僕のことを直接知っている人は、
えぇ~?!と思われるかもしれないが、
僕は体育会系です!!
いくら、
謎の組織『ダラ・ダラ~』の≪だらだらビーム≫を受け、だらだらしていても
心の底には
体育会系の熱い血潮がフツフツとわいている。
僕が卒業した高校は江戸時代にできた藩校で、
現在でもバンカラ気質が残る学校だった。
その熱き魂を注入させられた儀式は、入学してまもなくやってきた。
入学したばかりの、とある昼休み。
僕たちは全員、講堂に集められた。
1200人ほどが入る講堂には、既に2、3年生も集まっていた。
僕たちは何が起こるのか見当もつかず、席についた。
講堂の前のブロックは1年生。
後ろのブロックは2年生。
2階席は3年生が陣取っていた。
なにがはじまるんだろう・・・
と、思っていた瞬間、突然
ドン、ドン!!
という太鼓の音とともに
うおおおおおおおおおお!!
待ってましたあああああ!!
という後ろの2、3年生の歓声。
前のステージの閉じていた緞帳がゆっくりと上がった。
まだ上がりきらない緞帳から、スーっと応援団旗がのぞき、通路には応援団の人たちが
ズラ~っと並んだ。
ステージの上には、3人。
団旗を持つ人。
太鼓を叩く人。
そして、真ん中は応援団長。
団長が口を開いた。
「これから応援練習をはじめる! わかってるかぁ!」
「・・・」 え? なに?
ポカンとしている1年生に
返事はあああああ!!
前から後ろから横から、講堂中から怒号がおこる。
「はい!」
びっくりして皆は返事をするが、
声が小さいいいいい!! おらあああああああ!!
さらに驚き、
「はいっ!」
と返事をかえす。
今から2、3年生が見本を見せるから良く見ておくように、と言われ、
起立して、後ろの2、3年生のほうを振り向く。
「2、3年っ!! 手本をみせてやれええ!!」
と言う団長の声に
よっしゃああああ!! まかせとけええ!!
とあちこちで声がとぶ。
団長がおじぎをし、
「センゲーーーン!!」
と叫ぶやいなや、
うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
という地響きをたて、2、3年生は立ち上がり、校歌を歌いはじめた。
その歌声に講堂中が響き、ガラスも割れるんじゃないかというほどの勢い。
驚きとともに感動さえ憶えた。
全くの聞き覚えで、1週間で1年生は6曲の歌を覚えなければならなかった。
その1週間は怒号と1年生の「はいっ」という返事が何遍となく繰り返された。
応援団長はとても怖かった。
鬼じゃないかと思った。
しかし1週間、全校生徒が一緒になり、力の限りぶつかり合い、歌を歌う中で
奇妙な連帯感が生まれた。
大声で歌を歌うことが、とても楽しくなる。
あの怖かった応援団長がとてもやさしい人なんじゃないかと感じてくる。
1週間が終わり、
「よし、1年! よくがんばった!」
という団長のことばで皆、団長のことが大好きになった。
その高校での3年間、本当に楽しかった。
今の僕の根底の魂をつくってくれたのは、あの学校の持つ伝統である。
時がたち、僕はある大学オケに入る。
このオケは、まさに体育会系! というところだった。
まず、あいさつはきちんとしろ、からはじまる。
新入生で先輩の顔なんてわからないんだから、楽器を持った人には手当たり次第
挨拶しろ、と言われた。
なにしろ大きな大学で、音楽サークルもとても多い。
挨拶するだけでたいへんだし、上級生はとても怖く見えて、声をかけるのも憚られた。
4年間どっぷりとそこにつかっていると、やはりオケは体育会系じゃないとダメだな、
なんて思ってしまう。
オケの規律はとても厳しくて、好き勝手なことは許されない。
でもその中でしか、なしえない音楽もあるのではないか、と思いオケを続けた。
今、こんな仕事をしているから、あのとき一生懸命やっていてよかったなぁ、
なんてのんきに思っているけれど
オケの世界は変わった世界ではある。
でも、なあなあでやっていたのでは、音楽をつくりあげることはできない。
音楽を目の前にすると、甘いことは考えられなくなる。
全身全霊、音楽にむかう。
そのためには、やはり体育会系の土壌は必要ではないかと感じる。
オケは文化系のおぼっちゃん、お嬢さんのもの、と思っている人へ。
オケはバリバリの体育会系です。
そして、そこで育った僕は体育会系なのです。
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