ここのところプロの音楽家の演奏を聴いていると、プロとアマチュアについて考えてしまう。
音楽にアマチュアもプロもない、とよくいわれるけれど、音楽の高みを目指すことに
まったくその区別はない。
しかしながら、あえて日本においていうと、音楽に対する真摯な姿勢は
アマチュアのほうが勝っているのではないか、と思わずにはいられない。
アマチュアで音楽を続けている多くの人たちにとって、音楽がライフワークとなっている。
音楽がそれぞれの人生や社会生活に、プラスの要素を加えている。
どうもプロには音楽の核となる輝ける要素を、音楽で表現されていないように感じるのだ。
それが、プロにはないアマチュアのよさである、といってしまえばそれまでだが、
聴衆の側としては、本当に音楽の本質をみて判断できる感覚をもって、
実際の演奏に接したいものだ。
受ける感覚は人それぞれなのだから、もっと素直に音楽に接することができたら、と思う。
いくらプロの演奏でも、よくなかったなぁ、と思えば、それはよくない演奏なのである。
自分で感動できる演奏であれば、大いに拍手をすればいいし、
つまらなかった、と思えば、拍手をする必要はない。
隣の人と違っていても、自分の感性で判断してよいのである。
聴衆も勉強し感性を育み、それが真の文化となる。
権威や名前は度外視して、音楽そのものに相対するべきだ。
そうしなければ、日本の音楽界はどんどん衰退するのではないかと懸念している。
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ありがとうございました。
音楽にアマチュアもプロもない、とよくいわれるけれど、音楽の高みを目指すことに
まったくその区別はない。
しかしながら、あえて日本においていうと、音楽に対する真摯な姿勢は
アマチュアのほうが勝っているのではないか、と思わずにはいられない。
アマチュアで音楽を続けている多くの人たちにとって、音楽がライフワークとなっている。
音楽がそれぞれの人生や社会生活に、プラスの要素を加えている。
どうもプロには音楽の核となる輝ける要素を、音楽で表現されていないように感じるのだ。
それが、プロにはないアマチュアのよさである、といってしまえばそれまでだが、
聴衆の側としては、本当に音楽の本質をみて判断できる感覚をもって、
実際の演奏に接したいものだ。
受ける感覚は人それぞれなのだから、もっと素直に音楽に接することができたら、と思う。
いくらプロの演奏でも、よくなかったなぁ、と思えば、それはよくない演奏なのである。
自分で感動できる演奏であれば、大いに拍手をすればいいし、
つまらなかった、と思えば、拍手をする必要はない。
隣の人と違っていても、自分の感性で判断してよいのである。
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