少々分りにくいですが,やんば館から3kmほど下流に下った辺りにダム本体を建設する予定です。写真を見るとやんば館から2kmほど上流付近からダム湖として水没し始める感じですので相当大きなダム湖が出現することになります。
入口から入って左手にある展示スペースです。ちなみにやんば館担当者の許可を得て撮影しています。
入口から向かって右手にある展示スペースです。何やらビデオ上映もしているようです。
長野原町におけるダム建設反対の住民運動の歴史を写真入りで説明しています。
どうやら八ッ場ダムは関東一円に水を供給する役割を果たす機能を持っているようです。
八ッ場ダムは戦後間もない昭和27年に建設計画が発表されたようです。当時はまさにダム全盛時代で,電力供給源に占める水力発電の割合は現代よりも大きかったものと思います。天竜川中流域に建設されたかの佐久間ダムも八ッ場ダムと同時期に建設計画が持ち上がりましたがこちらは順調に建設が進み,昭和31年に竣工しました。
しかし,八ッ場ダムはそうはいかなかったみたいです。 計画発表後40年間に渡る激しい反対運動が繰り広げられた末,平成4年に国・県・町の三者が建設基本協定を締結したそうです。
それから十数年を経て再び建設の是非を問われることになった訳ですが,ダム湖に水没してしまう住民からすれば苦渋の決断をしてダム建設を受け入れたにも関わらず再びダムに振り回されてしまうことになってしまいました。
上の写真はやんば館の入口から駐車場方面を撮影したものです。受付の方の話によると写真上方の建設中の橋の下付近まで水没するそうです。橋と駐車場の中間付近にJR吾妻線の鉄橋が見えますが,吾妻線も一部水没箇所があって現在線路の付け替え工事が行われているそうです。
なお,ダム本体の建設はまだ行われておらず,つい最近,本体工事のための入札が延期されたそうです。そう言えば最近そんなようなニュースを見た記憶があります。民主党政権が正式に発足し,新政権の方針が決まるまで国交省は入札を延期した模様です。
さて,今回の八ッ場ダム建設工事現場とやんば館でのダム建設の歴史を見て,巨大ダム建設というのはさまざまな面に多大な影響を与えるものだと実感しました。八ッ場ダム建設の是非については私ごとき八ッ場ダムとは無縁の者が口を挟むことはおこがましいので差し控えさせていただきますが,仮にダム建設を中止したとしても,半世紀以上ダムに翻弄された地元住民の方のケアだけはしっかりしていただきたいと思いながら長野原町をあとにしました。(本日の走行距離284km)