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地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

東京都の難読小学校名  何と読みますか ④

2018年06月25日 15時45分38秒 | Weblog
①品川区立源氏前小学校  品川区中延6丁目
②品川区立後地小学校   品川区小山2丁目
③品川区立鮫浜小学校   品川区東大井2丁目
④品川区立浅間台小学校  品川区南品川6丁目
⑤目黒区立油面小学校   目黒区中町1丁目
⑥目黒区立小学校   目黒区碑文谷1丁目      
⑦目黒区立菅刈小学校   目黒区青葉台3丁目
⑧目黒区立鷹番小学校   目黒区中央町1丁目
⑨目黒区立田道小学校   目黒区目黒1丁目     
⑩目黒区立月光原小学校  目黒区目黒本町4丁目
 
読みなど

① げんじまえ 昭和3年12月 荏原郡荏原町大字中延字源氏前に開校。当地は,平安期に勅命を受け,源氏の源頼義・義家親子が東国平定の前線基地を置いたとみられ,源氏前は源氏の屋敷の前の意か。
② うしろじ 昭和3年開校。後地は「由緒のある表通りの地蔵堂の後ろの土地」に由来するという。
③ さめはま 明治9年9月開校。校名は,この地帯が鮫洲と俗称されていたところで,浜に近かったことに因み命名されたと思われる。鮫洲の由来は昔品川沖に大鮫が死して浮上し,腹中から正観音の木造が出てきたこと因むともいう。
④ あさまだい 大正9年4月品川町大字南品川宿字浅間台(明治22~昭和7)に開校。横浜市西区浅間台は「せんげんだい」と読む。
⑤ あぶらめん 大正13年5月開校。中町から中央町2丁目に及ぶ目黒村の旧字名。江戸期,菜種の栽培が盛んで,採取された菜種油は芝増上寺などに奉納されたたため,租税が免除されていたことから「油免」の名が生まれ,「油面」に転化したとする説や,韓国では「面」は村の意で,油面は菜種油の採れる村の意とする説がある。
⑥ いしぶみ 明治12年1月開校。碑は事績を後世に伝えるための碑文を彫った石のある里(谷)を意味する「碑文谷」に由来するのではないかと思われる。1文字校。
⑦ すげかり 明治8年5月開校。江戸初期の『新編武蔵風土記稿』によると,現在の目黒区の西半分と世田谷区の東半分にかけての地域を「菅苅荘」「菅苅庄」と呼んでいたという。
⑧ たかばん 昭和7年7月 荏原郡碑衾(ひぶすま)町大字碑文谷(ひもんや)字鷹番に開校。この年の10月荏原郡全域が東京市に編入。地名の由来は,江戸期に目黒筋鷹番が置かれ,鷹番が居住したことによるという。なお,碑衾の地名は消滅したが,碑文谷,鷹番の地名は町名として残った。
⑨ でんどう 昭和7年荏原郡目黒町大字中目黒字田道に開校。この当時,田道の付いた字名に田道耕地,田道裏があった。7年10月荏原郡全域が東京市に編入。田道の地名は消滅したが,小学校名や田道ふれあい館にその名称を残す。なお,田道を「でんどう」と読む地名は他にはないようである。
⑩ げっこうはら 昭和9年4月目黒区月光原町(昭和7~41)に開校。地名は昭和7年10月に東京市に編入される前の荏原郡碑衾(ひぶすま)町大字碑文谷(ひもんや)字月光原による。

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