみ凍てし如く、霰(あられ)降るなり越前の海


                         -以下次号ー