バイクは125CCが一番

維持費も安くて取り回しもよく、パワーもそこそこある。バイクは125CCが一番!

EN125-2Aで市内日帰り温泉

2009年09月26日 | EN125-2A
皆様こんばんは。シルバーウィークいかがお過ごしでしたか?私は前半は高速1000円乗り放題に目が眩んで車中泊の旅へと出掛けていました。最近は好天続きで気温もこの時期にしては高く,絶好のバイク日和なんですが何となく長旅の疲れで遠出する気が起きません。で,その疲れを癒すため市内にある日帰り温泉へ行ってきました。

長野市の南西方向に松代町という地籍があります。千曲川を渡って松代町へ入ります。右折して細道に入ってすぐ山際の小道を登っていくと温泉があります。

大室温泉まきばの湯です。私のいきつけ?の温泉で長野市に引っ越してきてから幾度となく通ってます。

さて,500円を払って中に入ると地元で取れた野菜類などの直売所や食堂などがあります。看板を見ると一応源泉かけ流しと記載されています。長野県では数年前に温泉偽装問題で大揺れしました。白濁の湯を銘打っておきながら実際は無色の温泉に着色していたり,循環式なのに源泉かけ流しと表記していたり,ひどいところでは水道水を温泉と偽って営業していたりと観光立県信州の信頼を大きく揺るがす事件でした。

それ以降,県内の温泉業界も信頼回復のために表示基準を厳格にしたようなのですが,私的には温泉に入るということは気分の問題だと思っています。循環式の温泉施設で清掃を怠っていたためレジオネラ菌が大発生し,入浴客が肺炎等にかかったニュースを以前はよく耳にしましたが,そのような衛生面での心配さえなければ私はあまり細かいことは気にしません。

さて,能書きはこれくらいにしてまきばの湯に話を戻しますが,ここは非常にのどかで静かな場所にあります。付設の露天風呂から見下ろす松代の集落を臨みながらのんびりと疲れを癒せる最高の場所です。
のんびりつかって心身ともにリフレッシュしたら風呂上りに休憩室で一服です。

昼日中,こうやってのんびり過ごせるのはある意味幸せなのかもしれません。
ここでのんびりしているとそのまま寝入ってしまいそうなのでそろそろ出発します。

駐車場から長野市街地を望みます。このまま帰路につこうかと思いましたが,近くに大室古墳群なるものの案内板を見つけましたので,面白そうなので行ってみることに。

案内標識に従って進むとまもなく山際に古墳らしきものが見えてきました。最初に印象的な古墳が見えてきたので激写

将軍塚というらしいです。石積みされていますが多分周囲の盛り土がはがれ落ちたのでしょう。しばらく登って行くと再び現れたので激写

246号と看板にありますが,そんなに古墳が点在しているのでしょうか?更に登り道と進むと大室古墳館という建物があり中に入ってみましたが,どうやからこの付近の山の傾斜地から谷筋にかけて数百の古墳が発見されたらしいです。ちょうどこの辺りは長野盆地がきれいに見下ろす場所です。時の支配者が死後もこの地の支配をゆるぎないものにするためにこの場所を選んだのでしょうか?小学校時代古墳クラブに属していただけに身近にこんな歴史ロマンあふれる場所があるなんて今日は新発見の一日でした。(走行距離26km)


EN125-2Aで韓国語能力試験

2009年09月13日 | EN125-2A

昨日は長野県内は全県大雨の肌寒い天気でしたが今日はうって変わって秋晴れ
本日は第16回韓国語能力試験を受験しに松本市の信州大学松本キャンパスへ行ってきました。

韓国語能力試験は韓国政府主催の試験で一般韓国語能力試験と実務韓国語能力試験の2種類に分かれます。さらに一般は高級(6級5級)中級(4級3級)初級(2級1級)の3ランクに分かれています。実務の方は今回日本で初めて実施されるもので,私は一般の方をずっと受験し続けています。

さて,いつもどおりR19を松本方面へ南下します。とても天気が良くて気温もちょうどよくて車の通りも少なく,気持ちよく走ります。秋はツーリングに最高のシーズンですね。

一時間ほど走って信大に到着しました。ここへ来たのは前回(本年4月19日)受験以来です。いつもの場所で記念撮影。

案内板に従って建物に入ります。試験場は2階にあります。試験は14時から始まりますので私は30分前に入りました。前回は寝坊してしまいアドレスでかっ飛ばして14時ギリギリに試験場へ入りました。

さて,試験は語彙・文法,書き取り,聞き取り及び読解の4分類から出題されます。各分類は各々30題出題されるほか書き取りには作文も出題されます。合計3時間半程度の長丁場の試験で,出題数の割には時間配分が短いためいつも時間との戦いです。

さて,試験が始まり,語彙・文法と書き取りが終わりました。25分間の休憩が入りますので教室を出て一休みです。恒例のティーサービス(セルフ)を頂きます。

前回よりだいぶマシな日本語になりました(笑)

廊下から撮影したものです。多少曇りがかってきて室内も肌寒くなってきました。
さて,その後も試験を続けて17時35分,ようやく終了しました。試験の出来は相変わらずダメですが,既に私にとってこの試験は一種の年間行事となってます。韓国語の上達度を測るために受験するのが本来の目的なのにその後試験に合格するための勉強と化してしまい,さらに最近はほとんど勉強もしなくなって受験じたいが春秋のイベントと化してしまいました。

さて,能書きはこれくらいにして,昼食を取ってないので腹ペコです。前回バカ高い値段に腹が立ちましたが近場で直ぐに入れる店はここしかなかったので行くことに。

タイ風カレーの店「メーヤウ」です。今日は客が多くて特に学生風の団体客が席を陣取っていました。

昔は辛いカレーは平気で食べていたのに,最近はめっぽう苦手になってしまいました。これも年齢のせいでしょうか?

さて,すっかり日も短くなって辺りは薄暗くなりました。いつものように慢性的渋滞の松本市街地を迂回しながらR19に入って一路長野市へ。真っ暗な山中のR19を寒さもふき飛ばして走ること70km。20時過ぎころようやく到着しました。

なお,今日松本市内で給油しましたが,前回(8月29日)に給油してから508km走ったところで給油に至りました。レシートを見るとちょうど12リットル入りましたから,単純計算で1リッター当たりの燃費はなんと43.3km/ℓ!久々に高燃費をマークしました。 

ENの本領発揮といったところでしょうか。まだまだバイクシーズンは続きます。ENの更なる活躍を期待したいと思います(本日の走行距離159km)


EN125-2Aで長野県縦断その3

2009年09月01日 | EN125-2A

平成21年8月30日日曜日,長野県縦断ツーリング二日目の正午過ぎ,ついに長野県境まで来ました。後は自宅へ向けて帰省の途につくだけですが,来た道を引き返すのではツマンナイです。せっかくですから多少遠回りでも違う道を通って帰りたいですね。

そんな訳で愛知県→岐阜県→長野県というコースで帰ることにしました。県境を越えてR151の下り坂をしばらく進むと最初の集落,愛知県北設楽郡豊根村字坂宇場地区へやってきました。坂宇場は奥三河の最奥部にある集落です。

このままR151を一気に下っていけば太平洋まで到達しますが,今回はそこまで行く余裕はありません。坂宇場から茶臼山へ向かう道を右折して再び長野県境を目指します。走ること数キロ,長野愛知両県境に位置する茶臼山へ到着しました。

写真中央が茶臼山です。バイクを止めて写真を撮った場所から山の頂上まで県境が続きます。この茶臼山,標高1415mと信州人から見れば何の変哲もない近所の裏山にしか見えませんが,愛知県最高峰として愛知県では有名な山らしいです。

事実,県境の愛知県側は人工雪スキー場に人工湖,さらに有料高原道路に牧場やレストラン等々観光地化して多くの観光客が訪れてにぎやかなのに対し,反対の長野県側はあまり開発の行われていないひとけのない寂しい光景が続きます。

信州人から見向きもされない小山ですが,しかし,私は
茶臼山が好きだっー!!!
穂高岳や槍ヶ岳や八ヶ岳に浅間山なんかよりずっと好きだぁああああ!!!
子供のころ,毎年春先になると家族でピクニックに訪れたことを思い出しました。周囲は県外ナンバーの車ばかりで寂しい思いをしましたが私にとって茶臼山は心のオアシスのなっているのです。

さて,あまり感傷に浸っている時間もありません。時間は既に午後1時を回りました。茶臼山の長野県側の道路をR153へ向かって進みます。しばらく進むと下界の集落が見えてきました。ここはもう一つの長野県南端の村,下伊那郡根羽村です。

根羽の中心部まで来るとR153に接続します。そして再び愛知県方面へ向かい県境を越えて愛知県豊田市稲武町に入ります。20分くらい進むと十字路が見えてきました。

R257の恵那方面へ右折します。しばらく進むと再び県境が現れました。

ついに岐阜県に入りました。この写真を撮った場所は橋を渡った直後ですが,橋の下を流れる川を見ると魚の群れを発見しました。川底まで澄み切ってとても綺麗です。この辺りは前にも何度も通っていますがのどかでとても心が落ち着きます。

R257を更に北上します。旧上矢作町から旧岩村町,そして阿木ダムが見えてきました。ダム湖を通り過ぎると急に下り坂となって蛇行した道路を下っていきようやく恵那の中心部まできました。そしてついに・・・

いや~懐かしいですね~R19。昨日安曇野の信号で別れて以来のご対面です。颯爽と右折して中津川方面へ。この辺りのR19は四車線で交通量も多く,長野松本間の田舎道と同じ道とは思えません。それにしれも暑い。午後2時を回って日中の気温のピークを迎えていたのですが,今まで標高の高い山道ばかり走っていたのが急に標高の低い市街地を走ることになって少々バテ気味です。そしてまだ昼食も取っていなかったので中津川で寄り道することに。

JR中央線中津川駅前で記念撮影。駅前撮影が多いですが決して私は鉄オタではありません(笑)駅の近くにあるアピタ中津川店に入って遅めの昼食を取ることに。

どうですか皆さん。これが有名な「すがきや」の特製ラーメンです。すがきやは東海地方では有名なラーメンチェーン店ですがかつて飯田にもユニー飯田駅前店5階に店舗を構えていました。子供のころ親に連れられて飯田の街へ買い物に来たときに必ず食べていたなつかしの味です。ユニーは既に飯田から撤退してしまい,それに合せてすがきやもなくなってしまいましたが,この味が忘れられなくて飯田に住んでいたころは中津川まで食べに来たこともありました(バカですね)。ちなみに写真にある特殊な形状のフォークがすがきやの特徴です。

さあ腹もふくれて出発することに。猛烈な暑さの中R19を北上。かつての長野県木曽郡山口村(現岐阜県中津川市山口)まで来て案内板をふと見上げると長野まで177kmと表示されています。時間は午後3時近くになってきました。この日は衆議院総選挙の日で,開票速報の番組が始まる8時までには着きたいと思っていました。R19の木曽路は通常は車の流れもいいのですが一旦事故が起きると迂回路がないため実況見分が終わるまで大渋滞となります。そんなことを心配しながらまもなく県境に入って長野県へ。ひたすら木曽路を北上します。幸いにも車の流れも順調で快調。しかし気温は急に下がって肌寒くなってきました。しらばく走り続けて木曽町に入ったところで休憩。

JR木曽福島駅前で記念撮影。ここから長野市までまだ130kmあります。何とか気力を振り絞ってR19を北上。これ以降は今までも何度かブログで書いたことがありますので割愛します。そして午後7時前に何とか自宅に到着。いや~ホント疲れました。

二日間の旅を3回に分けて書きましたが読み返してみると完全に私の日記帳になってますね。他人からすればどうでもいい話を延々書いてしまいましたが,今回私が通った道は見所満載のルートですのでこちらへ来る機会があったら是非通ってみてください。(30日の走行距離351km。二日間の走行距離総数542km)


EN125-2Aで長野県縦断その2

2009年08月31日 | EN125-2A
さて,二日目の8月30日日曜日の朝を迎えました。今日は昨日以上に長丁場になることが予想されるので9時には出発することに。しかしせっかく飯田まで来たので寄っておきたいところがありました。

飯田市川本喜八郎人形美術館。NHKで30年近く前に放映していたNHK人形劇三国志で登場した人形たちが展示されています。飯田市は江戸時代には人形浄瑠璃が盛んで,その伝統を受け継いだ人形座が現在も数座活動しています。さらに毎年夏には人形劇フェスタという催し物が開かれ,全国から人形劇団が集まって市内いたるところで公演を行っています。そういった人形に理解のある街としてNHK三国志で登場した人形の製作者である川本喜八郎氏から市に人形が寄贈されました。

そうなんです。あれ程ハコモノ行政は批判にさらされ,麻生総理肝煎のアニメ殿堂館も風前の灯ですが,田舎ではこのようなハコモノが立派に建設されています(笑)
私はNHK三国志じたいはリアルタイムで見ていませんでしたが,その後三国志に興味を持ってから再放送があるたびに欠かさず見ていました。ですから地元にこんなすばらしいハコモノができたことは大変な喜びと感じています(笑)

正面入口に展示されている諸葛孔明の人形。写真撮影が許されている唯一の場所です。普段はここには関羽が展示されているのですが今日は違いました。中の展示状況はネタバレしてしまいますので割愛しますが,定期的にテーマを決めて展示しています。

さて,時間がないので長居はできません。市街地からR151に入って南下します。R151はかつては遠州街道と呼ばれ,太平洋岸から山国飯田まで海産物をはじめとする物資を運ぶ重要な街道でした。現在は愛知県の豊橋市と飯田市を結ぶ道路になっています。

市街地から10kmほど南下すると飯田を代表する?名所が現れてきます。その名も名勝「天竜峡」。ご存知でしょうか?多分知らない人がほとんどでしょう(笑)天竜峡とはそれまで天竜川を中心に河岸段丘の地形だったものが急に狭隘になって渓谷となった地点の中でもっとも名勝といわれる飯田市川路・龍江地区周辺の渓谷のことを言います。

写真がまさに天竜峡の全景です。どうですか皆さん。ヘドロ色の川が清々しいですね(笑)天竜川は諏訪湖を源としていますが諏訪湖周辺の住民と工場の方々が徹底的に水質汚染をしてくれたお陰で昔からこのようなよどんだ色をしています(もちろん天竜川流域の住民にも汚染の原因はあります)。現在は下水道処理も進んでいくらから水質改善もしたようですが,私が子供のころは天竜川に近づくと腐臭がしてとても釣った魚など食べる気がしませんでした。

直ぐ近くにあるJR飯田線天竜峡駅前で記念撮影。直ぐ近くに昨年,三遠南信自動車道天竜峡インターが開通しました。三遠道が全線開通すれば飯田-浜松間が1時間で行けるようになるみたいですが,そうなればのどかな天竜峡周辺も大きく様変わりするでしょう。

さて,再びR151を南下すると飯田市から下伊那郡下條村に入ります。ちょっと進むと道の駅「信濃路下條」が現れてきました。ここで少々休憩。

朝食をとっておらず,小腹が空いたので五平餅を購入。五平餅はここ伊那谷と木曽,東濃,奥三河,北遠の各地域共通の伝統的郷土食です。よく信州では「おやき」が有名ですが,あれは主に長野市を中心とする北信地域の郷土食で飯田下伊那地域では一般的ではありません。ただ江戸時代や明治時代と違って現代は交通網の発達した情報化社会ですから,いつの間にかおやきは信州の名物として長野県全域で作られるようになりました。

一串100円を払って早速賞味する。う~ん昔懐かしい味がします。甘めの味噌ダレがたまりません。

さて,ここもあまり長居はできませんので早々に出発することに。R151は天竜峡を過ぎると山間部を延々走ることになります。ただ道路整備がしっかりなされているので快適です。30年以上掛けて行った道路の拡張工事もつい最近,長野県区間はほぼ完了しました。それまでは細い道路が山際の崖を縫うように走り,路線バスや工事用のダンプなどとすれ違うときは大変難儀しました。時には悲惨な交通事故も起きて亡くなる方もいました。天竜峡以南の下伊那地域は急峻で狭隘な山間地域が広がり,飯田の市街地まで出るのに1時間以上は掛かっていましたがR151の道路拡張・トンネル化工事によって大幅に時間短縮されたのです。

地元の事情を延々語ってウンザリされた方もいるでしょう。スンマセン。そんなこんなを考えながら走ること1時間ほど,ついにR151沿線の長野県最後の集落,下伊那郡阿南町新野地区までやってきました。

写真中央の山の稜線の谷間が県境のある峠です。そこまで一直線の道を集落を突き抜けて走ります。そしてついに・・・

ついに来ました県境!昨日長野市の自宅を出発し,多少寄り道をしながらも延々南下すること247km。県南端の愛知県境まで二日間掛けてやってきました。いや~125CCの小排気量バイクでよくここまで来たとただただ感慨無量です。しかし道のりはまだ半ば,ここから帰宅の途に着かなければなりません。その経過はまた後日アップします。


EN125-2Aで長野県縦断その1

2009年08月30日 | EN125-2A

皆様こんばんは。今週末土日の二日間をかけて長野県を縦断してきました。その状況を3回に分けてアップしていこうと思います。

8月29日土曜日午後1時,自宅を出発。朝方雨が降っていて心配でしたが昼頃には晴れ間も見えてきてなんとか大丈夫そう。途中JR長野駅で記念撮影。

土曜日は衆議院選挙戦最終日。駅前では国民新党が演説をしていました。その道路を挟んで向かい側では「自公政権打倒!」という激しい口調。共産党か。最終日だけに長野市の一等地で市民に向けて最後の訴えを繰り広げられていました。う~ん今日一日至るところでこういう光景を目の当たりにするのかな~

長野駅を通り過ぎて脇道に入り中御所の信号からR19へ。もう何度も通る慣れた道です。この二日間の旅で一番お世話になる国道になりました。長野=松本間はブログで何度も触れたので割愛します。松本の手前安曇野市の田沢北信号で左折して浅間温泉から美ケ原温泉へ。そして通称山麓線を通って塩尻へ。これもまた松本市街地を回避するいつものコース。

山麓線から一旦R20に出て諏訪方面へ少し進み辰野町方面へ右折しR153へ。伊那谷へ向かう国道です。直ぐに峠道になりまもなく頂上。自宅から107km進んだ善知鳥峠(うとうとおげ)頂上で記念撮影。

前回も同じ場所で写真を取りました(笑)この峠を境に川の流れは太平洋へと向かいます。これも前回言いましたね(笑)そして何とこのあと直ぐガス欠になりました。これも前回通ったときと同じ!(爆)コックをリザーブにしてゴー!

さて,峠を降りるとそこは塩尻市北小野地区。集落のど真ん中に行政境界があり境界の先は上伊那郡辰野町小野地区。戦国時代は伊那郡小野郷として一つの村を形成していたが土豪達の攻防によってムラを真っ二つに割ったまま現在に至るそうです。

さて,辰野町を過ぎるともうじき伊那市に入ります。前回ENで県を南下した際は伊那市まで来ました。今回はそれを1メートルでも先に伸ばしたいと思ってます。

JR飯田線伊那市駅前で記念撮影。制服を着た高校生がうろちょろしてましたがそういえば長野県では既に小中高と夏休みは終わってます。北海道もそうらしいのですが長野県では夏休みを削って稲刈り時期に農繁休暇を,1月末から2月初めの厳寒期に寒中休みを導入してます。お盆を過ぎれば2学期だというのを6・3・3の12年間通じて過ごしてきたので他県の人が9月から始業式だと聞いたときはビックリして夜も眠れませんでした(嘘)

昼飯を食べずに出てきてそろそろ小腹が空いたのでまずENの給油をして腹ごしらえをしてやってから自分は近くのホームセンターの脇で露店を開いているたこ焼き屋でたこ焼きを買って近くの春日城址公園のベンチで遅めの昼食。

春日公園の一番景色のいいベンチを陣取って昼食。横では高校生のカップルがいちゃついてましたがそんなことはお構いなしにたこ焼きを頬張る。既に自宅から134km進んでだいぶ疲労が噴出してます。でも目的地までまだ先は長い。時間は午後4時を回った。少々休憩をしてまた出発。

伊那谷は地形的には天竜川の両岸を河岸段丘状になっており,谷というよりは南北に細長い盆地といった方が正しいです。ですから道路も登ったり下ったりと起伏が激しいのですが道路じたいは幅も広くて交通量もさほどではないので非常に走りやすい。広域農道と呼ばれる非常に走りやすい道路が伊那谷の高台を北から南まで約70km通っています。

駒ヶ根市まで来ました。ちょと寄り道して農道からずっと駅の方へ下ってきてJR飯田線駒ヶ根駅前で記念撮影。伊那にも駒ヶ根にも以前住んでいましたが本当に懐かしい。上伊那は全体的に標高も高く,中央アルプスと南アルプスに挟まれた高原状の地形が広々と続き更に景色も素晴らしく走っていてもとても清々しいです。

さて,駒ヶ根,上伊那郡飯島町と続きいよいよ懐かしい空気を感じてきました。それは子供のころ肺の奥まで散々吸い込んで育った空気と同じです。そう,ついに私の地元へENで乗り付けてきたのです。

ついに来ました下伊那郡。私の地元飯田下伊那地域へと入ってきました。私の実家はもう少し先ですが,同じ生活圏ということで親近感があります。さて,松川町に入ると同じ伊那谷でも地形が変わってきます。今まではなだらかな高原状の地形が続きましたが天竜川へ向かってV字型の地形へと変わってきます。それに伴って集落も標高の低い,つまり天竜川に近い付近に集中します。上伊那は天竜川周辺でも標高600メートル,集落が点在する高原付近でも700メートル台の標高ですが下伊那に来ると天竜川周辺で400メートル台,山麓付近で500メートルと下がります。上伊那が長野県南部に位置しながら寒冷な気候なのは標高の高さに原因があります。更に3000メートル級の両アルプスが集落の間近までせり出しているため吹き降ろす山風も強いです。

それに比べ下伊那は全体的に標高も低ければ両アルプスも天竜川から遠方に位置する地形になる上,中央アルプスは1500メートル台まで下がります。さらに飯田市以南は天竜川周辺で標高400~300メートルまで下がります。同じ伊那谷といっても上伊那と下伊那とでは気候が全然違います。

あっ県外の方にこんな話を延々しててもツマンナイですよね。スンマセン。この話はこのブログを見ているかもしれない同じ信州人のために参考までに話しています。

さて,桃の収穫もとっくに終わった桃畑の中を延々走って既に午後6時を回った夕暮れ時,ついに我が地元へENで乗り付けてしまいました。

やっと着きました飯田市。私の故郷です。自宅から出発して飯田駅前で186km。さすがに疲れました。さすがの疲労に地元へ来た感慨も何もありません(というか今月初めにも帰ってきてるし(笑)。クラッチを切る手がグラグラですが最後の力を振り絞って飯田で一番オススメの中央通りにある「元徳ラーメン」で夕食。昔ながらの中華ソバ風太麺が主流の飯田ではめずらしい背油系細麺のチャーシュー麺を食べて初日を終えました(あまりの疲労にラーメンの写真を撮ることを忘れてしまった!)走行距離191km


EN125-2Aのオイル交換

2009年08月26日 | EN125-2A

私の職場は7~9月までは夏季休暇取得期間といって夏季休暇や年次休暇を効率的に取得する期間となっています。そうは言っても忙しい仕事の合い間や周囲の同僚と調整しながら休暇を入れるのでなかなか都合のいい日に休めるとは限りません。私は週のど真ん中の今日年休を入れました。平日でしかできないことをいろいろやって,ついでにENのオイル交換もしました。

さて,前回オイル交換をしたのは昨年の10月19日。オドメーターは1030kmのころでした。今回のオドメーターは2866km。1836kmしか走っていませんがそろそろ1年が経ちそうなので交換することにしました。

さて,前回はバイク屋で交換してもらいましたが,今回はオイルのみなので自分ですることに。近くのホームセンターで買って来たのは10W-40のオイル。部分合成油と表示されています。価格は2480円。新製品のラベルが貼っていました。

フィラーキャップに10W-40と書いてあります。このフィラーキャップをまず外します。

ENの真下にあるドレンボルトです。昨年10月ぶりに見ました。当時はきれいだったのにすっげー汚ねえ!これを17インチのメガネレンチで回します。

前回は手製オイル処理箱を作りましたがちょうどいい紙箱がなかったので写真のものを購入。ドレンボルトがある程度緩くなったらこれを開封してボルトに下に置きました。

軍手をはめてボルトを回していたら突然ドス黒いオイルがドバッーと出てきてボルトを処理箱の中に落としてしまいました。オイルは勢い良く流れ落ちてきてボルトを拾うこともできません。仕方なくそのままにしてオイルが切れるのを待ちます。写真はだいぶオイルが流れ落ちてきたころ。

オイルの滴り落ちるのがほぼ切れたところで処理箱をずらし,何とかボルトを探し出して再び装着。そしてフィラーキャップのところから新オイルの流し込みます。

ENの指定油量は1100mlと入れました。点検窓から見るとちょうどいい感じですね。それにしても1100mlとは中途半端です。だから4リットル缶を買ったのですが本当だったら1リットル缶がいいんですがね。初回のオイル交換は1リットル缶で済ませましたがやはり100mlが気になりました。

4リットル缶を買ったのでついでにアドレスのオイルも交換しようと思いましたが,アドレスのドレンボルトの締め付けがきつくてどうやっても外れない!まあ来月1年点検に出そうと思っているのでアドレスはそのときバイク屋に頼もうと思います。

さて,オイル交換をした調子ですがさすが新オイルだけに絶好調です。ギアチェンジも今までよりスムーズになりました。わざわざ今日交換したのは週末に遠出を計画しているのですが,それはまた次回にアップします。


EN125-2Aでビーナスライン

2009年08月18日 | EN125-2A
みなさんご無沙汰してます。暑い日が続いてますがお元気ですか?
お盆中はずっと仕事だったので昨日夏休みをもらって久々にENでお出かけしてきました。場所は高度成長期に長野県が総力を挙げて環境破壊した建設した観光道路「ビーナスライン」。10年ぶりで当時はまだバカ高い通行料を徴収していました。

まずは長野市役所の食堂で腹ごしらえ。日替わりB定食(360円)は野菜炒め定食でしたが本当に野菜しか入っていませんでした。

さて,腹ごしらえもしたところでR18を南下。上田市内に入り自宅から44キロほど走ったところで「大屋」の信号が見えてきたので右折してR152へ。

しかし本当に暑い。今年の夏は雨続きでしたがここ最近は好天続きで今日は雲一つない天気。途中スーパーに立ち寄って一休みして自宅から54キロほど進んだ上田市丸子と小県郡武石村の境付近にある信号「武石口」で右折。

武石村と書いて「たけしむら」と読みます。この村はかつてふるさと創生資金でビートたけしを呼んでオールナイトニッポンの企画番組を製作しました。

さて,武石口を右折すると急に人気の少ない寂しい道となります。何にもない一本道をひたすら山に向かって登っていきます。途中何台かのバイクとすれ違いましたがこの道はビーナスへ行くしかありません。もう頂上で満喫して下りてきたのでしょうか。

そしてしばらく進むと美ケ原入口という看板が見えてきて,そこを左折すると本格的な登山道となりました。気温も一気に下がってヒンヤリした空気に。30度を超える猛暑でしたが安全と防寒を兼ねて厚着してきて良かった。時速80キロでガンガン上っていく。勾配がきつくなって125CCのENがヒーヒー言ってます。その横を大型バイクがいとも簡単に抜かしていく。でもあくまでマイペースを守って登っていきます。

さすがのENもオーバーヒートしそうなので途中で休憩しながら何とか頂上付近へ。
頂上の美ケ原高原美術館一体に何とか到着しました。そこで記念撮影。

写真中央が途中通過した上田市丸子地区です。頂上付近が標高2000mで丸子付近が標高500m台ですから1500mを一気に駆け上がってきましたことになります。超頑張るEN君

直ぐ近くに売店がありましたから,そこに入ってみました。

何やら外の風景とは一変してSAのような光景が広がってます。売店の中にはラーメン屋もありいろんなものが売ってました。特にスイカとか信州そばとか地物のお土産がたくさん陳列されていましたが県外者の皆さん。こんなところで買ってはいけません。ふもとのスーパーやJAに立ち寄れば新鮮で安くて美味しいモノがいっぱい売っってますよ。

とか何とか言いながら自分もグァバジュースとチーズケーキを買ってしまいました。

昨日は平日でしたが観光客がそこそこいました。家族連れやらカップルやらツーリングの一団やら皆夏休みを思い思いに過ごしているようでした。さて,田舎育ちの自分には山岳風景も眼下に広がる町並みもさして新鮮味は感じないので早々に出発。

ビーナスラインは美ケ原高原美術館から諏訪の霧が峰,白樺湖付近まで尾根伝いに続いていますが諏訪まで行く時間的余裕はありません。途中松本市街地へ降りていく道が現れましたがちょっとだけ直進していくと売店が見えてきました。面白そうなのでそこに入ることに。


売店の名前は「ビューレスト○峰」そこにビーナス名物のじゃがバタが売っていたので400円と少々高めでしたが買うことに

私「じゃがバタください」
店「400円です」(500円だしてお釣りもらう)
店「はい。じゃがバタ。当店自家製のマーガリンをたっぷりつけて食べてください」

は?マーガリン??バターじゃないのかよ!!!
おいビューレスト○峰!じゃがバタと銘打ってマーガリンを出すのは詐欺じゃないのか!!!

・・・金を払ってしまったしここで大騒ぎするする勇気はなかったので仕方なくビューレスト○峰自慢のトランス脂肪酸たっぷりのじゃがバタならぬじゃがマーを食べて引き返すことに。

こんな感じの道を走りながら松本方面へ下っていく道を右折して松本平へ。民家が見えてくるところまで下ってくると驚くほど暑い暑い。上界と下界の気温差がこんなにも違うものかとびっくりしました。

松本城でジェラートアイスを食べながらしばし休憩。ここから自宅までまだ70キロ以上走らなければなりません。時間はもう17時過ぎ。最後の気力を振り絞ってR19を北上して帰宅。それにしてもENはこんなに良く走るバイクだとは思いませんでした。
お盆もあけて残暑の季節に入ってきました。これからますますバイク三昧の季節がやってきますが今シーズンも精一杯ENとアドレスを乗りこなしていきたいと思います。(本日の走行距離209キロ)


EN125-2Aで秋山郷

2009年05月10日 | EN125-2A

今日は暑かったですね全国各地で30℃を超える真夏日となりました。こんないい日にバイクを乗らない手はないと思い,近場でまだバイクで行ったことのない秋山郷へ出発しました。

秋山郷とは長野県下水内郡栄村と新潟県中魚沼郡津南町にまたがる信濃川の支流中津川周辺に点在する集落の総称です。いわゆる秘境と呼ばれる地域で,越後秋山郷と信州秋山郷に分れます。

さて,R18を北上しながら途中右折してR117へ。スタンドで給油しながら飯山市方面へ向かいます。こないだバイクでちょっと遠出したときは肌寒かったので少々厚着してきたのですがこの好天では汗ばんできました。

写真のような道をひたすら北上すると千曲川と並走するようになります。野沢温泉村飯山市などを過ぎて栄村へ。自宅から64キロほど走ったところで県境へ。

昨年もここで写真を撮りました。目前の橋を渡ると新潟県津南町へ入ります。ちなみに「千曲川」も「信濃川」へと名称が変わります。

しばらく人家の無い道を走りますがやがて津南町の中心部へ。秋山郷の看板が出てきましたので大割野信号を右折してR405へ。

そしてしばらく平地を走りますがやがて山間部へと入っていきます。ついさっきまで田植えのための水引をしていたのどかな田園風景から一変。急に狭隘で急峻な山道へと変わっていきます。しかも断崖絶壁なクセにガードレールはないわ法面整備が遅れていて落石が道路に散乱しているわであまりの変化にびっくりこの状況を写真におさめたかったのですがそんな余裕はありませんでした。

そうこうしているうちに越後秋山郷の最初の集落へと到着。

Zカーブの角のほんのわずかな斜面のスペースに何とかバイクを止めて眼下の集落を撮影。写真だと分り辛いですが,すぐ目の前は崖っぷちで非常に恐かった!

そしてまた人気の無い道路をひたすら中津川の上流めがけて進むと越後秋山郷の最後の集落大赤沢へと到着。小学校の分校やら神社やら産物店などがあったりとちょっとした賑わいがありました。そこを過ぎるとほんの500メートルほどで県境へと。

目前の橋下を流れる沢が県境となっている模様。再び長野県へと入ってしばらくするむと信州秋山郷の最初の集落小赤沢へと到着。先程の大赤沢ほどの賑わいはありませんが,そこそこ民家や商店が立ち並んでいました。

再び人家の無い山中をしばらく進みついに信州秋山郷の中心部が見えてきました。

看板の向こう側に見えるのがそれです。その奥の山は霞がかって見えにくいですがまだ残雪真っ只中。スキー場のある志賀高原の付近の山らしい。

信州秋山郷の中心部といってもわずかな民家と小学校と温泉しかありません。小赤沢地区がいちばん栄えている感じです。

やはり秘境の入口にある越後秋山郷の方がそれなりに産業も栄えていて明るい雰囲気があります。信州側は何とも淋しい寒村といったイメージでしょうか?同じ川と道で繋がっている集落の集合体なのに,途中で県境(国堺)があることが原因かもしれません。越後秋山郷はふもとの津南町からR405という動脈で結ばれ,秘境ながらもふもととのパイプは強そうです。

それに比べて信州秋山郷は栄村の中心部から直接繋がる道は事実上ないに等しく,新潟県側から入らなければなりません。栄村からも長野県からも隔絶された秘境の最奥部の悲哀を感じます。

さて,この秋山郷,至るところに「平家の~」という看板が立っていましたが,ごたぶんに漏れず秘境の地にありがちな平家伝説があるようです。とかく信州は秘境が多いのですが,私の地元の南信州にも秋山郷に負けず劣らずの秘境があり,そこにも平家伝説があります。1000年近くも昔の,しかも2,30年しか続かなかった平氏政権の残党が現代の日本各地に連綿と生き続けているなんてニワカに信じがたいです。

よほど源氏の平氏討伐がすさまじかったのでしょうか?その源氏も頼朝からわずか三代で絶えて政権は北条氏へと移りやがて南北朝,足利,戦国動乱そして徳川の世と世の中は大きく変わるのに平家の落人は累代にわたりじっと山奥に潜んで時の来るのを待っていたのでしょうか?

そんなこんなを考えながら長旅を終えました(本日の走行距離201キロ)


EN今シーズン開幕!

2009年04月12日 | EN125-2A
皆様大変ご無沙汰しています。もうすっかり春になりましたね。最近は晴天続きで陽気もポカポカ私の周りでは今桜が満開です。少々遅くなりましたが今日駐輪場の奥に眠っていたENからバイクカバーを外して引っ張り出し,バッテリー電極を接続して昨年抜いておいたガソリンを注入してエンジン始動してみたところ,1回目も2回目もかからなかったのですが,チョークを引いたら一発始動!

う~ん,4か月ぶりに見るENはやっぱカッコいいです。さて,どこへ行こうか考えまして,もう昼時でしたから夕方までには帰って来れそうなところとして佐久方面へ行きました。R18を南下して長野IC方面へ左折して長野市松代町まで来たら地蔵峠へ向かい上田市真田へ降りてきて浅間サンラインへ。休日の好天とあって県外ナンバー車が結構走っていました。軽井沢の手前まで来て右折して眼下に広がる佐久市街地へ降りてきていきつけの美楽飯店で肉ソバ(大)を注文。

とってもお腹が空いていたので美味しかったです。そして元来た道を一路長野市へ

佐久市街地から浅間サンラインへ登る途中のコンビニで浅間山を背景に記念撮影。ちょっと前に浅間山が噴火したというニュースを見ましたが,山頂から噴煙が昇っているようにも見えますし,雲にも見えますが,どっちでしょう??
浅間サンラインは標高の高いところを走っているので帰りは少々肌寒くなって上田辺りまで来たらR18へ下りました。それにしても行きも帰りもツーリングの集団とたくさんすれ違いました。みなさん思い思いの休日を過ごしているんだなと実感しました。自分もライダーの端くれ。今年はETC1000円乗り放題に目が眩みそうですが,休日は有意義なバイクライフを過ごしたいと思います(本日の走行距離140km)。

EN125-2Aシーズンオフ準備2

2008年11月22日 | EN125-2A
長野県内は今週山間部の平地で初冠雪しました。連休初日の今日はほぼ快晴絶好のバイク日和りですが自分は信州人のクセに超寒がりのヘタレ。先週に引き続き朝から早速ENのシーズンオフ支度を始めました。

まず,以前購入したスプレーでブレーキディスクやスプロケ,チェーン等を洗浄し,さらにチェーンにオイルスプレーを吹き付けました。それから燃料タンク内に入っているガソリンを完全に抜き取る作業に取り掛かりました。

画像の中央部に小さいネジが見えます。このネジからエンジン部分を伝って地面付近まで細いホースが垂れ下がっていますが,これが燃料タンクからガソリンを抜き取るためのホースです。

このネジを緩めるとホースからガソリンが出てくるのであらかじめホースの先端にガソリンを受け止めるためのペットボトルを置きます。

コックをリザーブ側に回したままネジを緩めると上の画像のようにホースからガソリンがチョロチョロと出てきました。

完全に抜き取るまで数分。なんとこんなにガソリンが残っていました!このペットボトルは1.5リットルサイズですので2リットル近くガソリンが残っていたことになります。なお,先週リザーブに切り替えてから47キロ走り,そのとき計測した燃費がリッター当たり約44kmでしたからリザーブに切り替えても3リットルはまだタンクに入っていたことになります。ENも随分親切設計ですね。

さて,その後はバッテリーのプラス側のケーブルを外しました。マイナス側は先週既に電極から取り外してあります。本当はバッテリーをバイクから取り外して室内で保管するのがベストなのですが面倒なのでバイクにそのまま取り付けておきました。

そしてサイドカバー&シートを取り付け,布切れでバイク全体の汚れとホコリをふき取り,カバーを掛けて駐輪場の奥深くへ格納し完了。

少し早いですがENも来春までここで冬眠です。駐輪場は簡単な屋根しかついていないので錆が心配ですが,何とか無事乗り切ってくれることを願います。

今年はバイクに目覚めて夏に小型二輪免許を取得後,残暑から秋に掛けてほぼ週末はバイク三昧でした。ここ数年出不精になりがちな自分でしたが,この3か月間で随分いろんなところへ行きました。125CCというバイクの世界では小排気量の部類ですが,私的にはバイクの面白さを存分に味わうことができ,このような未知の世界を教えてくれたアドレスとENには大変感謝しています。

ENは一時お役御免しますが,厳寒の信州のバイクライフをよりよいものにするためにも,今後は冬に強いアドレスの一層の活躍を期待します