バイクは125CCが一番

維持費も安くて取り回しもよく、パワーもそこそこある。バイクは125CCが一番!

EN125-2Aで市内日帰り温泉

2009年09月26日 | EN125-2A
皆様こんばんは。シルバーウィークいかがお過ごしでしたか?私は前半は高速1000円乗り放題に目が眩んで車中泊の旅へと出掛けていました。最近は好天続きで気温もこの時期にしては高く,絶好のバイク日和なんですが何となく長旅の疲れで遠出する気が起きません。で,その疲れを癒すため市内にある日帰り温泉へ行ってきました。

長野市の南西方向に松代町という地籍があります。千曲川を渡って松代町へ入ります。右折して細道に入ってすぐ山際の小道を登っていくと温泉があります。

大室温泉まきばの湯です。私のいきつけ?の温泉で長野市に引っ越してきてから幾度となく通ってます。

さて,500円を払って中に入ると地元で取れた野菜類などの直売所や食堂などがあります。看板を見ると一応源泉かけ流しと記載されています。長野県では数年前に温泉偽装問題で大揺れしました。白濁の湯を銘打っておきながら実際は無色の温泉に着色していたり,循環式なのに源泉かけ流しと表記していたり,ひどいところでは水道水を温泉と偽って営業していたりと観光立県信州の信頼を大きく揺るがす事件でした。

それ以降,県内の温泉業界も信頼回復のために表示基準を厳格にしたようなのですが,私的には温泉に入るということは気分の問題だと思っています。循環式の温泉施設で清掃を怠っていたためレジオネラ菌が大発生し,入浴客が肺炎等にかかったニュースを以前はよく耳にしましたが,そのような衛生面での心配さえなければ私はあまり細かいことは気にしません。

さて,能書きはこれくらいにしてまきばの湯に話を戻しますが,ここは非常にのどかで静かな場所にあります。付設の露天風呂から見下ろす松代の集落を臨みながらのんびりと疲れを癒せる最高の場所です。
のんびりつかって心身ともにリフレッシュしたら風呂上りに休憩室で一服です。

昼日中,こうやってのんびり過ごせるのはある意味幸せなのかもしれません。
ここでのんびりしているとそのまま寝入ってしまいそうなのでそろそろ出発します。

駐車場から長野市街地を望みます。このまま帰路につこうかと思いましたが,近くに大室古墳群なるものの案内板を見つけましたので,面白そうなので行ってみることに。

案内標識に従って進むとまもなく山際に古墳らしきものが見えてきました。最初に印象的な古墳が見えてきたので激写

将軍塚というらしいです。石積みされていますが多分周囲の盛り土がはがれ落ちたのでしょう。しばらく登って行くと再び現れたので激写

246号と看板にありますが,そんなに古墳が点在しているのでしょうか?更に登り道と進むと大室古墳館という建物があり中に入ってみましたが,どうやからこの付近の山の傾斜地から谷筋にかけて数百の古墳が発見されたらしいです。ちょうどこの辺りは長野盆地がきれいに見下ろす場所です。時の支配者が死後もこの地の支配をゆるぎないものにするためにこの場所を選んだのでしょうか?小学校時代古墳クラブに属していただけに身近にこんな歴史ロマンあふれる場所があるなんて今日は新発見の一日でした。(走行距離26km)


125CCバイクが自動車免許で乗れる?

2009年09月18日 | その他

「車免許で二輪125ccまで」 ホンダなど、免許制度変更を要請へ
 ホンダやヤマハ発動機など大手二輪車メーカーは二輪車免許制度の変更を国に要請する。四輪車の中型免許を取得した際に排気量125ccクラスの「原付き二種」クラスの二輪車まで乗ることが可能になるよう、年内にも警察庁や国土交通省など所轄官庁への打診を始める。国内の二輪車販売は最盛期の8分の1以下の水準まで落ち込んでおり、制度変更をテコに需要を掘り起こす。
 現在の免許制度では、四輪免許を取得すれば、排気量50cc以下のバイクに乗ることができる。ただ、同排気量帯の「原付き一種」は時速30キロメートルの法定速度や大きな交差点での2段階右折など、交通上の不便が多い。また、海外にはない国内独自の規格で、メーカー側にとっても開発や生産コストがかさんでいる。
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090915AT1D140B414092009.html(日経ネット)

最近こんなニュースを見かけました。どうやらバイク市場の低迷化で悲鳴を上げた二輪メーカーが小型二輪免許を自動車免許に付与するよう国に要請する動きを見せ始めたようです。

なお,別のニュースでは

二輪車:125CCクラスの免許取得で規制緩和を要望
 国内二輪車メーカー大手4社などで構成する日本自動車工業会二輪車特別委員会(委員長・戸上常司ヤマハ発動機会長)は16日、排気量125CCクラスの二輪車について、免許取得に必要な技能講習の時間数を短縮するよう警察庁に要望したと発表した。同委員会は、欧州各国で自動車の普通免許を取れば自動的に125CCクラスの二輪車免許が付いてくる例も挙げ、「日本でも1~2日の技能講習で免許取得できるよう規制緩和を求めたい」としている。
 現在、排気量125CCクラスの二輪免許取得には12時間の技能教習受講が必要。自動車教習所では受講に最短でも6日かかるため、普及の妨げになっているとの指摘がある。戸上委員長は「燃費の良い125CCクラスの二輪車は都市部などで潜在的な需要が大きい。普及すれば、渋滞緩和にもつながる」と規制緩和の必要性を強調した。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090917k0000m020032000c.html(毎日新聞)

などと単純に自動車免許に付与するのではなく,小型二輪免許の技能講習の短縮化を要望するというようにマスコミによって情報がマチマチですが,いずれにしろ二輪メーカーは原付二種クラスのバイク普及を模索している模様です。

 これについては,私としてはいささか異論があります。私は,普通車免許より先に原付免許を取得した経緯から,50CCであれなんであれ,四輪車の免許に二輪車免許を付与することは大反対です。

 なぜかと言えば,四輪車と二輪車とでは全く操作方法が違うのにも関わらず,どうして四輪車の免許を取得すれば二輪車の免許も付与されるのでしょうか?現行では50CCの原付に限ってますが,50のバイクを甘く見すぎてはいませんか?

 私は高校生のころ原付の免許を取得しましたが,当時の原付スクーターは今のそれとは比べ物にならないほど馬力がありました。ちょっとアクセルをひねっただけでウイリーする勢いで発進しましたし,対向車が来ない直線の道路では時速80km/hでかっ飛ばしてました(時効です。スミマセン)。ましてやマニュアルクラッチのバイクでは更に操作方法が難しくなります。

 当時と比べて今の50~125CCのバイクは総じておとなしくなりましたが,決して四輪車の教習を受けただけでは簡単に,そして安全に走行できるシロモノではありません。

 欧州がどうであれ,私は,むしろバイクは50CC原付の段階からミッチリ教習時間を設けて技術を身に付けさせるべきだと思います。当時私が原付免許を取得した際は確か学科試験のみで,その後合格者のみスクーターで半日程度技能講習を受けた記憶があります。私にとってはスクーターすら初めての経験で,この技能講習が大変役に立ったことを今でも記憶しています。

 特に原付免許は高校生等十代二十代の若年層が多く受験します。私もそうであったように若いときはスリルを味わいたい気持ちも多々あります。そういう血気盛んな時期にバイクの運転技術と安全教育を教習所等でしっかり身に付けさせることが大切ではないでしょうか?

 そういった意味で今回の二輪メーカーの要請は私の考えと正反対の方向を目指しています。企業の利益第一主義によってロクな運転技術も身に付けないまま125CCバイクまで乗れるようになってその結果悲惨な交通事故を招いても二輪メーカーは責任を取ってくれるのでしょうか?

 バイク需要が以前に比べ大きく落ち込んでいるのは事実です。でもそれはその時代の人々の価値観であり,免許取得を緩和してまでバイク需要を掘り起こそうとするのは決して正しい方向だとは思いません。

 バイク(特に50~125CCの原付バイク)は自動車よりもはるかに省エネでエコな乗り物です。田舎には近所のコンビニへ一人で買い物に行くのにトヨタのサーフで乗りつけるようなバカがいっぱいいますが,原付バイクはCO2削減が叫ばれる現代においてももっと見直されてしかるべき乗り物だと思います。

 もう少し別の角度からバイクの楽しさと便利さを再発見できるような活動を国も二輪メーカーも積極的に行って欲しいと思います。


EN125-2Aで韓国語能力試験

2009年09月13日 | EN125-2A

昨日は長野県内は全県大雨の肌寒い天気でしたが今日はうって変わって秋晴れ
本日は第16回韓国語能力試験を受験しに松本市の信州大学松本キャンパスへ行ってきました。

韓国語能力試験は韓国政府主催の試験で一般韓国語能力試験と実務韓国語能力試験の2種類に分かれます。さらに一般は高級(6級5級)中級(4級3級)初級(2級1級)の3ランクに分かれています。実務の方は今回日本で初めて実施されるもので,私は一般の方をずっと受験し続けています。

さて,いつもどおりR19を松本方面へ南下します。とても天気が良くて気温もちょうどよくて車の通りも少なく,気持ちよく走ります。秋はツーリングに最高のシーズンですね。

一時間ほど走って信大に到着しました。ここへ来たのは前回(本年4月19日)受験以来です。いつもの場所で記念撮影。

案内板に従って建物に入ります。試験場は2階にあります。試験は14時から始まりますので私は30分前に入りました。前回は寝坊してしまいアドレスでかっ飛ばして14時ギリギリに試験場へ入りました。

さて,試験は語彙・文法,書き取り,聞き取り及び読解の4分類から出題されます。各分類は各々30題出題されるほか書き取りには作文も出題されます。合計3時間半程度の長丁場の試験で,出題数の割には時間配分が短いためいつも時間との戦いです。

さて,試験が始まり,語彙・文法と書き取りが終わりました。25分間の休憩が入りますので教室を出て一休みです。恒例のティーサービス(セルフ)を頂きます。

前回よりだいぶマシな日本語になりました(笑)

廊下から撮影したものです。多少曇りがかってきて室内も肌寒くなってきました。
さて,その後も試験を続けて17時35分,ようやく終了しました。試験の出来は相変わらずダメですが,既に私にとってこの試験は一種の年間行事となってます。韓国語の上達度を測るために受験するのが本来の目的なのにその後試験に合格するための勉強と化してしまい,さらに最近はほとんど勉強もしなくなって受験じたいが春秋のイベントと化してしまいました。

さて,能書きはこれくらいにして,昼食を取ってないので腹ペコです。前回バカ高い値段に腹が立ちましたが近場で直ぐに入れる店はここしかなかったので行くことに。

タイ風カレーの店「メーヤウ」です。今日は客が多くて特に学生風の団体客が席を陣取っていました。

昔は辛いカレーは平気で食べていたのに,最近はめっぽう苦手になってしまいました。これも年齢のせいでしょうか?

さて,すっかり日も短くなって辺りは薄暗くなりました。いつものように慢性的渋滞の松本市街地を迂回しながらR19に入って一路長野市へ。真っ暗な山中のR19を寒さもふき飛ばして走ること70km。20時過ぎころようやく到着しました。

なお,今日松本市内で給油しましたが,前回(8月29日)に給油してから508km走ったところで給油に至りました。レシートを見るとちょうど12リットル入りましたから,単純計算で1リッター当たりの燃費はなんと43.3km/ℓ!久々に高燃費をマークしました。 

ENの本領発揮といったところでしょうか。まだまだバイクシーズンは続きます。ENの更なる活躍を期待したいと思います(本日の走行距離159km)


アドレスV125Gで八ッ場ダム建設工事視察その3

2009年09月08日 | アドレスV125G
さて,やんば館の中に入るとまず入口の左側にダム完成時の水没想定地域が航空写真に図解で示されていました。

少々分りにくいですが,やんば館から3kmほど下流に下った辺りにダム本体を建設する予定です。写真を見るとやんば館から2kmほど上流付近からダム湖として水没し始める感じですので相当大きなダム湖が出現することになります。

入口から入って左手にある展示スペースです。ちなみにやんば館担当者の許可を得て撮影しています。

入口から向かって右手にある展示スペースです。何やらビデオ上映もしているようです。

長野原町におけるダム建設反対の住民運動の歴史を写真入りで説明しています。

どうやら八ッ場ダムは関東一円に水を供給する役割を果たす機能を持っているようです。

八ッ場ダムは戦後間もない昭和27年に建設計画が発表されたようです。当時はまさにダム全盛時代で,電力供給源に占める水力発電の割合は現代よりも大きかったものと思います。天竜川中流域に建設されたかの佐久間ダムも八ッ場ダムと同時期に建設計画が持ち上がりましたがこちらは順調に建設が進み,昭和31年に竣工しました。

しかし,八ッ場ダムはそうはいかなかったみたいです。 計画発表後40年間に渡る激しい反対運動が繰り広げられた末,平成4年に国・県・町の三者が建設基本協定を締結したそうです。

それから十数年を経て再び建設の是非を問われることになった訳ですが,ダム湖に水没してしまう住民からすれば苦渋の決断をしてダム建設を受け入れたにも関わらず再びダムに振り回されてしまうことになってしまいました。

上の写真はやんば館の入口から駐車場方面を撮影したものです。受付の方の話によると写真上方の建設中の橋の下付近まで水没するそうです。橋と駐車場の中間付近にJR吾妻線の鉄橋が見えますが,吾妻線も一部水没箇所があって現在線路の付け替え工事が行われているそうです。

なお,ダム本体の建設はまだ行われておらず,つい最近,本体工事のための入札が延期されたそうです。そう言えば最近そんなようなニュースを見た記憶があります。民主党政権が正式に発足し,新政権の方針が決まるまで国交省は入札を延期した模様です。

さて,今回の八ッ場ダム建設工事現場とやんば館でのダム建設の歴史を見て,巨大ダム建設というのはさまざまな面に多大な影響を与えるものだと実感しました。八ッ場ダム建設の是非については私ごとき八ッ場ダムとは無縁の者が口を挟むことはおこがましいので差し控えさせていただきますが,仮にダム建設を中止したとしても,半世紀以上ダムに翻弄された地元住民の方のケアだけはしっかりしていただきたいと思いながら長野原町をあとにしました。(本日の走行距離284km)


アドレスV125Gで八ッ場ダム建設工事視察その2

2009年09月07日 | アドレスV125G
さて,群馬県長野原町役場を出発して再びR145を走ると対向車線はダンプがひっきりなしに走るのを目にするようになりました。良く見ると八ッ場ダム工事関係車両である旨の表示をしています。ようやく八ッ場ダムという文字を見つけることができました。そうするとこの付近で工事が行われているのではないかと思い,注意しながら走ると工事中の橋を見つけました。

しかし,あれが八ッ場ダムの工事現場なのでしょうか?とてもそうには見えません。しかし,もの凄い数のダンプがこんな山奥の田舎道を往来し,道路脇には多数の工事関係者が交通整理をしています。ダンプのせいで周囲はもの凄い砂ぼこりが舞い上がり,交通整理の人もマスクを着用してます。バイクで走る自分には苦痛でたまりません。

しばらく進むと巨大な高架橋が見えてきました。

こんな山奥のあんな高いところに橋を作って何をするのでしょう?不思議に思いながら進むと今度は工事中の高架橋が見えてきました。

写真で見ると実感しずらいですが,近くで見るとあまりの規模の大きさに圧倒されます。ダンプはどうやらこの工事現場を中心に往来しているようでした。それにしても高架橋工事は行われているようですが肝心のダム本体の工事はどこで行われているのでしょう?

こんな小さな川にダムを作ってどうしてかの民主党がマニフェストで中止を掲げるほど大げさに扱うのか不思議に思いながらあきらめて引き返そうと思った矢先・・・

「八ッ場ダム広域センターやんば館」という建物を発見しました。なるほど,ここが八ッ場ダム工事の紹介をするところなんだと思い,せっかくだから見学しようと写真左側の看板を目にしたところ・・・

なんと・・・さっき通った高架橋の辺りまで水位が上昇するほどの大規模ダムだったんじゃあないですか!ということは,やんば館も含めてこの周囲の集落は全てダムに水没するということになります。工事中の橋は高架橋なんかではありません。ダムが完成した際のダム湖を横断する道路だったのです。

いや~びっくりしました。まさか今時集落が水没するほどの大規模ダムを建設しているだなんて想像だにしませんでしたから。そりゃぁ天下の民主党が建設の是非について論議するのもうなずけます。やんば館は開館中でしかも無料でしたので中の展示物を見ることにしましたがその様子はまた次回にアップします。


アドレスV125Gで八ッ場ダム建設工事視察その1

2009年09月06日 | アドレスV125G

先週は民主党圧勝で全国が沸きましたがそれにあわせて新たな問題がクローズアップされました。それは群馬県吾妻郡長野原町で建設中の「八ッ場ダム」建設工事問題です。民主党はマニフェストでこの八ッ場ダムの建設工事中止を掲げているからです。

私はこの問題が浮上するまでは八ッ場ダムなど全く知りませんでした。で,調べてみたところ,ここから割と近いところに建設現場があることが分りました。それで,八ッ場ダムとは利害関係の全くない一国民として(国税が投入されているようなので無関係とは言えませんが)昨日,アドレスに乗って建設現場を視察してきました。

さて,数年前にどこかの県知事が「脱ダム宣言」などと妄言を吐いていましたが,最近ではダムの恩恵に浴している方々からも含め,ダムは自然破壊の代名詞のような扱いを受けています。また巨大公共事業として税金の無駄遣いも指摘されています。

事実,田舎に住む者としてダムは非常に身近な建造物として良く目にします。休日にドライブでちょっと山奥の方へ行けばそこには必ずダムがあります。せっかくの自然豊かな場所に人工物を作るのは忍びない思いを私自身感じることが多々あります。また,ダム建設によって森林伐採,動植物の生態系への影響,さらに土砂の堆積問題等々自然破壊の側面も持ち合わせています。

その反面,ダムのおかげで洪水被害からまぬかれた多くの住民もいれば電力発電,水道水・灌漑用水の供給源等々多くの国民の生活に多大なる恩恵を与えていることも事実です。

ダムという自然環境に多大な影響を与える構造物を莫大な税金を投入し,さらには周辺住民の生活を犠牲にしてまで建設する必要性の有無については度々議論がなされます。

私は実生活でダム問題と直面したことがないからこのような問題に特に意識したことがありませんでしたが,これを機会にダム工事現場とはどのようなものなのか見てみたいと思います。

さて,そうは言っても堅苦しい命題だけで遠出するのは気が重いものです。いつものツーリング感覚で行ってきましたので,その過程もアップします。

まず自宅から須坂市方面へ進みます。矢島橋を渡って須坂市内に入り,仁礼町の信号を右折してR406へ

まずは菅平高原へと進みます。武石村からビーナスラインの頂上へ登っていったときと同じ急勾配の上り坂を延々登ります。

菅平高原に到着しました。この写真を撮ったすぐ横はスキー場が二つありました。菅平高原はスキー場のメッカですが,スキーは一切しない私には無縁の場所です。

群馬県へバイクで行くのは初めてで,しかも肝心の地図を忘れてきてしまったので案内板だけが頼りでした。途中長野原町方面への看板があったのでそれに従って進んでいったらなにやら山奥へ向かっていきます。何となく道を間違えたと思い,勇気をだして引き返して再びR406に戻ってしばらく進むと高原ともお別れ,上田市街地方面へ真っ直ぐの下り道を進むと今日の行程にふさわしいダムを発見。

立入禁止の看板の横をすり抜けてダムの事務所付近まで来て撮影。こんな間近でダムを見たのは10年ほど前に静岡県の佐久間ダムに行って以来です。

反対側の貯水部を撮影したところ。帰宅してから調べたら菅平ダムと呼ぶそうです。
さて,菅平ダムともお別れし,下り坂を延々下っていくと看板が見えてきました。

案内板に従い「菅平口」の信号を左折してR144へ入り長野原町方面へ進む。群馬県へ抜けるにはもう一つ峠を越えなければなりません。上り坂をしばらく進むと県境が現れました。

鳥居峠というらいいです。標高1362m。群馬県吾妻郡嬬恋村に入りました。
さて,群馬県に入るとなだらかな一直線の下り坂を延々走ります。この辺は自分にとって未知との遭遇のような場所で車でも通ったことがありません。やがて深い谷筋の集落が見えてきましたが何しろ地図を忘れてきたために自分が正確な位置を走っているのかも分りません。とりあえず八ッ場ダムは長野原町にあるということだけはインプットしてきましたので,その4文字を目指して走りました。

何とか長野原町役場まで到着しました。それにしても非常ののどかな町で八ッ場ダムの八の字も見当たりません。出発前に自宅で地図を確認したところR144は長野原町へ入ったところでR406へと変わり再びR145へと変わるのですが,道なりに進めば工事現場へと到着するはずです。道を間違えたのかと少々心配しましたがその心配は役場出発後すぐに吹き飛びました。その状況は次回アップします。


アドレスV125Gのオイル交換

2009年09月05日 | アドレスV125G

先週アドレスのオイル交換をしようとして挫折しましたが,原因は柄の短いレンチで無理矢理こじ開けようとしたからです。バイク屋で交換してもらおうと思ってましたが定期的に工賃を払ってオイル交換を頼むのは馬鹿らしいと思い,ホームセンターで柄の長いメガネレンチを買うことにしました。

両端の頭が17mmと14mmというベストサイズのメガネレンチを発見して購入。なぜならアドレスのドレンボルトのサイズは14mmですがENのそれは17mmだからです。

さて,前回ENのオイル交換をした際使用したオイルとポイパックとオイルジョッキを用意しました。ポイパックは2.5リットル用を購入しましたので,ENのオイル1100mlを入れても十分まだ入れられますから大事にとっておきました。

アドレスの車体の真下にあるドレンボルトです。なにやらマジックで書き込みがなされていますが意味は不明。最初にフィラーキャップを空けてからボルトを14mmのメガネレンチで緩める。

ドボドボとどす黒いオイルが流れてきました。このどす黒さ,ENのときよりすごくでびっくり。前回は平成20年9月15日にオドメーターが1063kmのときに交換しました。今回は2750kmで交換。まだ1687kmしか走ってませんがほぼ1年経ってオイルも酸化が進んでいたのでしょうか?ある程度オイルが垂れてこなくなったらドレンボルトを閉めます。本当はボルトをパーツクリーナーで洗浄した方がいいらしいのですがこのときはそんなことはつゆ知りませんでした。

さて,アドレスのオイル指定量は950mlのようです。取説を見ると10W40と記載されているのでこれまたENと同じ。既にフィラーキャップは取り外しておいたのでそこからオイルを注入します。

オイルをドボドボと流し込みます。住宅地の道路脇でやってたので通行人からジロジロ見られて恥ずかしかったです。

最後にオイルの分量を量り,フィラーキャップを閉めて終了。写真中央の指示線の範囲内であればOKみたいです。ちょっと大目だったでしょうか?

さて,アドレスを走らせた感想ですがギア車のENと違い新オイルに変えた効果の実感がありません。バイク屋に言わせるとスクーターなんかどんなオイルをいてれもいいんだということなんですがそうなんでしょうか?まああんだけドス黒かったんだからアドレスにとってはいいはずに違いありません。ENばかりかまってるとアドレスがすねてしまいますので久々に遠出しようと思います。


EN125-2Aで長野県縦断その3

2009年09月01日 | EN125-2A

平成21年8月30日日曜日,長野県縦断ツーリング二日目の正午過ぎ,ついに長野県境まで来ました。後は自宅へ向けて帰省の途につくだけですが,来た道を引き返すのではツマンナイです。せっかくですから多少遠回りでも違う道を通って帰りたいですね。

そんな訳で愛知県→岐阜県→長野県というコースで帰ることにしました。県境を越えてR151の下り坂をしばらく進むと最初の集落,愛知県北設楽郡豊根村字坂宇場地区へやってきました。坂宇場は奥三河の最奥部にある集落です。

このままR151を一気に下っていけば太平洋まで到達しますが,今回はそこまで行く余裕はありません。坂宇場から茶臼山へ向かう道を右折して再び長野県境を目指します。走ること数キロ,長野愛知両県境に位置する茶臼山へ到着しました。

写真中央が茶臼山です。バイクを止めて写真を撮った場所から山の頂上まで県境が続きます。この茶臼山,標高1415mと信州人から見れば何の変哲もない近所の裏山にしか見えませんが,愛知県最高峰として愛知県では有名な山らしいです。

事実,県境の愛知県側は人工雪スキー場に人工湖,さらに有料高原道路に牧場やレストラン等々観光地化して多くの観光客が訪れてにぎやかなのに対し,反対の長野県側はあまり開発の行われていないひとけのない寂しい光景が続きます。

信州人から見向きもされない小山ですが,しかし,私は
茶臼山が好きだっー!!!
穂高岳や槍ヶ岳や八ヶ岳に浅間山なんかよりずっと好きだぁああああ!!!
子供のころ,毎年春先になると家族でピクニックに訪れたことを思い出しました。周囲は県外ナンバーの車ばかりで寂しい思いをしましたが私にとって茶臼山は心のオアシスのなっているのです。

さて,あまり感傷に浸っている時間もありません。時間は既に午後1時を回りました。茶臼山の長野県側の道路をR153へ向かって進みます。しばらく進むと下界の集落が見えてきました。ここはもう一つの長野県南端の村,下伊那郡根羽村です。

根羽の中心部まで来るとR153に接続します。そして再び愛知県方面へ向かい県境を越えて愛知県豊田市稲武町に入ります。20分くらい進むと十字路が見えてきました。

R257の恵那方面へ右折します。しばらく進むと再び県境が現れました。

ついに岐阜県に入りました。この写真を撮った場所は橋を渡った直後ですが,橋の下を流れる川を見ると魚の群れを発見しました。川底まで澄み切ってとても綺麗です。この辺りは前にも何度も通っていますがのどかでとても心が落ち着きます。

R257を更に北上します。旧上矢作町から旧岩村町,そして阿木ダムが見えてきました。ダム湖を通り過ぎると急に下り坂となって蛇行した道路を下っていきようやく恵那の中心部まできました。そしてついに・・・

いや~懐かしいですね~R19。昨日安曇野の信号で別れて以来のご対面です。颯爽と右折して中津川方面へ。この辺りのR19は四車線で交通量も多く,長野松本間の田舎道と同じ道とは思えません。それにしれも暑い。午後2時を回って日中の気温のピークを迎えていたのですが,今まで標高の高い山道ばかり走っていたのが急に標高の低い市街地を走ることになって少々バテ気味です。そしてまだ昼食も取っていなかったので中津川で寄り道することに。

JR中央線中津川駅前で記念撮影。駅前撮影が多いですが決して私は鉄オタではありません(笑)駅の近くにあるアピタ中津川店に入って遅めの昼食を取ることに。

どうですか皆さん。これが有名な「すがきや」の特製ラーメンです。すがきやは東海地方では有名なラーメンチェーン店ですがかつて飯田にもユニー飯田駅前店5階に店舗を構えていました。子供のころ親に連れられて飯田の街へ買い物に来たときに必ず食べていたなつかしの味です。ユニーは既に飯田から撤退してしまい,それに合せてすがきやもなくなってしまいましたが,この味が忘れられなくて飯田に住んでいたころは中津川まで食べに来たこともありました(バカですね)。ちなみに写真にある特殊な形状のフォークがすがきやの特徴です。

さあ腹もふくれて出発することに。猛烈な暑さの中R19を北上。かつての長野県木曽郡山口村(現岐阜県中津川市山口)まで来て案内板をふと見上げると長野まで177kmと表示されています。時間は午後3時近くになってきました。この日は衆議院総選挙の日で,開票速報の番組が始まる8時までには着きたいと思っていました。R19の木曽路は通常は車の流れもいいのですが一旦事故が起きると迂回路がないため実況見分が終わるまで大渋滞となります。そんなことを心配しながらまもなく県境に入って長野県へ。ひたすら木曽路を北上します。幸いにも車の流れも順調で快調。しかし気温は急に下がって肌寒くなってきました。しらばく走り続けて木曽町に入ったところで休憩。

JR木曽福島駅前で記念撮影。ここから長野市までまだ130kmあります。何とか気力を振り絞ってR19を北上。これ以降は今までも何度かブログで書いたことがありますので割愛します。そして午後7時前に何とか自宅に到着。いや~ホント疲れました。

二日間の旅を3回に分けて書きましたが読み返してみると完全に私の日記帳になってますね。他人からすればどうでもいい話を延々書いてしまいましたが,今回私が通った道は見所満載のルートですのでこちらへ来る機会があったら是非通ってみてください。(30日の走行距離351km。二日間の走行距離総数542km)