goo blog サービス終了のお知らせ 

地名アラカルト

各地の難読地名や珍しい地名についての由来やエピソードなどについて調べてみたいと思います。

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ③

2018年12月25日 16時23分44秒 | Weblog
①姫路市立菅生小学校 夢前(ゆめさき)町菅生澗(だに)     
②姫路市立網干小学校 網干区新在家(しんざいけ)
③姫路市立香呂南小学校 香寺町須加院
④姫路市立置塩小学校 夢前町宮置     
⑤姫路市立坊勢小学校  家島町坊勢
⑥姫路市立英賀保小学校 飾磨区英賀清水町2丁目    
⑦姫路市立旭陽小学校  網干区坂上
⑧姫路市立飾磨小学校  飾磨区恵美酒(えびす)
⑨姫路市立四郷小学校  四郷町坂元
⑩姫路市立城乾小学校 南八代町    
 
読みなど

① すごう かつて菅(スガ)が生えていたのか。生の付く地名。
② あぼし 養老4年(720)放生会(ほうじょうえ,供養のため,捕らえられた生き物を放してやる儀式)の式日に殺生を禁じ,氏子の漁師は漁を休み,浜で網を干して祭礼に参加したことから,網干祭といい,近郷を網干と称するようになったという(『角川・兵庫』)。(JR西日本)山陽本線網干駅や山陽電鉄網干線の終着駅「山陽網干駅」がある。
③ こうろみなみ 明治22年4月,神崎郡香呂・須加院・矢田部など10村が合併し香呂村成立(~昭和29)。村名は市川の右岸にあり,川原の転訛という。また,かつて郡の中心で郡家(ぐんけ)と関係のある郡(こおり)の転訛ではないかともいう。
④ おきしお 明治22年4月,宮置・置本・塩田などの10村が合併し置塩村成立(昭和30年7月夢前町→平成18年3月姫路市に編入)。村名の由来は未詳。氏姓あり。
⑤ ぼうぜ 家島本島の南,西島の東にある島名。坊勢の由来は不明。
⑥ あがほ 明治22年4月,阿賀・山崎・付城(つけしろ)・高町の4村が合併し英賀保村成立(昭和11年4月飾磨町→15年4月市制→姫路市と合併)。村名は阿賀神社(伊和大神<いわのおおかみ>の子・英賀比古<ひこ>と英賀比売<ひめ>を祀る)に由来するとみられる。保は古代,五戸を一保とした末端組織。校名も読みも3字。
⑦ きょくよう 明治22年4月,坂上・和久など8村と新在家村の一部が合併し旭陽村成立(~昭和17)。村名は,村北端の朝日山(旭)の南側(陽)に村域がまたがることによるという。
⑧ しかま 明治22年4月,飾東郡飾磨11町と恵美酒村,細江村が合併し飾磨町成立(昭和15年2月市制→21年3月姫路市と合併)。町名は大三間津日子命(オオミマツヒコノミコト)が屋形を造っていた時,大きな鹿が鳴いたことから,「荘鹿(しか)鳴くかも」と言ったことに因むという。また,砂地や砂丘のある処の意の州処間(すかま)の転訛ともいう(『兵庫難読』)。
⑨ しごう 明治22年4月,坂元・本郷・東阿保などの8村が合併し四郷村成立(昭和32年10月姫路市に編入)。村名は東阿保村を除く全村が利用していた用水の四郷井に由来する。
⑩ じょうけん 校名は「姫路城」の乾(いぬい)(戌亥:北西)に位置していることに由来するという。乾(ケン)は漢音で,乾坤一擲(けんこんいってき)や乾隆帝(けんりゅうてい)の乾。
                                 

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ②

2018年12月24日 16時00分12秒 | Weblog
①神戸市立淡河小学校 北区淡河町萩原
②神戸市立唐櫃小学校 北区唐櫃台2丁目
③神戸市立谷上小学校 北区山田町下谷上
④神戸市立藍那小学校 北区山田町藍那
⑤神戸市立八多小学校 北区八多町附物(つくもの)        
⑥神戸市立神出小学校 西区神出町田井
⑦神戸市立櫨谷小学校 西区櫨谷町池谷山の谷    
⑧神戸市立糀台小学校  西区糀台3丁目
⑨神戸市立高和小学校 西区押部谷町高和   
⑩神戸市立押部谷小学校 西区押部谷町福住(ふくすみ)

読みなど

① おうご 明治22年4月,淡河町と下・萩原・木津・南僧尾(みなみぞうお)・北僧尾の5村が合併し淡河村成立(昭和33年3月神戸市に編入)。淡河は古くからある地名。平安期には淡河荘,江戸期には湯山街道の宿場町で,淡河町と称した。
② からと 藩政村。神功皇后が朝鮮半島から持ち帰った甲胄を石櫃に入れてこの地に埋めたという伝承に因むともいう。同地に神戸電鉄 有馬線の唐櫃台駅がある。
③ たにがみ 山田川の谷の最上流に当たるところから,谷上と付けられた。それをさらに上と下に分けた(藩政村の上谷上村,下谷上村)。
④ あいな 藩政村。当地が摂津と播磨の「あい」(間,国境)に当たるところから,相野と呼ばれていたが,いつしか藍野となり,藍那に転訛したという(『兵庫難読』)。 
⑤ はた 『和名抄』に有馬郡幡多と見える。渡来系の豪族秦氏の居住地に由来する説や平安期の八多庄から生じた説などがある。校名も読みも2字。
⑥ かんで 姿のよい二つの山が並んでいる。東が雄岡山(おっこさん 241m),山上に帝釈天をまつる小祠があり,旱魃時には雨乞いの神事が行われた。西が雌岡山(めっこさん249m),素戔嗚尊(スサノオノミコト)と奇稲田姫(クシナダヒメ)を祀る神社がある。伝説では大己貴命(オオナムチノミコト)が多くの神を産んだことから,この土地を神出と名付けたという(『新神戸の地名』)。
⑦ はせたに 明治22年4月,櫨谷川沿いの明石郡長谷・池谷・寺谷・福谷など9村が合併し櫨谷村成立(昭和22年3月神戸市に編入)。櫨は20画。
⑧ こうじだい 櫨谷町福谷糀ヶ谷から。
⑨ たかわ 明治22年4月,明石郡押部・高和などの12村が合併し押部谷村成立(昭和22年3月神戸市に編入)。
⑩ おしべだに 渡来系の忍海部(おしみべ,鉄器加工技術者の一族)が居住していた谷に由来するといわれる。
                                    

兵庫県の難読小学校名  いくつ読めますか ①

2018年12月24日 14時27分28秒 | Weblog
①神戸市立御影小学校  東灘区御影石町3丁目
②神戸市立高羽小学校 灘区高羽町3丁目
③神戸市立鶴甲小学校  灘区鶴甲2丁目
④神戸市立西郷小学校 灘区大石東町6丁目
⑤神戸市立会下山小学校 兵庫区上沢通1丁目
⑥神戸市立多井畑小学校 須磨区友が丘3丁目
⑦神戸市立本多聞小学校 垂水区本多聞4丁目
⑧神戸市立乙木小学校 垂水区美山台2丁目
⑨神戸市立小部小学校  北区鈴蘭台北町3丁目       
⑩神戸市立有野台小学校 北区有野台2丁目
 
読みなど

① みかげ 古代,この地に鏡を作る職人集団・鏡作部(かがみつくりべ)が住んでいたという。鏡を御影見(おかげみ)といったことに因むという。阪急電鉄と阪神電鉄の御影駅は約1.2キロ離れており,阪急電鉄の駅周辺は住宅地,阪神電鉄の方は商業地域となっている。
② たかは 大昔,京都石清水八幡宮の社領で「タコウ」と呼ばれていた。あたりに竹が生えていたことから,竹生の転訛説や「鷹養」とも書いたことから鷹を養う人が住んでいたからとする説などがある(『兵庫・難読』)。
③ つるかぶと 昭和42年団地が造成された際に,近くの六甲山の「甲」と,めでたい鶴をとって命名された合成地名。
④ にしごう 明治22年4月,新在家,大石の2村が合併し都賀浜(とがはま)村成立(大正3年7月単独町制施行し西郷町に名称変更→昭和4年4月神戸市)。町名は日本を代表する酒どころ灘五郷(西郷,御影郷,魚崎郷,西宮郷,今津郷)の1つ西郷に由来か。
⑤ えげやま 会下山は江戸時代には延喜山,江家山,壊下山と書かれている。江家山はかつてこのあたりにあった房王寺の山号という。
⑥ たいのはた タイは傾斜地または山頂の意で,段々畑の多いところからきた名ではないかという。所在地の友が丘は多井畑の北を開発して造った団地の町名。住民が仲良く暮らしていこうとの願いを込めて命名されたという。
⑦ ほんたもん 貞観5年(863)開基と伝わる古刹「多聞寺」に由来。多聞台,南多聞台,本多聞などが独立した町名となった。多聞寺は多聞台2丁目にある。
⑧ おとぎ 乙木のオトは凹の意か。宅地開発で現在は分かりにくくなっているが,かつては福田川沿いの河岸段丘に台地があった。その南に乙木谷があり,これが町名の由来という。
⑨ おぶ もと武庫郡山田町大字小部(昭和22年3月神戸市に編入)にちなむ。所在地の鈴蘭台は神電鉄の駅名「鈴蘭台」から。校名も読みも2字。
⑩ ありのだい 明治22年4月,有馬郡有野・二郎・唐櫃(からと)の3村が合併し有野村成立(昭和22年3月神戸市に編入)。村名は中世に水利をはかり開墾して人が住みついてから有野になったという。有野台は有野団地。昭和45年に町名が付いた。
                       

大阪府の難読小学校名 いくつ読めますか ⑫

2018年12月22日 17時39分38秒 | Weblog
①泉南市立新家小学校 新家
②泉南市立雄信小学校 男里(おのさと)3丁目     
③四條畷市立四條畷小学校 中野
④交野市立交野小学校 私部1丁目      
⑤交野市立私市小学校 私市9丁目
⑥交野市立郡津小学校 郡津4丁目
⑦泉南郡岬町立淡輪小学校  岬町淡輪
⑧泉南郡岬町立深日小学校 岬町深日
⑨南河内郡太子町立磯長小学校 太子町春日
⑩南河内郡河南町立河内小学校 河南町さくら坂1丁目

読みなど

① しんげ 明治22年4月,新家・別所・兎田の3村が合併し新家村成立(~昭和31年9月泉南町→45年7月泉南市)。*家は呉音(ケ)の濁音化か。旧村名とも町名として存続。
② おのしん 明治22年4月,男里・幡代(はたしろ)・馬場の3村が合併し雄信達(おのしんだち)村成立(~昭和31年9月泉南町→45年7月泉南市)。村名の由来は不詳。旧村名とも町名として存続。
③ しじょうなわて 条里制の4条の道筋に因む。畷の字義は田のあぜ道をいう。南北朝期,南朝方の楠木正行軍と北朝方の高師直軍との古戦場として知られる。
④ かたの 淀川に沿った砂洲にあった野に由来するとも,昔海岸に近かったことから,「カタ」は潟の意ともいう(『日本地名基礎辞典』)。
⑤ きさいち 私部(きさべ)市(皇后<きさき>のために置かれた部で開かれた市場)の略で,隣接する私部と同様に,皇后領であったことに由来するという。
⑥ こおづ 上古・中古の郡役所の所在地の地名,郡家(こうげ)と関係する地名かもしれない。
⑦ たんのわ 明治22年4月,淡輪村が単独村制施行(~昭和30年4月岬町)。村名の由来は不詳。
⑧ ふけ 明治22年4月,深日村が単独村制施行(~昭和18町制→30年4月岬町)。フケとは湿地をさす場合が多く,当地の海岸に由来するのかもしれない。また,『万葉集』にみえる「吹飯(フケイ)」が転訛したのではないかともいう。
⑨ しなが 明治22年4月,太子・葉室(はむろ)・春日の3村が合併し磯長村成立(~昭和31年9月太子町)。村名の由来は聖徳太子を祀る叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があることに由来する。「磯」は「し」とは読む地名に奈良県磯城(しき)郡がある。磯長の地名は消滅したが,旧村名は地名として残る。なお,太子町は叡福寺を上(かみ)の太子(たいし)と呼ぶことに由来する。
⑩ かわち
 「カワウチ」の略で,川流に沿った開けた平地を指すという。

大阪府の難読小学校名 いくつ読めますか ⑪

2018年12月21日 17時28分23秒 | Weblog
①摂津市立味舌小学校 三島2丁目
②摂津市立別府小学校 東別府5丁目
③藤井寺市立道明寺小学校 沢田3丁目
④東大阪市立孔舎衙小学校  日下町6丁目   
⑤東大阪市立八戸の里小学校 下小阪5丁目
⑥東大阪市立意岐部小学校 新家2丁目 
⑦東大阪市立英田北小学校  松原1丁目  
⑧東大阪市立枚岡西小学校  南荘町
⑨東大阪市立弥栄小学校 本庄1丁目      
⑩東大阪市立弥刀小学校 友井1丁目      
 
読みなど

① ました 明治22年4月,味舌・味舌上・味舌下など6村が合併し,味舌村成立(~昭和29年町制~昭和31)。村名の未詳。現在,味舌の地名はない。味は「ま」とは読めないが,「味なまね」の「ま」か。
② べふ 低湿地帯であったことから,中世,国司の免符により特別扱いされた土地であったと思われる。別府の地名は「べふ」のほか「べっぷ」(大分市別府市など)と読み,多数ある。
③ どうみょうじ 道明寺と道明寺天満宮に由来。道明は菅原道真(845~903)の別称。
④ くさか 大正1年10月,日根市(ひねいち)村が孔舎衙村に名称変更。村名の由来は未詳。昭和30年1月枚岡町(枚岡市→東大阪市)ほかと合併し,消滅した。現在,孔舎衙の地名はないが,同音異字の日下町がある。なお,日根市(ひねいち)村は明治22年4月,日下・善根寺・布市の3村と河内屋新田が合併し成立した。村名は旧村から1字ずつとった合成地名。校名も読みも3文字。
⑤ やえのさと 江戸時代の初期,この地に入植した豊臣家旧臣達の家の数が8戸であったことに由来するともいう。
⑥ おきべ 明治22年4月,新家(しんけ)・御厨(みくりや)荒本の3村と2新田が合併し意岐部村成立。村名の由来は不詳。昭和12年4月布施市(→42年2月東大阪市)と合併し消滅。現在,意岐部の地名はないが,学校名のほか,バス停留所名などにその名を残す。意は「おもうに」の「お」か。校名も読みも3文字。
⑦ あかだきた 明治22年4月,松原・吉田,水走の3村が合併し英田村成立(~昭和30)。村名は『和名抄』に記載されている「英多郷」(あがたごう)に由来するという。英田の地名は消滅したが,中学校名にもその名を残す。なお,同字の岡山県美作市の英田小学校は「あいだ」と読む。
⑧ ひらおかにし 明治22年4月,豊浦・出雲井・額田の3村が合併し枚岡村成立(~昭和14町制~昭和30市制~42年東大阪市)。村名は地内の枚岡神社に由来する。枚岡の地名は消滅したが,小・中学校,駅(近鉄奈良線),警察署,郵便局などにその名を残す。
⑨ やえ 弥栄を「やえ」と読む地名はないようである。校名も読みも2字。通常は「いやさか」「やえい」「やさか」「やさかえ」などと読む。
⑩ みと 明治22年4月,友井・近江堂・小若江の3村が合併し弥刀村成立(~昭和12~42東大阪市)。村名はスサノオノミコトを祀る弥刀神社に因むという。当地には高句麗系渡来人が居住したという。弥は呉音。弥刀村は昭和12年4月布施市と合併し消滅。現在,弥刀の地名はない。校名も読みも2字。

大阪府の難読小学校名 いくつ読めますか ⑩

2018年12月21日 12時55分36秒 | Weblog
①大東市立深野小学校 大東市深野4丁目
②和泉市立伯太小学校 伯太町2丁目
③箕面市立箕面小学校 百楽荘1丁目
④箕面市立止々呂美小学校 森町中1丁目  超難読 一音一字
⑤柏原市立柏原東小学校 大県(おおがた)1丁目
⑥-1柏原市立堅下小学校 平野2丁目⑥-2堅上小学校 雁多尾畑(かりんどおばた)  
⑦羽曳野市立恵我之荘小学校 南恵我之荘7丁目
⑧羽曳野市立埴生小学校 伊賀5丁目 
⑨門真市立門真小学校 柳町
⑩摂津市立味生小学校 一津屋2丁目   

 読みなど

① ふこの 太古の昔はこの付近まで浅海であったという深野池に因む。古くは「ふこうの」と称した。深野池は名とはうらはらに深い湖沼ではなかったという。
② はかた 伯太首神人(はかたのおびとみわひと)の本貫地であったことによるという。伯太神社がある。 和気町4丁目に和気小学校(わけ)があるが,町名は和気氏が居住していたことによる。複合遺跡の和気遺跡がある。なお,岡山県和気郡和気町(ちょう)は和気清麻呂(733~99)の生誕地。
③ みのお 渓谷の滝の流水が「箕のおもて」に似ていることから付けられた箕面滝(日本の滝百選)に因むという。箕は,竹などで編んだちり取り型の農具。また,水尾(ミノオ)すなわち分水嶺の意であろうともいう(『山中・語源』)。
④ とどろみ この地を流れる余野川の轟(とどろき)の転訛ではないかとの説がある。一字一音で珍しい。明治22年4月市町村制施行に伴い成立した止々呂美村は昭和23年4月箕面町などと合併し消滅した。現在は「上(かみ)止々呂美」「下(しも)止々呂美」の地名が残っている。
⑤ かしわらひがし 柏の木が繁茂していたことに因むという。
⑥-1 かたしも 明治22年4月市町村制施行に伴い成立した堅下村は昭和14年柏原町と合併し消滅,現在,堅下の名はない。村名は『続日本紀』養老4年の条にみえる堅下郡にちなむ。ブドウの産地として知られる。 ⑥-2 かたかみ 旧中河内郡堅上村名(明治22~昭和14)から。中学校名,JR関西本線河内堅上駅や郵便局名などにその名を残す。カタカミは大和川の潟上の意であろうという。
⑦ えがのしょう 中世の荘園に因む。由来には,鳥獣の餌の取引を行った餌(エ)・処(ガ)説や,東除川(ひがしよけがわ)などがある江(エ)・処(ガ)説など諸説がある。
⑧ はにふ 赤褐色の粘土(=埴)がとれたからであろう。町名の埴生野は,かつては「はにふの」と読んだ。現在は「はにゅうの」に統一されたようであるが,小学校名は「はにふ」と読む。   
⑨ かどま 室町時代に足利一門の門真氏がこの地の荘官となり,門真庄(かどまのしょう)と称したことから。門真は「門間」の意で,低湿地などで,生産性の低い庄園の場合,領主から免田として認められる土地をさすという。
⑩ あじふ 明治22年4月,一津屋(ひとつや)・別府(べふ)・新在家の3村が合併し,味生村が成立した。村名の由来は未詳。昭和31年三島町(41年摂津市)と合併し消滅。現在,味生の地名はない。なお,愛媛県松山市に同字異読の味生小学校(みぶ)がある。

大阪府の難読小学校名 いくつ読めますか ⑨

2018年12月21日 11時18分14秒 | Weblog
①富田林市立富田林小学校 常盤町
②寝屋川市立神田小学校 寝屋川市東神田町
③寝屋川市立木屋小学校 豊里町
④寝屋川市立成美小学校 錦町
⑤河内長野市立高向小学校 高向
⑥松原市立天美小学校 天美東8丁目
⑦松原市立布忍小学校 南新町1丁目
⑧大東市立三箇小学校 三箇1丁目    
⑨大東市立住道南小学校  末広町
⑩大東市立氷野小学校 大東町

 読みなど

① とんだばやし 永禄年間(1558~1569)に京都の興正寺門跡第16世証秀上人が山田芝と呼ぶ荒地を開墾して富田林道場を開いたことに由来するとの説が通説であるが,古朝鮮語説やアイヌ語説などもある。 なお,錦織(にしきおり)南一丁目にある錦郡小学校は 「にしきこおり」ではなく,「にしこおり」と読む。
② かみだ 「神田」を「かみだ」と読む地名は当市と浜松市中区神田町(まち)以外にないようである。
③ こや 当地は淀川の分岐点に位置し,上流から運ばれてきた木材の集散地であったため,その貯蔵小屋である木屋があったことに由来する。キヤがコヤに転訛したと思われる。木屋町,木屋元町(もとまち)*木庭(こば)。
④ なるみ 昭和35年開校。同校の隣に成美町があるが,「せいびちょう」と読む。
⑤ たこう 古代,高向氏の居所であったことに由来するという。祖神を祀る高向神社がある。タカムコウの転訛。
⑥ あまみ 明治22年4月市町村制施行に伴い,池内・城連寺・油上・芝・我堂・堀の6村が合併し天美村成立(~昭和22年町制→30年2月)。村名の由来は不明。
⑦ ぬのせ 明治22年4月,更地・高木・東代・向井・清水の6村が合併し布忍村成立(~昭和30)。村名は白い布を敷いて阿麻美許曽(あまみこそ)神社の分神をお迎えしたという布忍神社に因む。松原市設置に伴い布忍の名は消滅したが,(近鉄)南大阪線の布忍駅(大正11年4月開業)などにその名を残す。なお, 三宅中2丁目に三宅(みやけ)小学校があるが, 町名は屯倉に由来するという。
⑧ さんが かつて大きな池であった深野池(ふこのいけ)に三つの島があったことに由来するという。当地にはキリシタン大名三箇頼照(?~1595)の三箇城があった。なお,埼玉県久喜市菖蒲町台に同名校がある。
⑨ すみのどうみなみ 江戸期から明治にかけて,JR片町線住道駅の東側を流れる寝屋川と恩智(おんち)川の合流点に角ノ堂(すみのどう)浜という船着場があり,大いに賑わったという。この地が後に同音異字の住道と表記されるようになったという(『大阪難読』)。住道
の町名あり。
⑩ ひの 氷野の由来は不詳だが,当地は,かつては深野池の漁業の中心地であったとみられるので,これに関連するのかもしれない。大東市氷野。なお,「氷野」という地名は他にないようである。

大阪府の難読小学校名 いくつ読めますか ⑧

2018年12月10日 17時27分58秒 | Weblog
①枚方市立氷室小学校  尊延寺3丁目 
②枚方市立樟葉小学校  南楠葉2丁目
③枚方市立招提小学校  招提東町2丁目
④茨木市立耳原小学校  耳原2丁目    
⑤茨木市立清溪小学校  泉原(いずはら)
⑥茨木市立安威小学校  安威2丁目
⑦八尾(やお)市立刑部小学校 刑部3丁目
⑧八尾市立曙川小学校  八尾木東2丁目
⑨八尾市立龍華小学校 東太子(ひがしたいし)1丁目
⑩八尾市立安中小学校  陽光園2丁目
 
読みなど

① ひむろ 平安期に皇室の氷室(氷の貯蔵庫)があったといわれる。氷室台。
② くずは かつては「くすのは」とも読まれた。地名は「くそはかま」の転訛という。『古事記』によれば,建波邇安王(タケハニヤスノミコ)の軍が敗走して「久須婆の度」についた時に「屎(くそ)出てで褌(はかま)に懸りき。故,其地を号けて屎褌と謂う」とある。
③ しょうだい 明治22年4月,交野郡招提村が単独村制施行(~昭和10)。村名は天文12年(1543)荒地に浄土真宗の道場が建てられたことに由来するという。*招提は四方から僧の集まり住む所の意。提(ダイ)は呉音。唐招提寺の招提。
④ みのはら 皆原,美奈原とも書き,「ミノハラ」と呼んだので,その転訛か。往古,耳麻呂という人がこの地を開拓したことによるともいう。
⑤ きよたに 明治22年4月,泉原・高山・千提寺(せんだいじ)・佐保の4村が合併し清溪村成立(~昭和30)。村名の由来は不明。茨木市編入に伴い清溪の地名は消滅した。*溪は渓の旧字体。
⑥ あい 安威川流域に位置し,かつては藍の産地で,中臣氏系の藍氏の本貫地(名字の由来となった土地)であったことに因むという。
⑦ おさかべ 刑部の職についていた人の居住地であったという。刑部とは古代の職制で,刑事や裁判などを司る。岡山県に同名の新見市立刑部小学校がある。
⑧ あけがわ 明治22年4月,八尾木・東弓削,都塚・刑部・中田の5村と柏村新田が合併し曙川村成立(~昭和30)。村名はこの地を流れる川(下流では「楠根川」と呼ばれる)に因む。
⑨ りゅうげ 明治22年4月,渋川・亀井・植松・安中・太子堂・竹淵の6村が合併し龍華村成立(~昭和2町制~昭和23)。村名は奈良時代に創建された龍華寺(りゅうげじ)に由来するともいう。村名は龍華町として残る。*華(ゲ)は呉音。
⑩ やすなか 当地は大和川の河道の付け替え後,旧河床を玉手村の安福寺が中心となって開発して出来た新田であることから,安福寺に因んで安中と称した。安中を「やすなか」と読む地名は他にないようである。安中町は現存し,旧安中村の一部が陽光園2丁目となっている。*群馬県安中市(あんなかし)。

大阪府の難読小学校名 いくつ読めますか ⑦

2018年12月10日 12時28分14秒 | Weblog
①高槻市立大冠小学校  天川町
②高槻市立三箇牧小学校 三島江1丁目
③高槻市立芥川小学校 真上(まかみ)町1丁目
④高槻市立如是小学校 如是町
⑤高槻市立土室小学校 上土室6丁目
⑥高槻市立真上小学校 西真上2丁目
⑦高槻市立芝生小学校 芝生町3丁目
⑧高槻市立上牧小学校  上牧町4丁目
⑨高槻市立五百住小学校  登美の里町   
⑩枚方市立枚方小学校  枚方上之町
 
読みなど

① おおかんむり 明治22年4月,東天川(あまがわ)・西天川・大塚・西冠などの12村が合併し大冠村成立(~昭和6)。村名は合成地名か?。近くの大冠町には冠小学校がある。
② さんがまき 明治22年4月,三島江・唐崎・柱本(はしらもと)・西面(さいめん)の4村が合併し三箇牧村成立(昭和30)。村名の由来は古代にあった牧が上・中・下に三分されていたことによるともいう。三箇牧は町名として残る。
③ あくたがわ 明治22年4月,島上郡芥川村と郡家村が合併し芥川村成立(~昭和4町制~6)。村名の由来は,古代の服部氏族などの住居群から出た塵芥によるとも,阿久刀(あくと)神社の社名の転訛によるともいわれる。なお,芥は圷(あくつ)と同義で,低湿地などに用いられる地名でもある。
④ にょぜ 明治22年4月,島上郡東五百住(ひがしよすみ)・芝生(しぼ)村など5村が合併し如是村成立。村名は当地を流れる女流(にょぜ)川に因み,同音の仏教用語「如是我聞(にょぜがもん)」の如是を当てたという。
⑤ はむろ 中世の土室庄に由来する。埴輪(はにわ)を作っていた人々の集落があったとことに由来するともいう。土室を「はむろ」と読む地名は他にないようである。
⑥ まかみ 昭和55年開校。
⑦ しぼ 古くは「しばふ」といったが,「しぼ」に転訛した。「しぼ」と読む地名は他にないようであるが,「しぼう」と読む地名は幾つかある(奈良県宇陀市大宇陀<おおうだ>芝生,徳島県小松島市芝生町,徳島県三好市三野町芝生)。
⑧ かんまき 昔摂津国管轄の牧が三牧あり,当地はこのうち一番上方にあったので「上牧(かみまき)」と呼んでいたのが転訛したのではないかといわれる。上を「カン」と読む地名に上林(かんばやし)などがある。
⑨ よすみ 地名の由来は不詳。五百は「イオ」をとも読むので,その転訛か。五を「ヨ」と読む地名に栃木県足利市五十部(よべ)があるが,極めて珍しい。
⑩ ひらかた 淀川水辺の平たい潟に由来するのではないかとも,牧を枚に誤ったともいわれる。枚を「ひら」と読む地名は他に兵庫県朝来市和田山町枚田(ひらた),枚田岡があるに過ぎないようだ。枚は「ひら」となかなか読めないが,一枚(ひら)の雲,一枚(ひら)の花びら等に使用する。

大阪府の難読小学校名 いくつ読めますか ⑥

2018年11月30日 18時18分27秒 | Weblog
①豊中市立小曽根小学校 小曽根1丁目
②豊中市立刀根山小学校  刀根山5丁目 
③豊中市立螢池小学校 蛍池中町1丁目
④池田市立呉服小学校  姫室町    
⑤池田市立神田小学校  神田2丁目    
⑥池田市立北豊島小学校 豊島北2丁目   
⑦池田市立細郷小学校 伏尾台(ふしおだい)3丁目
⑧吹田市立吹田南小学校  南吹田5丁目
⑨泉大津市立小学校 河原町
⑩高槻市立郡家小学校  郡家新町
 
読みなど

① おぞね 明治12年現校名に改称。明治22年4月,豊島郡小曽根・北など6村が合併し小曽根村成立。小(お)は接頭語でコの転訛(koのkの落ち)。曽根は石の多いやせた土地をさすともいう。
② とねやま 昭和44年4月開校。丘陵地(38.1m)に位置。刀根は狭い山尾根の地の意  という。
③ ほたるがいけ 昭和16年現校名に改称。「ほたるいけ」ではない。明治43年,この地に箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)の駅が開設されたとき,近くにあった蛍狩りで有名な蛍池に因み,蛍ヶ池駅(現蛍池)と命名された。駅が出来てから周辺にも蛍地を冠する町名が用いられるようになったという(『大阪難読』)。
④ くれは 昭和14年8月現校名に改称。中国の呉の国から織物を日本に伝えた織り姫の呉服媛(くれはとりのひめ)と仁徳天皇を祀る呉服(くれは)神社に因む。服は服部の「はっとり」の「は」。
⑤ こうだ 天元元年(978)創建と伝えられる素戔嗚尊を祀る八坂神社に因むという。カミ(神)・タ(処)の転訛で,神社の所有田を表すともいう。
⑥ きたてしま 明治26年11月現校名に改称。明治22年4月,西市場・神田など11村が合併し北豊島村成立。奈良期,摂津国豊嶋(てしま)郡のなごりという。現在,町名は「とよしま」と読むが,小・中学校名だけは「てしま」と読む。なお,「豊島」を「てしま」と読む唯一の地名に,香川県小豆(しょうず)郡土庄(とのしょう)町豊島がある。
⑦ ほそごう 明治7年開校。細郷は中世から明治まで現在の伏尾台を含む細河地域を総称する名称として使われていた地名(同校HP)。同校は小中一貫校の市立ふしみ学園。
⑧ すいたみなみ 明治22年4月島下郡吹田村が単独村制施行(~41町制~昭和15市制)。吹田は旧庄名。湿地帯の泓田(ふけた)の転訛かともいわれる。『摂津志』に水田に生えるクワイ・セリの産地と見える。古名は次田(すきた)とある(『日本地名基礎辞典』)。吹田を「すいた」と読む地名が京都市にある(伏見区向島向島吹田河原町<むかいじますいたがわらちょう>)。「吹」は吹奏楽(すいそうがく)の「すい」。
⑨ えびす 昭和16年現校名に改称。校名のもととなった戎町は,かつてこの地域一帯が「えびす山」と呼ばれた小高い丘で,木が茂り,その中に「戎神社」があったことに因むという。戎神社は,天正年間,宇多藤林氏,下条真鍋氏により西宮戎より勧請し,宇多下条の境の地に創建したと伝えら,明治に入り「事代主神社」として村社となり、明治41年大津神社に合祀された(同市HP)。
⑩ ぐんげ 昭和49年開校。摂津国島上郡の郡衙(ぐんが,郡の役所)があって,郡司の居住した屋敷をいうのであろうといわれる。「げ」は「け」が訛ったのであろう。家(ケ)は呉音で濁音化(連濁)。なお,肥後(熊本)弁で「げ」は家の意で,「あたげへ行く」は「あなたの家へ行く」の意。